北海道、函館の旅も5日目。今日は函館を離れる日です。

 一時期、江差まで足を伸ばして復元した「開陽丸(戊辰戦争時の旧幕府軍の戦艦)」など見るかという意見もありましたが、函館もまだ見てない部分もあるので次の機会?に譲ることにして、予定通りのままとしました。

 で、午前中は函館の残りの各所を回って、午後は宿泊地の洞爺湖へ向かうことにしました。

 各所回るのはよいけど、まずは食事面でのリベンジをしないとです。昨日は、ちゃんと食べる元気と時間がありませんでしたので・・

 よって、朝は朝市広場へ行って念願の、「うに・いくら丼」を!

 やはり、北海道のどんぶりはこれですねー。

 学生の頃(40年位前(書くのもおそろしい年月))北海道に来てその時食べそこなって、やっとのリベンジ果たしました。ウニもいくらも新鮮でうんまい、これですよ!

 超満足して、広場から出て市場通りへ、今度は「かにまん」が目に入りました。

 お買い上げで頂きましたよ。

 こちらもカニの香りと味&ほくほくで美味しかったです。

 これもリサーチ不足ですが、函館はイカ推しなんですね。

沿道にいかが多量に干してあるし、店内イカ釣りもできるし、マンホールもイカでした↓

 

 デザートに北海道メロンを頂いて、大満足の朝食完了です。

 

 ホテルに戻って、朝食会場で食後のコーヒーを頂き、荷物をまとめてチェックアウト。2日ぶりにCX-30号のシートに納まって出発です。

 今日は、函館山近くの元町地区(下の地図の赤丸あたり)、「旧イギリス領事館」「旧函館区公会堂」、その少し北の「称名寺」(同赤矢印)、最後に南に行って「立待岬」(同青丸の場所)を最後にして函館から撤収する予定です。

                                                          ©google map

 ホテルの前の道「開港通り」を南西に進んで、市電の通りにぶつかって右へ。昨日の八幡坂を通り過ぎてから左へ折れて市営駐車場に車を突っ込むと「旧イギリス領事館」はすぐ近く。

 

 門を入って、まずは建物の周りを右回り。小ぶりなイングリッシュガーデンって感じですか?

 

 

 解説によれば、この建物は1913年(大正2年)に竣工し1934年(昭和9年)に閉鎖されるまで領事館と使用されていたそうです。ただ、函館のイギリス領事館は1859年(安政6年)にはあったそうで、最初は後に行く「称名寺」に間借りしていたとのことです。

 チケットを買って建物の中に入ると

 

 そこはイギリス??

↑領事執務室&家族居室だそうです

 

↑暖炉の上には当時の君主「ビクトリア」の肖像

 

↑ここは会議室で、現在も借りて使うことが出来るようです。web会議とは正反対の世界ですね。

 

 その他、展示物の中には「高田屋嘉平」のものもありましたよ↓

 司馬遼太郎読みの方にはおなじみかも知れませんが「菜の花の沖」の主人公ですね。見てないですがドラマ化もされていました↓

 松前・函館は彼の活躍した場所でもありますね。

 

↓サービスコーナーです 気分は君主??

 

 えー 失礼しました。

 

 次は少しイギリス領事館より少し坂を上がって左側の「旧相馬家住宅」へ行って、和のテイストはいかがかと思いましたが、入場料が高いのと時間もないので外から見るだけで通過させて頂きました。すみません。 

 この時点で10時20分です。

 

 旧イギリス領事館の前の道(基坂と言うようです)へ戻って、坂を登るとそこに「旧北海道庁函館館支庁庁舎」と、「旧函館区公会堂」があります。 

↑旧函館支庁舎。ペパーミントグリーンの綺麗な建物。1Fはカフェとして使われています。

↓2Fは広々ラウンジに

 

↑そこに飾ってあった、1882年(明治15年)当時の写真だそうです。アングル的には摩周丸のあったあたりからの眺めでしょうか。すでに函館山まで建物が一杯ですね。

 

 次は、「旧北海道庁函館館支庁庁舎」です。

 下から見るとこんな感じです↓ 後ろに函館山をしょっていいロケーションですね。

 

↓階段を上るとこんな感じに

 西洋風の建物なので、円柱の柱とか石かなと思いましたが、すべて木で出来ているそうです。2回の大修理を経て今日の姿があるそうです。

 創立に当たっては、先ほど見学をすっとばした相馬家も絡んでいるとのこと。開堂は1910年(明治43年)。昭和初期には芥川龍之介が講演をしたそうです。これまでに2度の保存修理を経て現在の姿を保っているとのこと。ブルーの壁に黄色のアクセント、素晴らしいですね。

 チケットはイギリス領事館と共通。中に入ると

 白壁と程よく焼けた木製建具のコントラストが良いですね。

 扉の真鍮製丁番も昔のままのようです。そして木ねじも、今時-(マイナス)頭の木ねじなんて無いですもんね。

 

 ↑2Fの大広間、ゴージャス! 紳士淑女がパーティで踊ったりしたんでしょうね。

 大広間の左にはバルコニーがあって、そこからは函館港が見えます。

 このバルコニーで、夕方から宵にかけて明かりが見える港を眺めつつグラスを傾けて、グラスの向こうでははにかんだ顔をうつむけたあなたが頬を染めて・・・ なーんてチキショーですねまったくも~ (こう書いて、「ガルマとイセリナ」しか思い出せないおじさんは何かの病気かしら)

 

 閑話休題

 

 いずれにしても、幕末から開港して西洋の文化に接した函館の街は、教会や領事館など早くから西洋風の建物が山の手に建っていたことを改めて知りました。それは、規模は違えど横浜や神戸などと同じなんだなーと思いつつ、元町を後にしました。

 時刻は11時過ぎ 

 駐車場に戻って、CX-30号で少し北方面に上がって、「称名寺」へ向かいます。

 場所的にはこれ以上北へ行くと海に落ちこんでいく斜面になってしまう、南西側は函館山の斜面になってしまうというあたり。

 その入り口です↓ 

 先ほどもあったように、安政6年にはイギリス領事館が間借りしていたお寺なので古いはずなのですが、思ったより、綺麗で改築がされているようです。

 本堂は↓な感じで、全体的に象牙色で日本のお寺っぽくないですね。

 

 ここに来たわけは↓です。 

 土方歳三さんの慰霊碑です。土方さんの他、やはり戊辰戦争(函館戦争)で亡くなった4名の方の名前も見て取れます(合掌)。

 司馬遼太郎の「燃えよ剣」によれば、この碑を建てたのは大阪の富商鴻池善右衛門の函館支店の支配人大和屋友次郎だといいます。戊辰戦争前、大阪の鴻池屋に浪人の「御用盗」が入ろうとしたところ、市中見回りの新選組がこれを発見し切り伏せたのが新選組との縁だといい、函館でもいろいろ用立てしたとのことです(現在の鴻池組とは関係なし)。費用は当時の函館市民から出たとのこと。そして、明治15年には歳三に縁のあった”お雪”さんも参ったという、これは”お話し”なのかな・・映画では柴咲コウさんが演じてました。

 その後、火災による焼失などを経て現在の碑(1973年建立)になっているようです。

 碑の近くには、お参りノートの入ったケースも↓

 ノートには沢山の書き込みがありましたが私も簡単ですが”参った”ことを書いてきました。

 

 そして、「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛です。

 嘉兵衛さん、淡路島の生まれで1700年代後半に苦労して廻船(北前船)を生業とすると、その後その操船の技術で北海道、国後・択捉まで進出し良質の昆布・魚肥を大阪まで運んで、大きな利を得たそうです。

 ただ、松前に捕らえられていたロシア人ゴローニンの関係で、ロシアのリコルドにより拿捕されてしまいました。しかし、ロシアを少し覚えて日本との橋渡し役をしてゴローニン釈放にこぎつけ本人も日本に帰ってくることが出来たという、ただの船乗りではなかなかできないことをやってのけた人です。ただこの間、拿捕された日本人数人は病死するという過酷な環境であったことも確かです。その人柄や技術でロシアの船乗りからも「タイショー」と呼ばれ親しまれたそうです。すごく簡単に書きましたが詳しくは「菜の花の沖」を読んでいただければと思います。

 また、嘉兵衛はロシアから帰ってきてから一時期は、この称名寺に留め置かれたこともあるそうです。

↑は高田屋一族のお墓です(合掌)。

 嘉兵衛さんは、故郷の淡路で亡くなり、遺骨も淡路ですが函館にも一族の墓と合祀されているようです。

 お寺の山門からはちょうど、港が見えるロケーションです。

 この時点で、11:30 次は「立待岬」に向かいます。

 

 右から左への勾配を感じながら函館山の東側を南南東へ走って行って立待岬まで20分弱でした。函館の最南端ではありませんが、車で行ける最南端で三方が海です。

↑後ろは函館山ですがここからはロープウェイの駅は見えません。

↓西方向は断崖絶壁です。遠くにうっすら見える陸地は木古内とかその辺だと思います。

 

↑ピントが甘いですが、南には下北半島がうっすら。

↓函館市街はこんな感じに見えます。

↓そして東はこんな感じに見えます。

 

 時刻はちょうどお昼。 

 五稜郭に始まり、3日かけて色々見てきた函館の街。勿論、まだ見てないところもありますが、残念ながらタイムアップです。今日の宿泊地である洞爺湖まで移動を開始しなければなりません。それから、お昼も食べないとです。

 お昼は、来るときの船の中で知らないおじさんから教えてもらった、地元コンビニハセガワストアの「やきとり弁当」と決めていました。その筋では有名らしいです。そういえば一緒に教えてもらった「ラッキーピエロ」のハンバーガーはとうとう食べずじまいでした。歳よりなので足が向かなかったというのもありますが・・・

 CX-30号で走り出し、湯の川温泉近くのハセガワストアで「やきとり弁当」をゲットして、そのまま北上、大沼公園で車を止めて公園内のベンチでお弁当タイムにしました。

 ここも全くリサーチしてなかったのですが、国定公園で広くてボートやグランピング施設などもあり立派でした。お弁当食べるにはもうちょっと小ぶりでよかったのですが、駐車場からそこそこ歩いて小さな橋を渡った島のようなところで頂きました。

↓そして、「やきとり弁当」です。

 やきとりといいつつ実は「豚肉」というのは地元の様々な事情と文化からくるようです。詳しくはハセガワストアのホームページでお願いします。

 なにはともあれ、ベンチ近くにいた蟻さんと戦いながら美味しくいただきました。

後日ですが、このお弁当「鉄腕ダッシュ」で、国分太一さんも食べてました。なんと、焼き鳥の櫛を弁当箱から少し出して、蓋をして引っ張ると具だけが弁当の上に残るという技を使ってました。もっと早く知りたかったー

 

 折角の国定公園の沼をよく見ることもなく、洞爺湖へ向けて出発。時間は14時。

 あえて駒ヶ岳の南を回る少し遠回りのルートを選択しました。

 途中、駒ヶ岳の雄大な眺めを楽しみながら↓

↑は県道43号線を東、噴火湾方向へ走る途中で撮影しました。雄大且つ荒々しい山並みですね。

 

 14:30ごろ、噴火湾に行きついて、国道278に入り駒ヶ岳をぐるっと左へ回り込み、やがて国道5号に入り北上を始めました。あとは単調な道を眠気と戦いながらひたすら北上です↓

 

15:45ごろ、長万部に入る

16:35ごろ、洞爺湖町へ入る。途中で海岸沿いの道路から左を折れて山道を登って洞爺湖とその温泉方面へ。

17:00少し前に、宿の「サンパレスリゾート&スパ」に到着。ちょうどよい時間でした。出発してからの通算走行距離は549km。

 

 部屋は、レイクビュー!ということで窓から洞爺湖と中島が真正面でした。

 夕方でもあり、雲がかかって幻想的でした。ただ、ただ部屋はだいぶくたびれていて値段の割にはねー と、少し残念でした。窓を開けて湖面を渡ってきた空気を部屋に入れようとしてもレバーがぐらぐらで開かない。係の人に聴いたら危ないので締め切りで固定してあるとのこと。防災上大丈夫なのかしらんと思ってしまいました。ロビーやお風呂はとても立派なのですが、改装中だけど手が入り切ってないんでしょうか。

 特にお風呂は最近テレビの旅番組でよく見る、”お風呂の湯面と湖の水面が一体化したような錯覚におちいる作り”で素敵でしたよ。それだけに部屋が惜しい。

夕食会場からも湖が↓  

そのあとには、水上花火もあって楽しませてくれましたよ↓

↑ロビーから鑑賞できます。

 

あとは、部屋に戻ってバタンキュー

以上、さよなら函館編を終わります。