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おはようございます鉄太郎です。

さて、本日はやや長いが真面目なお話でもいたしましょう。


共和党の米国のトランプ氏が大統領に再度立候補するかも知れません。

しかし、人種差別や女性軽視(不倫口止め等)で世間が騒がせている。(公判結審。有罪か無罪で...。)

日本から離れたアメリカの1968年は、どのような年でだったかというとオリンピックイヤー(メキシコオリンピック開催)でもあった。

アメリカでは「人種差別」が大きく取り上げられた時代でもある。

1968年、4月にマーティン・ルーサー・キング牧師、その2か月後の6月にロバート・ケネディが暗殺された年でもあった。

当時、アメリカではベトナム戦争に対する反戦運動が高まり、多くの都市で学生運動や反戦運動が起こり人種差別にてが暴動で衝突して多くの人命が落とされていた。

米国がそんな変動の中にあったその年、メキシコオリンピックの最中、1968年10月17日メダル授与のために表彰台に上がった2人のアメリカ人が史上に残るある行為を行った。

男子200m競争を世界記録で優勝したトミー・スミス(金メダル...アメリカ)と3位に輝いたジョン・カーロス(銅メダル...アメリカ)が、アメリカ表彰台で国歌が流れて星条旗が掲揚される間、壇上で首を垂れ、黒い手袋をはめ拳を空へと突き上げた。

2人が見せたこのブラックパワー・サリュート(アメリカ公民権運動で黒人が拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為)は、オリンピックの歴史において最も有名な政治行為である。

表彰台のスミスとカーロスは黒人の貧困を象徴するため、靴を履かず黒い靴下を履き、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを首に巻き、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するロザリオを身につけていた。

しかし、この表彰台で3人目の選手が誰かを知る人は少ない(銀メダル...オーストラリア人)。

表彰台で静かにスミスとカーロスの両選手の隣に立ち、歴史的瞬間を目撃しているだけのように見えた。

銀メダリストの名前は、ピーター・ノーマン選手である。

当時のオーストラリア史上最速の短距離陸上競技選手である。

(オーストラリアではメダリストなのに当時は知名度が全く無かった)

スミスとカーロスは示威行為を行なったことでその後長い間アメリカスポーツ界から事実上追放されることになる。

メディアからの非難・中傷にさらされ彼らのもとには、殺害を予告や脅迫文が何通も届けられた。

しかし、銀メダリストである、ピーター・ノーマン(オーストラリア人)がスミスとカーロスの両選手の意図に共鳴して二人の隣に立っていた。

そして、彼もまた報いを受ける。1968年当時のオーストラリアにも、アメリカと類似した白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策が存在していた。

実際、南アフリカのアパルトヘイトはオーストラリアの先住民に対する差別政策を見習って作ったのだと言われている。

1905年から1969年にかけて、「先住民族の保護」や「文明化」という名目で約10万人のオーストラリアの先住民族であるアボリジニの子どもを強制的に親元から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育する政策も行われた。

そのため、この時代に白人オーストラリア人のピーター・ノーマンが黒人やその他の少数民族と接触を持つ公民権運動に同調することは、本国では彼の人生を破壊しかねなない非常に危険な行為だった。

決勝レース終了直後、銀メダルを獲得したピーター・ノーマンはスミスとカーロスに「人権を信じるか」と尋ねられた。ピーター・ノーマンが「信じている」と答える。

次にスミスとカーロスは繰り返し、彼に「神を信じるか」と尋ねました。その質問にもピーター・ノーマンは「強く信じている」と答えた。

そして、その次にピーター・ノーマンが口にしたことを2人はいつまでも忘れることはないといいます。

「僕も君たちと一緒に立つ」

そう言ったピーター・ノーマンの目には少しも恐れはなく、ただ愛に満ちていた...。スミスとカーロスとは追想している。

ピーター・ノーマンはスミスとカーロスは、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR-略称)」のバッジをスミスとカーロスと共に身につけ表彰台に立っていた。

このバッジはオリンピック選手たちによる平等な権利を求める無言の訴えを示すシンボルだった。

表彰台に向かった際にスミスとカーロスが「ブラック・パワー・サルートをするつもりだ」とノーマンに打ち明けると、ピーター・ノーマンは二人の胸に留められたバッジを指差してこう言ったそうです。

「君たちが信じていることを僕も信じている。それ、僕の分もあるかい...?

  そうすれば僕も人権運動を支持していることを証明できる」と。

スミスとカーロスはそのとき、驚いたという。「何なんだ、この白人のオーストラリア人は...?銀メダルを取ったんだから、それで十分大きなことは成し遂げているじゃないか!」

スミスとカーロスは余分なバッジを持っていなかったため、ノーマンは他のアメリカ人黒人選手から借りたバッジを胸に付け表彰台に立ったのだ。そして、史上に残る瞬間が実現したのです。

3人の若いアスリートが表彰台に上がり、スミスとカーロスは拳を高く上げ公民権運動への敬礼をしました。

何百万人もの人々を前にした「非政治的なオリンピック」の場で、これほど勇気ある政治行為をしたのは前にも後にもいない。

3人は、すべての人間は平等であるという信念のために行なったこの行為が永遠に残ると確信したのだろう。

事件後、アメリカのオリンピックチームの代表は記者会見で、この選手3人が生涯にわたって大きな代償を支払うことになるだろうと発言しました。

時代は流れ、アメリカの人種差別が撤廃された後、スミスとカーロスは人権のために戦った英雄になりました。

歴史はスミスとカーロスの行為に正当な評価を下し、サン・ホセ州立大学には2人の行為を祝して像が建てられます。しかし、2位の表彰台が空です。

(2位の表彰台にはピーター・ノーマンの銅像はない。それはピーター・ノーマンが自分の姿ではなく、みんなに考えて欲しいと要望し、2位の表彰台には 「 TAKE  A  STAND (ここに立ってみてください。の文字が残されている。自分が信じた事のために立ち上がりなさい)」…と記述されているという。

ピーター・ノーマン不在の像は、あの日以降オーストラリアでピーター・ノーマンが辿った運命を象徴するかのようです。それは最も悲しいヒーローの物語と言ってもいいでしょう。

オーストラリアでは、ピーター・ノーマンは歴史から抹消されたかのような扱いを受ける。

1972年のミュンヘン・オリンピックに選抜で出場資格を得たにもかかわらず、オリンピックのオーストラリア代表から除外され、ピーター・ノーマンはスポーツ界を引退。

その後は体育の教師や肉屋などの職を転々としていたそうです。

白人中心のオーストラリア社会でピーター・ノーマンは、あの事件がきっかけで、家族ともども疎外されてしまった。

その後、怪我により壊疽(えそ)も患い、除け者にされ、無視された存在となった。

元アスリートは、アルコール中毒とうつ病に苦しみました。ジョン・カーロスはピーター・ノーマンのことをこう言います。

「ピーターはたった一人で、国全体に立ち向かって戦っていたんだ」

ピーター・ノーマンは当時、信じられない名誉挽回のチャンスを与えられたことがあります。スミスとカーロスの行為を人類に対する冒涜だと公に非難すれば、ピーター・ノーマンの行為も許されるというものでした。

しかし、自分は間違っていないことを知っていた彼はその申し出を退けました。

2006年、ノーマンは心臓発作で亡くなる。受けるべき謝罪は何一つとして受けないままこの世を去ってしまったのだ。

彼の葬儀ではトミー・スミスとジョン・カーロスが棺を担ぎました。

2012年、ピーター・ノーマンはオーストラリア政府から死後正式な謝罪を受けます。

政府はピーター・ノーマンに対し、「何度も予選を勝勝利いていたのにもかかわらず、1972年のミュンヘンオリンピックに代表として送らなかったオーストラリア国の過ちと、ピーター・ノーマンの人種間の平等を推し進めた力強い役割への認識に時間がかかったこと」を謝罪した。

ピーター・ノーマンは1968年のメキシコオリンピックで表彰台で行った選択に対して報いを受けた...とトミー・スミスは説明します。

私たちを同調するという単純な行為ではなく、彼自身の戦いでもあった。彼は白人で、有色人種男性2人に並んで勝利の瞬間に立ち会った白人オーストラリア男性で、私たちと同じ志のもとにあそこに立っていた

ピーター・ノーマンは1968年のあの日、200メートルの陸上で20.06秒の記録で2位に輝きました。

この記録は未だにオーストラリア記録として破られていません。本来なら英雄になるはずが、人権のために立ち上がったため批判され、生前の2000年地元、シドニー(オーストラリア)オリンピックにも招待されなかったのです。

世界にはもっと多くのピーター・ノーマンが必要だ。あれから約50年、私たちはいまだに平等と人権のために戦っているような気がします。

ピーター・ノーマンの物語は、白人だろうが黒人だろうが人種に関係なく、平等を実現するのは私たちの戦いなのだと教えてくれます。

このお話は、ピーター・ノーマンの行為への敬意と彼の愛と思いやりのメッセージだ。

たった1人の人間でも大きく世の中を揺るがすことができることを教えてくれたのだ。

ピーター・ノーマン。死ぬまで忘れることの出来ない名前である。

本日は金曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。