【神話科+α】月に導かれて
何故だろう…
自分が絶対に関わることはないと思っていたタイプの人たちと、今こうして毎日を過ごしているなんて…
そんな毎日を、僕自身が心地いいと感じているなんて…
「それ、癖なのか?」
「え?」
訳が解らなかった。
「作り笑いなんて、疲れるだろ」
そう言ってニッと笑ったかと思うと、あくびを噛み殺す彼。
友達にはなりたくない熱血タイプかと思ったら、そこで立ち入るのをやめてしまう。だからと言って、興味本意で遠巻きに見てくる野次馬とも違う。
犬飼隆文…。
「変な人ですね」
「そりゃどーもー」
「誉めてませんよ…」
彼は本当に変な人だった。一緒に居て、こんなに気楽な人は初めてだったのだから…。
「おーい、青空ぁー」
「何ですか?」
学園の特殊な授業や、半ば強引に始まった生徒会の活動や会長の扱いにも慣れ始めた頃だった。
「お前さぁ、確か生徒会役員だったよな?」
犬飼くんにそう尋ねられ、僕は一つ頷いた。
「えぇ。それがどうかしたんですか?」
「今日って、会議とか…仕事ないか?」
「そうですね…急ぎの仕事はありませんが、雑務はあります」
「そっかー…」
彼は困ったように頭を掻いた。
「何か問題が?」
「いやな、今日部活はないんだけど、一年で自主練しようって話になっててな。そんであいつにも伝えといてやるかって…」
話の繋がりが見えず、少し考え込む。
「それが生徒会とどう…?」
「あぁ、悪い悪い。生徒会に、天文科の夜久って居るだろ」
ドキリと、心臓が緊張するのが感じられた。その時にはもう、あの笑顔に光を見るほどにはなっていたから。
「えぇ…月子さん、ですよね」
「おー親しげだな。そうそう」
ニカッと歯を見せて笑う彼に、心がざわめくのが抑えられない。彼が、彼女を好奇の目で見る下卑た連中とは違うことは容易に解る。彼女に対してだって、こうやって接しているのだろう。何かと気を張りがちなところが僕と似ている彼女にとっても、彼が気を許せる存在であることは想像に難くない。
「彼女と…どういう…?」
「あ? …はっは、何心配してんだよ! 別に俺はあいつを狙ったりしてねーよ」
「なっ…!」
「あいつが弓道部なのは知ってるだろ。…俺、部活仲間」
笑いながらさらりと言ってみせた彼に、僕の動きは完全に止まった。
「つまり、あなたが…弓道部員であると…?」
「おー」
弓道を実際に見たことはないが、ユニフォームである袴や的と弓矢くらいは想像できる。
しかし…それらと、今目の前に居る彼がどうしても結び付かない。
「意外でしたね…あなたは帰宅部だろうと思ってました」
「おいおいひでーな! お前って結構毒吐くよな!」
「僕だって相手は選びますよ。…それで、結局僕にどうして欲しいんですか?」
「お前なぁ…。まぁいいや、もし生徒会がないなら夜久も来たがるだろうと思ったんだが…なぁ、前半だけでも仕事抜けたりとかできないのか?」
「そうですね…先ほども申しましたが、急ぎではないので、大丈夫だと思いますよ」
「おっ、ホントか」
「えぇ。僕は授業後すぐに行きますので、彼女が来たら、練習のことを伝えて行かせますよ」
「頼めるか。サンキューな、青空!」
肩をポンと叩かれる。…意外に嫌じゃないなと気づく。
「さ、授業が始まりますよ。席についてください」
「おー。頼まれついでに俺にノート貸してくれよな」
「それは丁重にお断りしますね」
「ガビーン!」
すごすごと後ろの席につく彼を見て、視線を前に戻してから少しだけ笑みがこぼれる。笑うことが楽しいのは、多分に彼や彼女のお陰だろうと、そう思った。
「じゃ、俺は部活行くわ。夜久のこと、任せるな」
「えぇ」
放課後になり、僕たちは廊下で別れる。
生徒会室に入り、自分の雑務を片付けるためにファイルから書類を出し始めた。
「こんにちはー」
扉が静かに開き、彼女が顔を出す。
「こんにちは。お疲れさまです、月子さん」
「颯斗くん! いつも来るの早いよねー」
「ふふ、そうですか?」
「そうだよ! さ、今日も仕事頑張ろう!」
「あぁ…そのことですが…」
彼女が不思議そうに小首を傾げる。
「今日は、あなたは部活に行ってください」
「え?」
「弓道部の一年同士で自主練をするそうですから、行った方がいいですよ」
「そうなの? 知らなかった…でもなんで颯斗くんが」
「ふふ…犬飼くんから言伝てを頼まれまして」
彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに理解して笑った。
「そっか! 神話科だ!」
「えぇ」
彼女は本当によく笑う。僕のような作り笑いでも、犬飼くんのような含み笑いでもなく。言葉通り、全身で楽しんでいるのがよくわかる。
「伝言ありがとう。でも、仕事…」
「今日終わらせなければならないものもないですし、僕と会長で回しますよ。会長を居眠りさせなければいいんですから」
そう言って促すと、彼女は遠慮がちに僕を見上げた。
「じ…じゃあ、行かせてもらってもいい…?」
「もちろんです。しっかり練習してきてくださいね」
「うん! 頑張る! 颯斗くん、ありがとう!」
彼女は置きかけた鞄をもう一度持ち直し、僕に大きく手を振って、生徒会室を出ていった。
何事にも全力なのがよく分かる。弓道は高校から始めたばかりだそうだが、今は毎日、少しずつ上達するのが楽しくてたまらないんだろう。
「さて…会長に回す仕事を振り分けましょうか」
しばらくの間、一人で書類を片付けていると、生徒会室の扉が勢いよく開いた。
「おー! 遅くなってすまん!」
「遅すぎですよ…一樹会長」
中を覗いて、一樹会長は不審さを露にする。
「おい、月子はどうした?」
事の次第を話すと、会長は納得したように頷いた。
「なるほどなー」
「そういう訳ですので、会長? 目の前のその書類から、逃げ出さないでくださいね?」
会長の顔が蒼白になる。
「いや待て待て、この量だろ!? 俺一人じゃ無理だ、せめてお前も手伝え!」
「僕にだって仕事はあるんですよ?」
「…参ったな…久しぶりに決まった仕事ないから、これからの計画とか話そうと思ってたんだが…なぁ、やっぱ月子呼ぼうぜ。月子なら手伝ってくれるしな」
少しいじけた子供みたいに、会長が僕を見た。
「月子だって俺もお前も困ってるとなれば戻ってくる。何しろ俺がルールだからな!」
「ちょ…会長!?」
「そうと決まれば早速、俺が直々に月子を呼んでこないとな!」
「そんなこと言って…じっと出来ないだけでしょう」
僕はため息をついて、その場を立ち上がる。月子さんには諦めてもらうしか、会長を宥める方法がない。このままでは、残ってる仕事すらしてくれなくなりそうだ。
「分かりました…僕が彼女にお詫びを入れて、呼び戻してきますから…」
「ほんとか!? 颯斗!」
「仕方ないですね…ですから、僕たちが戻ってくるまでに、この山、一割でも片付けてください」
「おぅ! 任せろ!」
僕は小さくため息をついて、弓道場に向かうため、生徒会室を後にした。
弓道場に入るのは初めてだった。木造の趣ある建物が、なかなか風情を感じさせる。
入り口の戸を恐る恐る開き、道場へ続く板張りの廊下を進んでいく。
耳に、弓を引く音や的に当たる音が届く。知らずに背筋が伸びてしまっている自分に気づいた。そういえば彼女はいつも姿勢がいいと思い出して、苦笑する。
「失礼します…」
道場の戸を開く。
目を奪われていた。
中に居るのは三人。自主練なのだから全員一年だろう。
二人は分かる。月子さんと犬飼くん。二人が弓道をしている姿を始めて目にした。月子さんは予想通り、一所懸命さが滲み出ている。意外なことに、犬飼くんは普段見せたことがないほど鋭い瞳。彼にも真剣になるものはあるのだと、妙に納得してしまう。
と、一射終えた犬飼くんがこちらを見て、僕に気づいた。
「あれ? 青空じゃねーか!」
彼は僕の前に駆け寄ってくる。
「どうしたんだよ?」
「それが…うちの会長の独断で、月子さんを返していただかなくてはならなくなりまして…」
「はぁ?」
僕は手短に会長の要求を伝える。
「なるほどねぇ…あの会長もなかなか独占欲が強い…」
「実に申し訳ないです」
「ま、こっちもイレギュラーだししょうがねーか。…おーい、夜久ぁー!」
月子さんが犬飼くんの声で始めてこちらを見る。
「えっ…颯斗くん!?」
月子さんの驚いた声で、奥で同じく一心に弓を引いていた一人の男子生徒も、手を止める。心から申し訳ない気持ちが沸き上がる。
「…誰だ?」
「生徒会副会長の颯斗くんだよ。どうしたんだろ? ちょっと行ってくるね」
二人は軽く言葉を交わし、月子さんはこちらに来る。僕はもう一度、同じ説明を繰り返した。
「そっか…もっと練習してたいけど、これからの予定を決めるんだったら、わたしが行かないわけにはいかないよね」
「そうですね…申し訳ないです」
「ううん、平気! 自主練はまた時間を見つけてやるし!」
「おー、また時間組むから皆でやろうぜ」
犬飼くんが愉快そうに笑う。
「ありがとう。じゃあ、着替えてくるね!」
月子さんがパタパタと去っていく。
「ねぇ、犬飼くん、彼も一年ですか?」
「あ? あぁ、そうだよ。宮地っていうんだ。クラスは星座科」
僕たちが話してる間も、気にも留めずに弓を引いていた。しかもほとんど外さない。立ち居振舞いから真面目さがうかがえる。
「宮地くん、ですか…。彼には弓道がよく似合いますね」
「ははっ、あいつにはいい誉め言葉だな。折角だから、声かけていけよ。おーい宮地ー!」
「あっ、ちょっと…」
犬飼くんの呼び掛けに、彼…宮地くんはこちらに向かってきてくれる。
「なんだ? 犬飼」
「うちのお姫様を拐っていくお詫びをしたいんだそうだ」
「はい!?」
犬飼くんはにやりとして、僕の肩を叩く。
「は、はじめまして…生徒会副会長で神話科一年の青空颯斗といいます」
「俺は星座科一年、宮地龍之介だ。以後、よろしく」
「あの、今日は折角の自主練に水を差してすみません…うちの会長が横暴で…どうしても、月子さんの力が必要だと…」
宮地くんは少し微笑んで、口を開いた。今までの険しい表情からは想像もつかないほど、笑顔は穏やかだった。もちろん僕の作り笑いとは全く違う。
「あいつが皆に必要とされてるのは分かっている。気にする必要はない。それにあいつはいつだって、やりたいことは自分で選択している。誰かに強制されて動くはずはない。だから今から生徒会に戻るのも、あいつの選択の結果だ」
あぁ、この人は月子さんのことをよく分かっている。
「そうですね…ありがとうございます。今度お詫びに、弓道部の皆さんに何か差し入れますね。宮地くんは何か好きなものはありますか?」
「これからの時期はアイスだろ! アイスアイス!」
犬飼くんが口を挟むが、僕の意識はその直後の宮地くんの台詞にすべて奪われた。
「そうだな…アイスもいいが、俺はやっぱりケーキがいい。もしアイスにしてくれるなら、俺はバニラを頼む」
「え…?」
「宮地、お前なぁ…」
犬飼くんが笑いをこらえきれずに吹き出す。
「な、なんだ、何が可笑しいんだ」
「いやー? 青空がお前のことを結構誤解しているようだったからさ? うまいこと本性見せてくれたなーと…ぶはは」
そして犬飼くんは、もう一度僕の肩を叩く。
「そんなわけで、一見堅物な宮地だって、こういうスイーツ(笑)なところがあるんだし、な?」
入学直後に言われたことを思い出して、僕はまた彼の優しさに気づく。
「…宮地くん、僕も甘いものが好きです。今度ぜひ、美味しいお菓子を差し入れさせてくださいね」
「本当か!? それは嬉しい。楽しみにしている」
彼とは、犬飼くんと違った方面で仲良くなれそうだ。そう思った。
「お待たせ! あれ、みんなどうしたの?」
制服姿に戻った月子さんを見て、僕は二人に一礼する。
「長居をしました。では、月子さんを借りていきますね」
「おー」
「あぁ。夜久、頑張ってこいよ」
「うん! 行ってきます!」
弓道場を後にする。校舎に向かいながら、僕は思わず彼女に言っていた。
「あなたは、いい部活に入りましたね」
そして彼女は笑顔で頷く。
「うん!」
僕たちは二人笑顔で、生徒会室への道を歩き出した。
自分が絶対に関わることはないと思っていたタイプの人たちと、今こうして毎日を過ごしているなんて…
そんな毎日を、僕自身が心地いいと感じているなんて…
「それ、癖なのか?」
「え?」
訳が解らなかった。
「作り笑いなんて、疲れるだろ」
そう言ってニッと笑ったかと思うと、あくびを噛み殺す彼。
友達にはなりたくない熱血タイプかと思ったら、そこで立ち入るのをやめてしまう。だからと言って、興味本意で遠巻きに見てくる野次馬とも違う。
犬飼隆文…。
「変な人ですね」
「そりゃどーもー」
「誉めてませんよ…」
彼は本当に変な人だった。一緒に居て、こんなに気楽な人は初めてだったのだから…。
「おーい、青空ぁー」
「何ですか?」
学園の特殊な授業や、半ば強引に始まった生徒会の活動や会長の扱いにも慣れ始めた頃だった。
「お前さぁ、確か生徒会役員だったよな?」
犬飼くんにそう尋ねられ、僕は一つ頷いた。
「えぇ。それがどうかしたんですか?」
「今日って、会議とか…仕事ないか?」
「そうですね…急ぎの仕事はありませんが、雑務はあります」
「そっかー…」
彼は困ったように頭を掻いた。
「何か問題が?」
「いやな、今日部活はないんだけど、一年で自主練しようって話になっててな。そんであいつにも伝えといてやるかって…」
話の繋がりが見えず、少し考え込む。
「それが生徒会とどう…?」
「あぁ、悪い悪い。生徒会に、天文科の夜久って居るだろ」
ドキリと、心臓が緊張するのが感じられた。その時にはもう、あの笑顔に光を見るほどにはなっていたから。
「えぇ…月子さん、ですよね」
「おー親しげだな。そうそう」
ニカッと歯を見せて笑う彼に、心がざわめくのが抑えられない。彼が、彼女を好奇の目で見る下卑た連中とは違うことは容易に解る。彼女に対してだって、こうやって接しているのだろう。何かと気を張りがちなところが僕と似ている彼女にとっても、彼が気を許せる存在であることは想像に難くない。
「彼女と…どういう…?」
「あ? …はっは、何心配してんだよ! 別に俺はあいつを狙ったりしてねーよ」
「なっ…!」
「あいつが弓道部なのは知ってるだろ。…俺、部活仲間」
笑いながらさらりと言ってみせた彼に、僕の動きは完全に止まった。
「つまり、あなたが…弓道部員であると…?」
「おー」
弓道を実際に見たことはないが、ユニフォームである袴や的と弓矢くらいは想像できる。
しかし…それらと、今目の前に居る彼がどうしても結び付かない。
「意外でしたね…あなたは帰宅部だろうと思ってました」
「おいおいひでーな! お前って結構毒吐くよな!」
「僕だって相手は選びますよ。…それで、結局僕にどうして欲しいんですか?」
「お前なぁ…。まぁいいや、もし生徒会がないなら夜久も来たがるだろうと思ったんだが…なぁ、前半だけでも仕事抜けたりとかできないのか?」
「そうですね…先ほども申しましたが、急ぎではないので、大丈夫だと思いますよ」
「おっ、ホントか」
「えぇ。僕は授業後すぐに行きますので、彼女が来たら、練習のことを伝えて行かせますよ」
「頼めるか。サンキューな、青空!」
肩をポンと叩かれる。…意外に嫌じゃないなと気づく。
「さ、授業が始まりますよ。席についてください」
「おー。頼まれついでに俺にノート貸してくれよな」
「それは丁重にお断りしますね」
「ガビーン!」
すごすごと後ろの席につく彼を見て、視線を前に戻してから少しだけ笑みがこぼれる。笑うことが楽しいのは、多分に彼や彼女のお陰だろうと、そう思った。
「じゃ、俺は部活行くわ。夜久のこと、任せるな」
「えぇ」
放課後になり、僕たちは廊下で別れる。
生徒会室に入り、自分の雑務を片付けるためにファイルから書類を出し始めた。
「こんにちはー」
扉が静かに開き、彼女が顔を出す。
「こんにちは。お疲れさまです、月子さん」
「颯斗くん! いつも来るの早いよねー」
「ふふ、そうですか?」
「そうだよ! さ、今日も仕事頑張ろう!」
「あぁ…そのことですが…」
彼女が不思議そうに小首を傾げる。
「今日は、あなたは部活に行ってください」
「え?」
「弓道部の一年同士で自主練をするそうですから、行った方がいいですよ」
「そうなの? 知らなかった…でもなんで颯斗くんが」
「ふふ…犬飼くんから言伝てを頼まれまして」
彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに理解して笑った。
「そっか! 神話科だ!」
「えぇ」
彼女は本当によく笑う。僕のような作り笑いでも、犬飼くんのような含み笑いでもなく。言葉通り、全身で楽しんでいるのがよくわかる。
「伝言ありがとう。でも、仕事…」
「今日終わらせなければならないものもないですし、僕と会長で回しますよ。会長を居眠りさせなければいいんですから」
そう言って促すと、彼女は遠慮がちに僕を見上げた。
「じ…じゃあ、行かせてもらってもいい…?」
「もちろんです。しっかり練習してきてくださいね」
「うん! 頑張る! 颯斗くん、ありがとう!」
彼女は置きかけた鞄をもう一度持ち直し、僕に大きく手を振って、生徒会室を出ていった。
何事にも全力なのがよく分かる。弓道は高校から始めたばかりだそうだが、今は毎日、少しずつ上達するのが楽しくてたまらないんだろう。
「さて…会長に回す仕事を振り分けましょうか」
しばらくの間、一人で書類を片付けていると、生徒会室の扉が勢いよく開いた。
「おー! 遅くなってすまん!」
「遅すぎですよ…一樹会長」
中を覗いて、一樹会長は不審さを露にする。
「おい、月子はどうした?」
事の次第を話すと、会長は納得したように頷いた。
「なるほどなー」
「そういう訳ですので、会長? 目の前のその書類から、逃げ出さないでくださいね?」
会長の顔が蒼白になる。
「いや待て待て、この量だろ!? 俺一人じゃ無理だ、せめてお前も手伝え!」
「僕にだって仕事はあるんですよ?」
「…参ったな…久しぶりに決まった仕事ないから、これからの計画とか話そうと思ってたんだが…なぁ、やっぱ月子呼ぼうぜ。月子なら手伝ってくれるしな」
少しいじけた子供みたいに、会長が僕を見た。
「月子だって俺もお前も困ってるとなれば戻ってくる。何しろ俺がルールだからな!」
「ちょ…会長!?」
「そうと決まれば早速、俺が直々に月子を呼んでこないとな!」
「そんなこと言って…じっと出来ないだけでしょう」
僕はため息をついて、その場を立ち上がる。月子さんには諦めてもらうしか、会長を宥める方法がない。このままでは、残ってる仕事すらしてくれなくなりそうだ。
「分かりました…僕が彼女にお詫びを入れて、呼び戻してきますから…」
「ほんとか!? 颯斗!」
「仕方ないですね…ですから、僕たちが戻ってくるまでに、この山、一割でも片付けてください」
「おぅ! 任せろ!」
僕は小さくため息をついて、弓道場に向かうため、生徒会室を後にした。
弓道場に入るのは初めてだった。木造の趣ある建物が、なかなか風情を感じさせる。
入り口の戸を恐る恐る開き、道場へ続く板張りの廊下を進んでいく。
耳に、弓を引く音や的に当たる音が届く。知らずに背筋が伸びてしまっている自分に気づいた。そういえば彼女はいつも姿勢がいいと思い出して、苦笑する。
「失礼します…」
道場の戸を開く。
目を奪われていた。
中に居るのは三人。自主練なのだから全員一年だろう。
二人は分かる。月子さんと犬飼くん。二人が弓道をしている姿を始めて目にした。月子さんは予想通り、一所懸命さが滲み出ている。意外なことに、犬飼くんは普段見せたことがないほど鋭い瞳。彼にも真剣になるものはあるのだと、妙に納得してしまう。
と、一射終えた犬飼くんがこちらを見て、僕に気づいた。
「あれ? 青空じゃねーか!」
彼は僕の前に駆け寄ってくる。
「どうしたんだよ?」
「それが…うちの会長の独断で、月子さんを返していただかなくてはならなくなりまして…」
「はぁ?」
僕は手短に会長の要求を伝える。
「なるほどねぇ…あの会長もなかなか独占欲が強い…」
「実に申し訳ないです」
「ま、こっちもイレギュラーだししょうがねーか。…おーい、夜久ぁー!」
月子さんが犬飼くんの声で始めてこちらを見る。
「えっ…颯斗くん!?」
月子さんの驚いた声で、奥で同じく一心に弓を引いていた一人の男子生徒も、手を止める。心から申し訳ない気持ちが沸き上がる。
「…誰だ?」
「生徒会副会長の颯斗くんだよ。どうしたんだろ? ちょっと行ってくるね」
二人は軽く言葉を交わし、月子さんはこちらに来る。僕はもう一度、同じ説明を繰り返した。
「そっか…もっと練習してたいけど、これからの予定を決めるんだったら、わたしが行かないわけにはいかないよね」
「そうですね…申し訳ないです」
「ううん、平気! 自主練はまた時間を見つけてやるし!」
「おー、また時間組むから皆でやろうぜ」
犬飼くんが愉快そうに笑う。
「ありがとう。じゃあ、着替えてくるね!」
月子さんがパタパタと去っていく。
「ねぇ、犬飼くん、彼も一年ですか?」
「あ? あぁ、そうだよ。宮地っていうんだ。クラスは星座科」
僕たちが話してる間も、気にも留めずに弓を引いていた。しかもほとんど外さない。立ち居振舞いから真面目さがうかがえる。
「宮地くん、ですか…。彼には弓道がよく似合いますね」
「ははっ、あいつにはいい誉め言葉だな。折角だから、声かけていけよ。おーい宮地ー!」
「あっ、ちょっと…」
犬飼くんの呼び掛けに、彼…宮地くんはこちらに向かってきてくれる。
「なんだ? 犬飼」
「うちのお姫様を拐っていくお詫びをしたいんだそうだ」
「はい!?」
犬飼くんはにやりとして、僕の肩を叩く。
「は、はじめまして…生徒会副会長で神話科一年の青空颯斗といいます」
「俺は星座科一年、宮地龍之介だ。以後、よろしく」
「あの、今日は折角の自主練に水を差してすみません…うちの会長が横暴で…どうしても、月子さんの力が必要だと…」
宮地くんは少し微笑んで、口を開いた。今までの険しい表情からは想像もつかないほど、笑顔は穏やかだった。もちろん僕の作り笑いとは全く違う。
「あいつが皆に必要とされてるのは分かっている。気にする必要はない。それにあいつはいつだって、やりたいことは自分で選択している。誰かに強制されて動くはずはない。だから今から生徒会に戻るのも、あいつの選択の結果だ」
あぁ、この人は月子さんのことをよく分かっている。
「そうですね…ありがとうございます。今度お詫びに、弓道部の皆さんに何か差し入れますね。宮地くんは何か好きなものはありますか?」
「これからの時期はアイスだろ! アイスアイス!」
犬飼くんが口を挟むが、僕の意識はその直後の宮地くんの台詞にすべて奪われた。
「そうだな…アイスもいいが、俺はやっぱりケーキがいい。もしアイスにしてくれるなら、俺はバニラを頼む」
「え…?」
「宮地、お前なぁ…」
犬飼くんが笑いをこらえきれずに吹き出す。
「な、なんだ、何が可笑しいんだ」
「いやー? 青空がお前のことを結構誤解しているようだったからさ? うまいこと本性見せてくれたなーと…ぶはは」
そして犬飼くんは、もう一度僕の肩を叩く。
「そんなわけで、一見堅物な宮地だって、こういうスイーツ(笑)なところがあるんだし、な?」
入学直後に言われたことを思い出して、僕はまた彼の優しさに気づく。
「…宮地くん、僕も甘いものが好きです。今度ぜひ、美味しいお菓子を差し入れさせてくださいね」
「本当か!? それは嬉しい。楽しみにしている」
彼とは、犬飼くんと違った方面で仲良くなれそうだ。そう思った。
「お待たせ! あれ、みんなどうしたの?」
制服姿に戻った月子さんを見て、僕は二人に一礼する。
「長居をしました。では、月子さんを借りていきますね」
「おー」
「あぁ。夜久、頑張ってこいよ」
「うん! 行ってきます!」
弓道場を後にする。校舎に向かいながら、僕は思わず彼女に言っていた。
「あなたは、いい部活に入りましたね」
そして彼女は笑顔で頷く。
「うん!」
僕たちは二人笑顔で、生徒会室への道を歩き出した。