Paycheck(2003 アメリカ)

監督:ジョン・ウー

脚本:ディーン・ジョーガリス

原作:フィリップ・K・ディック

製作:ジョン・デイヴィス、テレンス・チャン、マイケル・ハケット、ジョン・ウー

製作総指揮、ストラットン・レオポルド、デヴィッド・ソロモン

撮影:ジェフリー・L・キンボール

編集:ケビン・スティット、クリストファー・ラウズ

音楽:ジョン・パウエル

出演:ベン・アフレック、アーロン・エッカート、ユマ・サーマン

 

①ユニークなアイデアSF

フィリップ・K・ディックの映画化、有名なのは「ブレードランナー」「トータル・リコール」「マイノリティ・リポート」といったあたりでしょうか。

カルト人気の高いディックですが、初期は割とシンプルなアイデア・ストーリーの短編が多いです。

「ペイチェック」はそんな短編の映画化ですね。

 

エンジニアのジェニングスは、オールコム社で3年間の仕事を引き受けます。莫大な報酬が得られる代わりに、機密を守るため3年間の記憶を消されることが条件でした。

しかし、記憶を消された彼が報酬として受け取ったのは、がらくたのようないくつかの品物だけでした。なぜか、ジェニングスは自分から報酬を辞退し、そのかわりにそれらの品物を指定していたのです。

いったいなぜなのか。消された3年間、彼は何の開発をしていたのか。警察やオールコム社の追っ手から逃れながら、ジェニングスは謎に迫っていきます…。

 

非常に魅力的な筋立て、SF的アイデアですね。

一見何の価値もないように見えるガラクタが、次々と連鎖して命を救う役に立っていく面白さ。

 

これ、主人公は「未来を知っている」のでチートなんですよね。でもその一方で、「自分が未来を知った過去を忘れている」というハンデもしょっている。

本来なら知るはずのない未来を知っていて、本来なら当たり前に知っているはずの過去を知らない。

これって、なかなか面白いSF状況なんですよね。ディックの初期短編は、こういうシンプルでユニークなアイデア一発で持たせているものが多いです。

 

②ジョン・ウー映画。鳩も飛びます!

映画はジョン・ウー監督なので、警察やオールコム社の警備員たちを相手にしての逃亡・戦闘アクションものになっていきます。

なんだけど、ジェニングスは一介のエンジニアであるはずなので、銃を持った大量の追っ手と素手で格闘して渡り合って、堂々と撃退しちゃうのは少々もっともらしさに欠けますね。

 

一応、ジェニングスがジムで(なぜか)棒術の訓練するシーンが序盤にあって。鍛えてるんだ、という伏線にはしてますけどね。

ベン・アフレックというあんまり強そうに見えないキャラもあるかな。シュワルツェネッガーやトム・クルーズなら、説得力になっちゃうんだけど。

パートナーであるユマ・サーマンの方が強そう。ってこの人も単なる女性科学者のはずなんですけどね。

 

フィリップ・K・ディックの持ち味として、作品全体に流れるパラノイア的な感覚というのがあるんですよね。これは後期の作品ほど顕著で、初期短編ではそれほど如実ではないんだけど。

「ブレードランナー」での、主人公もレプリカントかもしれないという疑いとか、「トータル・リコール」の、本当に現実なのか夢なのかの疑いだったり。

最後まで一抹の不安感を残して、世界そのものに不確かなゆらぎを感じさせる。

 

本作の場合だと、役に立たないガラクタに、隠された意味があるように思える…っていかにもパラノイア的妄想の典型でもあるんですよね。

陰謀に巻き込まれていて、常に誰かに見張られ、狙われている…という状況も含めて。

主人公の妄想であるような含みを少し残せば、もうちょっとディックっぽい不確かな世界観になったんじゃないかと思うんだけど。

ジョン・ウーはそういうのにはまったく興味はないみたいです。

③脱線の思考実験

ところで、ここからは完全な脱線話なんですが。

みなさん、3年間の記憶とひきかえに、たとえば10億円もらえるとしたら、引き受けますか?

3年間、何かの仕事をする。それは法律に触れるとか、ヤバイものではないとする。また、映画みたいに後で裏切られたりってこともなく、確実に10億円もらえるのだとして。

 

たとえば2020年5月の現時点でそれを受けたとしたら、今日寝て明日起きたら2023年5月になってて、通帳見てみると10億円振り込まれてる。

仕事をした記憶もないのに、大金が手に入ってる。そう考えると、めちゃくちゃおいしい話みたいなんだけど。

 

受けますか? 受けませんか? あなたならどっち?

 

自分だったら、答えは「受けない」です。

一見、とてもいい話に思えるんだけど、よくよく考えてみたら、これとても怖い話なんじゃないかと思うのです。

 

後からの視点で見ると、上のような構図になるけど、でも自分のリアルタイムの主観的には、明日以降も記憶は連続して続いて、生活していくわけですよね。

2020年6月も、7月も、普通に生活していく。そのなんらかの仕事をしているわけだけど、もちろんそれだけじゃなくて、食べたり、遊んだり、人とかかわったりもしている。

そんなふうに3年間暮らしていって、その間も記憶は積み重なっていくわけです。

そして、やがて2023年5月が近づいてきて、記憶を消される日が近づいてくる…。

 

その時、もうすぐ10億円もらえる、楽しみだなあ…なんて思いながら暮らしていると思うんだけど、でも、「もうすぐ」と思っているその自分は、決して10億円を手に入れることはできないんですよ。

だって、消されるわけだから。その記憶を持つ自分はどこにもつながらない。

10億円を手に入れるのは、3年前の自分からつながる記憶を持つ自分であって。

今ここで、「もうすぐだなあ、楽しみだなあ…」と思ってる自分は、決してその自分につながることはできないんですよね。

 

そう考えると、3年生きてきて3年の記憶を消されるというのは、それはもう死ぬこととどう違うんだ?ということになってくるわけです。

今の自分と記憶がつながらない自分を、自分と同一だと思えるか?という話にもなるかと思うんですが。

自分は消えるけど、別の自分が10億円受け取る。どっちも同じ自分だから、それで満足…と思えるのか?

こっちの自分があっちの自分につながらない以上、それは自分が死んで他人が10億円受け取ってるのと、何も違わないんじゃなかろうか。

 

ネットで話題になった「5億年ボタン」って話があるじゃないですか。あれと似た話だと思うんですが。

ボタンを押すと、何もない空間で5億年過ごさなくてはならない。でも記憶は消され、100万円もらえる。だから主観的には、何も起こらないのに100万円もらえるボタンに思える、という話なんだけど。

これ、押すか押さないか?の要点は、「5億年耐えられるか?」というところになってることが多いと思うんですが、本当の要点は「記憶が消される」の方じゃないかと思うんですよね。

 

だって、これ、ボタンを押した自分は必ず、「5億年我慢する自分」につながるんですよ。

でも、「5億年我慢した自分」は、「100万円もらえる自分」には絶対につながらないんですよ。だって、消されるから。

主観的には、「5億年前の自分」が100万円受け取るだけであって。今の自分は、ただ我慢だけしたあげく「消される」んですよね。

そう考えると、押すわけない…と思うはずなんですが。

 

でも、この思考実験の場合でも、「押す」と答える人は少なからずいるようなんですね。

5億年でさえそうだから、3年で10億円の場合は、躊躇なく押すと答える人も多いだろう…と思うんですが。

結局は、「自分」というものをどう捉えるかの問題になるかと思うんですけどね。

どうでしょう。あなたならどう考えますか?

 

 

 

短編「報酬」収録。