仲良さそうにしている相手のことを、違う場所で悪く言っていたり…



そういう光景を目にするたびに、人間って怖いなぁって思ってた。ガーン





目の前で笑ってくれてても、私もきっとどこかでそんなふうに扱われていたりするんだろうなぁって心のどこかで怯えていたりもした。










でもどうだろう?






友達でも、家族でも、どんなに気が合うなと思った相手でも、


好きなところと嫌いなところがあるのは当たり前だ。


怖いことでもなんでもなく、それって普通のことなんだ。








そう思っていることを、本人に聞かせてしまったら傷つけてしまうだろうから…


せっかく築いている良い関係を壊してしまいたくないから…


だからといって、いやだなーって感じた自分の気持ちを自分の中だけでは処理しきれないから…


なので、その人のいないところで他の人に話して、共感を得ることで安心したい。





きっと、それだけのことなんだろうな。












この人のことは好きなんだけど、こういうところは嫌いだなって私は感じているんだな。


シンプルにそれを、自分の中で受け止めることさえできたなら、そんな必要もないんだろうけど、

大抵の人は、

『こんなことを思ってしまう私がダメなの?おかしいの?』

ってどこかで自信がなかったりするから、

『そんなことないよね?私は正常だよね?』

って安心するために、他の人からの共感が欲しくなって、

それが結果的に陰口という行為になってしまう。
(共感を得られて安心できても、今度は陰口を言ってしまった自分を結局責めちゃいそうだけど…)








つまり、相手に配慮しながら自分の気持ちを発散している…爆弾


それもきっと、相手や自分に対する思いやりで、つまりは愛なんだろうな。











だったら、もしも陰口を言われていたとしても、

目の前では笑って仲良くしてくれているならありがたいよなぁって思えるから不思議。(笑)











あの人のことを悪く思う自分がいたっていい。


そんな自分を認められたら陰口を言う必要性がそもそもなくなるかもしれない。


感じたモヤモヤをどうするか、別の選択肢を探すことだってできるかもしれない。







あの人のことを悪く思う自分がいたっていい。


そう思えたら、あの人が私をどう感じているかも自由なんだと気づけて、人の目に怯えることがなくなるかもしれない。







あの人のことを悪く思う自分がいたっていい。


そう自分に許可を出してあげるだけで、


解決してしまう問題がきっとたくさんあるのかもしれない。照れ