【錫也】贖罪【一樹】
「月子」
授業が終わり、俺はいつも通りに月子の傍に行った。
「今日、哉太の課題を見てやるんだけど、お前も来ないか?」
月子は多忙だ。部活に保健委員に生徒会…。放課後を三人で過ごすことは減ったと思う。
俺も頑張る月子を邪魔したい訳ではないので、今日の誘いも、この日は何も予定がないことをわかった上でのものだ。それなら月子も、何の気兼ねもなく俺たちに付き合ってくれる。
「錫也…えーっと…」
目を泳がせる月子。
「都合悪かった? でもいつもなら…」
「あのね、会長の手伝いを…頼まれてて…」
「…生徒会長の?」
多分、俺の感情の変化を、俺の表情は汲み取らなかったんだろう。彼女には俺が感じ始めた軽い嫉妬心など見えていない。
「うん。だからごめん、今日は生徒会室に行くね」
「あぁ…分かったよ。お前も解らないところがあったら、いつでも聞くんだぞ」
「ありがとう! さすが錫也!」
月子はいつもと変わらない笑顔を向け、鞄を抱えて教室を出ていった。
「…おー、錫也」
「哉太。…月子は生徒会の用事だってさ」
淡々と言ったつもりが、哉太に頬をつつかれる。
「お前、顔すげぇ怖いぞ」
「え…」
「落ち着けよ。あいつを困らせたくないんだろ?」
「あぁ…でも、あいつが傷つくことが分かってるのに…黙って送り出すしかないなんてな…」
哉太は少し考えて、思い至ったように頷く。
「不知火先輩、か…。お前、まだ赦せないのかよ」
赦せるはずがない。
俺は誰かが月子を傷つけることを、赦せるはずがないんだ。
最近の月子が、俺たちには見せなかった表情をするようになったことに、俺は気づいていた。それが決まって、同じ人物について語るときに見せるものであることも。
幼馴染みとして、悪い虫からはずっと守ってきた。だからこそ、あいつが自分で選んだ男なら、認めてやりたいとも思ってた。
だが、あの男だけは…。
「あの人だけは、月子の人生に関わらせたくない…」
無意識に、握りこぶしに力を込めていた。己の爪が己の皮膚を痛め付けるほどに。
「…あーあー、アイツ、星座早見表置いていってるぜ。今日の課題どうするつもりだよー」
哉太の声に我に返る。
「なぁ?」
「ははっ。…届けに行ってやろう」
俺は月子の机の横にかかっていた手提げを取った。
「哉太、お前は先に図書館に行って、席でも取っておいてくれないか?」
「あー?」
「お前は教えてもらう立場だろ?」
「…わーったよ!」
哉太はつまらなそうにしながらも、自身の鞄を手に教室を後にした。
俺も生徒会室へ向けて歩き出す。
扉の前に立ち、ノックをする直前で手が止まる。
「…こうですか?」
「そうだ…やれば出来るんじゃないか」
「会長…バカにしてますか?」
「違う違う、可愛がってるんだよ」
室内から聞こえる会話。俺は頭を左右に振って雑念を払い、扉を少し強めに叩いてから、遠慮なく開いた。
「月子!」
「…錫也!?」
見ると、机にノートを広げる月子の背後に張り付くように、生徒会長が立っている。
俺の頭から、穏やかさを保つための余裕が消え去った。
「…どういうことだ?」
「え…」
「生徒会の仕事をしに行ったんだろう? 何で月子が課題を見てもらってるんだ?」
月子は少し驚いたような顔をする。まるでこんなことを怒られるとは思っていなかったみたいに。
「颯斗くんが来るまで待ってて…それで、課題の話になって…」
「で? 東月はどうしたんだ?」
生徒会長が口を挟むことで、俺の余裕がどんどんなくなっていく。
「月子の忘れ物を…届けに来ただけです」
月子は俺の持つ手提げに気づいて、駆け寄ってくる。
「あっ! 早見表!」
「あぁ。課題で要るだろ?」
「ありがとー、錫也!」
月子に手提げを手渡し、頭をポンポンと叩く。
「全く、そそっかしいな」
その様子を見ていた会長の苦笑いに、月子がむくれる。
「だって…早く生徒会室行きたいって…」
月子の瞳が、一人の女性の艶めきを持った。俺は自分に向けられたわけでもないのに、目を離せなくなる。
対して生徒会長は、困ったような顔をして、月子から目を逸らす。
「…そんなに働きたかったのか、感心感心」
明らかにごまかしの返答をして、生徒会長は自分の席につく。
「かいちょ…」
「月子ッ!」
生徒会長に伸ばしていた月子の腕を掴んで、そのまま生徒会室を飛び出していた。
「ちょっと、錫也っ!? 離してっ…」
階段の踊り場で、我に返る。月子もその手を振り払った。
呆然とする俺を見て、月子の瞳が不安そうに揺れる。
「…錫也…?」
「…ごめん、月子…だけど…」
今度はゆっくりと、月子の肩に触れた。月子も逃げることなく、俺たちは正面から向かい合う。
「あの人だけは…ダメだ…」
月子の表情が険しくなる。
「どうして」
「あの人は…月子を幸せにできない…」
「そんなの…錫也が決めることじゃないもん!」
「どうしてもダメだ! 月子が不幸になる!」
月子が身をよじって、俺から離れた。
「錫也は…応援してくれると思ってたのに…」
「おい、月子」
階段の上から降ってきた声に、俺たちは顔を上げた。
「会長…」
「何してるんだ、颯斗が来たぞ。…仕事だ」
「は…はい」
再び階段を上がりかけた月子の手首を、一度だけ掴む。
「月子…ダメだ、あの人は…」
「錫也の…バカ…」
俺の手から力が抜け、月子が俺から遠ざかっていく。
一人取り残された俺は、踊り場に座り込んでいた。
子供みたいな我儘だって解ってる。月子が本気で不知火一樹を愛してることくらい、解ってる。そして、その男も月子を愛してることだって、ちゃんと解ってるんだ。
だが、過去の事件は…。
不知火一樹が関わったことで不良連中に目をつけられ、月子は夜の廃倉庫に軟禁された。
あの事件で月子は暗闇にトラウマを負い、自らその前後の記憶を放棄した。だから月子は、不知火一樹のことを覚えていなかった。あの男も、初対面として接している。
だからこそ、あの男は月子と正面から向かい合えはしない。あの男と関わることで傷つくことが分かってる月子を、そのままにはしておけないんだ。
俺は力なく立ち上がり、図書館へ向かった。
哉太には随分とひどい顔だと笑われたが、しばらく戻りそうもない。
哉太の補習課題を粗方片付け、哉太と図書館前で別れる。
「俺は、あいつが選んで決めたことなら応援してやろうって、思ってる。錫也だって、本当は…」
「あぁ…解ってる」
哉太を見送り、ふと校舎に目をやり、俺は歩き出した。
まだ明かりのついている最上階の一角。俺はそこを目指した。
夕方とは打って変わって、静かにノックして、扉を開く。
「…失礼、します」
月子の姿はない。中では、不知火一樹が一人、書類を繰っていた。
「…月子ならもう帰したぞ」
「えぇ。そのようですね。こんな時間まで拘束してるのかと思って慌てて来たんですが」
性格の悪い返答だとは思ったが、口をついて出ていた。
しかし生徒会長は気にするでもなく、軽く微笑む。もちろん書類から顔は上げない。
「お前は本当に、月子が大切なんだな」
「あなたは違うとでも?」
「そうだな」
最後の書類を捲り、疲れをほぐすように伸びをする。
「俺はあいつの傍に居てはいけない。あいつを悲しませる。だから、俺はあいつを遠ざける」
「いい身分ですね。俺は候補にも入れてもらえないのに…あなたは平気な顔して嘘をついて、あいつを傷つけて…」
「俺はそんなつもりじゃ」
「笑えばいいじゃないか。ずっと守ってきた俺を嘲笑って、月子を奪っていけば…」
「見くびるなよ。あいつにとってお前たちが俺以上にかげがえない存在だってことくらい解ってる。お前たちが喜んでくれなきゃ、あいつも心から喜べないんだよ…だからダメなんだ」
「解ったようなことを…!」
声を荒らげ、詰め寄る。
「お前のせいで、あいつは記憶を失うことになったのに…! 何でまた…あいつはお前のことを…!」
「……」
「何で…あいつを傍に置くような真似をした…」
月子が生徒会に入らなければ、なんて、考えてしまう。
不知火一樹は少し考えて、ゆっくりと顔を上げた。
「俺には、あいつがここに居る未来が見えたからだ」
普通なら気の振れた発言だが、この男が言うことには妙な説得力があった。
「星詠みの…力…」
「あぁ。星月学園をよくしていくために、月子の力は必要不可欠だった。だから俺は、あいつを生徒会に入れた」
「…今は、それだけじゃないだろ」
俺の口をついて出た言葉に、不知火一樹は首をかしげた。
「ごまかすなよ。さっき認めただろう。お前は月子を愛してる…違うか?」
不知火一樹は俯いて、表情を険しくした。
「結局のところ、月子に中途半端に近づいて、お前はさらに傷つけてるんだよ。妙に期待させて…自分は逃げて…あんたは卑怯だ…!」
「そうかも…しれないな…」
「俺はこれからも、あなたを赦せないと思います。だけど、月子の心の中から、あなたを消し去るほどの力は…俺にはない…」
月子の幸せそうな笑顔が浮かぶ。楽しそうに生徒会の活動を話す月子。いつの間にか会長の話になっている月子。
不知火一樹と居ると不幸になるなんてのは、俺のエゴでしかない。月子の幸せには、この男が必要なんだ。
「なんで逃げるんだよ…」
俺は、不知火一樹の胸ぐらを掴んだ。
「月子の気持ちも知ってるくせに、なんで遠ざけるんだよ! 好きなら向かい合えよ! 卑怯なんだよ…お前は…!」
「もしあいつが…過去を思い出したら…」
この尊大な男からは想像もつかないくらい、気弱な表情。
俺はこの時、確かに思っていた。
この男は心の底から優しくて、俺が憎んでる以上に自分自身を憎んでる。
俺に気を遣ってるなんてのは建前で、この人自身が一番自分を赦せてない。だから踏み出せない…
「やっぱりあんたは…卑怯者だ」
俺は掴んでいた手に力を込めた。
「月子を甘く見てもらっちゃ困る。あいつは人の過去くらいで好き嫌いを決める奴じゃない。あいつが信じたお前を…信じてやってくれよ…」
「東月…」
手から力が抜け、俺は大きく息を吐いた。
「あんただって…月子が中途半端な気持ちじゃないことくらい解ってるはずだ。実はあんたがとんでもないお人好しなことも、星詠みの力のせいでとんでもない過去を負ってることも、あいつはちゃんと解ってる」
俺が顔を上げて映る不知火一樹の瞳には、少しの曇りもなかった。
「月子の心は、たぶんあんたとの最初の出会いから、何も変わっちゃいない」
「…正直、驚いてるよ」
「え?」
思いがけない返答に戸惑う。
「東月は俺のことが嫌いなのに、そうやって評価してくれることが…」
俺は、本当に自然に、笑みをこぼしていた。それは自分でも意外なほどに。
「もちろん嫌いです。嫌いだし憎んでるし、絶対に赦せない」
「手厳しいな」
「けど…あんたは心から月子を愛してて、月子もきっと…とにかく、あいつの幸せが俺の幸せだっていう気持ちには偽りはない。あいつの幸せにはあんたが必要なんだ」
俺は生徒会室を出るため、背を向けた。
「だから苦しいんだ…。だが、あんたが自分の気持ちをこれ以上偽って月子を傷つけるなら、俺はもう二度と、あんたを赦さない」
あとはもう何も言わず、俺は生徒会室を出た。
これはあいつの贖罪じゃない。
俺自身の、贖罪なんだ…
授業が終わり、俺はいつも通りに月子の傍に行った。
「今日、哉太の課題を見てやるんだけど、お前も来ないか?」
月子は多忙だ。部活に保健委員に生徒会…。放課後を三人で過ごすことは減ったと思う。
俺も頑張る月子を邪魔したい訳ではないので、今日の誘いも、この日は何も予定がないことをわかった上でのものだ。それなら月子も、何の気兼ねもなく俺たちに付き合ってくれる。
「錫也…えーっと…」
目を泳がせる月子。
「都合悪かった? でもいつもなら…」
「あのね、会長の手伝いを…頼まれてて…」
「…生徒会長の?」
多分、俺の感情の変化を、俺の表情は汲み取らなかったんだろう。彼女には俺が感じ始めた軽い嫉妬心など見えていない。
「うん。だからごめん、今日は生徒会室に行くね」
「あぁ…分かったよ。お前も解らないところがあったら、いつでも聞くんだぞ」
「ありがとう! さすが錫也!」
月子はいつもと変わらない笑顔を向け、鞄を抱えて教室を出ていった。
「…おー、錫也」
「哉太。…月子は生徒会の用事だってさ」
淡々と言ったつもりが、哉太に頬をつつかれる。
「お前、顔すげぇ怖いぞ」
「え…」
「落ち着けよ。あいつを困らせたくないんだろ?」
「あぁ…でも、あいつが傷つくことが分かってるのに…黙って送り出すしかないなんてな…」
哉太は少し考えて、思い至ったように頷く。
「不知火先輩、か…。お前、まだ赦せないのかよ」
赦せるはずがない。
俺は誰かが月子を傷つけることを、赦せるはずがないんだ。
最近の月子が、俺たちには見せなかった表情をするようになったことに、俺は気づいていた。それが決まって、同じ人物について語るときに見せるものであることも。
幼馴染みとして、悪い虫からはずっと守ってきた。だからこそ、あいつが自分で選んだ男なら、認めてやりたいとも思ってた。
だが、あの男だけは…。
「あの人だけは、月子の人生に関わらせたくない…」
無意識に、握りこぶしに力を込めていた。己の爪が己の皮膚を痛め付けるほどに。
「…あーあー、アイツ、星座早見表置いていってるぜ。今日の課題どうするつもりだよー」
哉太の声に我に返る。
「なぁ?」
「ははっ。…届けに行ってやろう」
俺は月子の机の横にかかっていた手提げを取った。
「哉太、お前は先に図書館に行って、席でも取っておいてくれないか?」
「あー?」
「お前は教えてもらう立場だろ?」
「…わーったよ!」
哉太はつまらなそうにしながらも、自身の鞄を手に教室を後にした。
俺も生徒会室へ向けて歩き出す。
扉の前に立ち、ノックをする直前で手が止まる。
「…こうですか?」
「そうだ…やれば出来るんじゃないか」
「会長…バカにしてますか?」
「違う違う、可愛がってるんだよ」
室内から聞こえる会話。俺は頭を左右に振って雑念を払い、扉を少し強めに叩いてから、遠慮なく開いた。
「月子!」
「…錫也!?」
見ると、机にノートを広げる月子の背後に張り付くように、生徒会長が立っている。
俺の頭から、穏やかさを保つための余裕が消え去った。
「…どういうことだ?」
「え…」
「生徒会の仕事をしに行ったんだろう? 何で月子が課題を見てもらってるんだ?」
月子は少し驚いたような顔をする。まるでこんなことを怒られるとは思っていなかったみたいに。
「颯斗くんが来るまで待ってて…それで、課題の話になって…」
「で? 東月はどうしたんだ?」
生徒会長が口を挟むことで、俺の余裕がどんどんなくなっていく。
「月子の忘れ物を…届けに来ただけです」
月子は俺の持つ手提げに気づいて、駆け寄ってくる。
「あっ! 早見表!」
「あぁ。課題で要るだろ?」
「ありがとー、錫也!」
月子に手提げを手渡し、頭をポンポンと叩く。
「全く、そそっかしいな」
その様子を見ていた会長の苦笑いに、月子がむくれる。
「だって…早く生徒会室行きたいって…」
月子の瞳が、一人の女性の艶めきを持った。俺は自分に向けられたわけでもないのに、目を離せなくなる。
対して生徒会長は、困ったような顔をして、月子から目を逸らす。
「…そんなに働きたかったのか、感心感心」
明らかにごまかしの返答をして、生徒会長は自分の席につく。
「かいちょ…」
「月子ッ!」
生徒会長に伸ばしていた月子の腕を掴んで、そのまま生徒会室を飛び出していた。
「ちょっと、錫也っ!? 離してっ…」
階段の踊り場で、我に返る。月子もその手を振り払った。
呆然とする俺を見て、月子の瞳が不安そうに揺れる。
「…錫也…?」
「…ごめん、月子…だけど…」
今度はゆっくりと、月子の肩に触れた。月子も逃げることなく、俺たちは正面から向かい合う。
「あの人だけは…ダメだ…」
月子の表情が険しくなる。
「どうして」
「あの人は…月子を幸せにできない…」
「そんなの…錫也が決めることじゃないもん!」
「どうしてもダメだ! 月子が不幸になる!」
月子が身をよじって、俺から離れた。
「錫也は…応援してくれると思ってたのに…」
「おい、月子」
階段の上から降ってきた声に、俺たちは顔を上げた。
「会長…」
「何してるんだ、颯斗が来たぞ。…仕事だ」
「は…はい」
再び階段を上がりかけた月子の手首を、一度だけ掴む。
「月子…ダメだ、あの人は…」
「錫也の…バカ…」
俺の手から力が抜け、月子が俺から遠ざかっていく。
一人取り残された俺は、踊り場に座り込んでいた。
子供みたいな我儘だって解ってる。月子が本気で不知火一樹を愛してることくらい、解ってる。そして、その男も月子を愛してることだって、ちゃんと解ってるんだ。
だが、過去の事件は…。
不知火一樹が関わったことで不良連中に目をつけられ、月子は夜の廃倉庫に軟禁された。
あの事件で月子は暗闇にトラウマを負い、自らその前後の記憶を放棄した。だから月子は、不知火一樹のことを覚えていなかった。あの男も、初対面として接している。
だからこそ、あの男は月子と正面から向かい合えはしない。あの男と関わることで傷つくことが分かってる月子を、そのままにはしておけないんだ。
俺は力なく立ち上がり、図書館へ向かった。
哉太には随分とひどい顔だと笑われたが、しばらく戻りそうもない。
哉太の補習課題を粗方片付け、哉太と図書館前で別れる。
「俺は、あいつが選んで決めたことなら応援してやろうって、思ってる。錫也だって、本当は…」
「あぁ…解ってる」
哉太を見送り、ふと校舎に目をやり、俺は歩き出した。
まだ明かりのついている最上階の一角。俺はそこを目指した。
夕方とは打って変わって、静かにノックして、扉を開く。
「…失礼、します」
月子の姿はない。中では、不知火一樹が一人、書類を繰っていた。
「…月子ならもう帰したぞ」
「えぇ。そのようですね。こんな時間まで拘束してるのかと思って慌てて来たんですが」
性格の悪い返答だとは思ったが、口をついて出ていた。
しかし生徒会長は気にするでもなく、軽く微笑む。もちろん書類から顔は上げない。
「お前は本当に、月子が大切なんだな」
「あなたは違うとでも?」
「そうだな」
最後の書類を捲り、疲れをほぐすように伸びをする。
「俺はあいつの傍に居てはいけない。あいつを悲しませる。だから、俺はあいつを遠ざける」
「いい身分ですね。俺は候補にも入れてもらえないのに…あなたは平気な顔して嘘をついて、あいつを傷つけて…」
「俺はそんなつもりじゃ」
「笑えばいいじゃないか。ずっと守ってきた俺を嘲笑って、月子を奪っていけば…」
「見くびるなよ。あいつにとってお前たちが俺以上にかげがえない存在だってことくらい解ってる。お前たちが喜んでくれなきゃ、あいつも心から喜べないんだよ…だからダメなんだ」
「解ったようなことを…!」
声を荒らげ、詰め寄る。
「お前のせいで、あいつは記憶を失うことになったのに…! 何でまた…あいつはお前のことを…!」
「……」
「何で…あいつを傍に置くような真似をした…」
月子が生徒会に入らなければ、なんて、考えてしまう。
不知火一樹は少し考えて、ゆっくりと顔を上げた。
「俺には、あいつがここに居る未来が見えたからだ」
普通なら気の振れた発言だが、この男が言うことには妙な説得力があった。
「星詠みの…力…」
「あぁ。星月学園をよくしていくために、月子の力は必要不可欠だった。だから俺は、あいつを生徒会に入れた」
「…今は、それだけじゃないだろ」
俺の口をついて出た言葉に、不知火一樹は首をかしげた。
「ごまかすなよ。さっき認めただろう。お前は月子を愛してる…違うか?」
不知火一樹は俯いて、表情を険しくした。
「結局のところ、月子に中途半端に近づいて、お前はさらに傷つけてるんだよ。妙に期待させて…自分は逃げて…あんたは卑怯だ…!」
「そうかも…しれないな…」
「俺はこれからも、あなたを赦せないと思います。だけど、月子の心の中から、あなたを消し去るほどの力は…俺にはない…」
月子の幸せそうな笑顔が浮かぶ。楽しそうに生徒会の活動を話す月子。いつの間にか会長の話になっている月子。
不知火一樹と居ると不幸になるなんてのは、俺のエゴでしかない。月子の幸せには、この男が必要なんだ。
「なんで逃げるんだよ…」
俺は、不知火一樹の胸ぐらを掴んだ。
「月子の気持ちも知ってるくせに、なんで遠ざけるんだよ! 好きなら向かい合えよ! 卑怯なんだよ…お前は…!」
「もしあいつが…過去を思い出したら…」
この尊大な男からは想像もつかないくらい、気弱な表情。
俺はこの時、確かに思っていた。
この男は心の底から優しくて、俺が憎んでる以上に自分自身を憎んでる。
俺に気を遣ってるなんてのは建前で、この人自身が一番自分を赦せてない。だから踏み出せない…
「やっぱりあんたは…卑怯者だ」
俺は掴んでいた手に力を込めた。
「月子を甘く見てもらっちゃ困る。あいつは人の過去くらいで好き嫌いを決める奴じゃない。あいつが信じたお前を…信じてやってくれよ…」
「東月…」
手から力が抜け、俺は大きく息を吐いた。
「あんただって…月子が中途半端な気持ちじゃないことくらい解ってるはずだ。実はあんたがとんでもないお人好しなことも、星詠みの力のせいでとんでもない過去を負ってることも、あいつはちゃんと解ってる」
俺が顔を上げて映る不知火一樹の瞳には、少しの曇りもなかった。
「月子の心は、たぶんあんたとの最初の出会いから、何も変わっちゃいない」
「…正直、驚いてるよ」
「え?」
思いがけない返答に戸惑う。
「東月は俺のことが嫌いなのに、そうやって評価してくれることが…」
俺は、本当に自然に、笑みをこぼしていた。それは自分でも意外なほどに。
「もちろん嫌いです。嫌いだし憎んでるし、絶対に赦せない」
「手厳しいな」
「けど…あんたは心から月子を愛してて、月子もきっと…とにかく、あいつの幸せが俺の幸せだっていう気持ちには偽りはない。あいつの幸せにはあんたが必要なんだ」
俺は生徒会室を出るため、背を向けた。
「だから苦しいんだ…。だが、あんたが自分の気持ちをこれ以上偽って月子を傷つけるなら、俺はもう二度と、あんたを赦さない」
あとはもう何も言わず、俺は生徒会室を出た。
これはあいつの贖罪じゃない。
俺自身の、贖罪なんだ…