「みうらじゅんFES マイブームの全貌展」を見てきました。

場所は、筑西市(旧下館市)にある”しもだて美術館”です。この美術館自体も初めて行きましたよ。

 

みうらじゅんさん、しばらく前まではマイブームの生みの親だけど長髪で気持ちの悪いおじさんという認識しかありませんでした。

2010年代半ばくらい、私が東京に単身赴任でテレビのないラジオ生活をしていたころ、NHKラジオで「みうらじゅんのサントラくん」という番組があり、ラジオしかない状態なのでかけっぱなしのラジオから流れていました。

Mさん所有の膨大なサントラコレクションからいろいろなサウンドトラックを流してくれました。その中で聴いてひっくり返りそうななった曲があります。それは、「ゴジラ対ヘドラ」の挿入歌の「かえせ!太陽を」をです。

 

「ゴジラ対ヘドラ」は私が初めて映画館で見たゴジラ映画でした。

その映画館は、しもだて美術館からほど近い場所にあった映画館です。言い忘れましたが、私は生まれてから高校まで下館で暮らしてました。今町なかに映画館はありませんが、当時の下館駅周辺には映画館が3つあって、下館駅に近いところに道を挟んで二つ。こちらは、普通の日本映画(寅さん)や洋画(最初のスターウォーズを見たな)をかけていました。そしてもう一つが「ゴジラ対ヘドラ」がかかった、駅から少し離れた映画館ですが、この映画館、普段は日活ロマン・・・などいわゆる”ピンク映画”の専門館で、小学校低学年だった私は近づくことすらはばかられる場所でした。何故、どんな大人の事情があって「ゴジラ対ヘドラ」がこの映画館での上映になったのか分かりませんが、母親同伴で見に行ったんです。

近づくことすらはばかられる映画館に妙な心理的負担を感じながら入って、映画が始まりました。見たことある人は分かると思いますが、「ゴジヘド」は当時問題となっていた公害問題を取り上げた異色作で、全体的に気色悪い感じで子供には厳しいシーンも入ったいました。映画が始まってしばらくして、今でいえばクラブみたいな場所(当時はゴーゴーかな)、ただし退廃ムードの強い場所で、ボディコンシャスでサイケデリックな衣装を着た女の人がクネクネ踊りながら歌うシーンが出てきました。その歌が「かえせ!太陽を」です。ただでさえ妙な心理的負担を感じている小学生の私には「僕はこんなところにいていいんだろうか」という不安と、感じたことのないわくわく感で、強烈な記憶として残ったシーンです。

その歌が、NHKラジオから流れてきたんです。50年近くぶりで聴いてもーびっくりして、まじでひっくりかえりそうになりました。

そしてその曲をかけてくれた怪獣愛やその他こだわりあるあるのみうらじゅんさんが一気に近い存在になったんです。確かに年齢も近いし、単身赴任の三鷹にも住んでいたことあるらしいです。

長くなりましたが、以上が私がこの「みうらじゅんFES」を見に行くゆえんです。

実は、この展覧会開催に伴ってみうらじゅんさんの講演会もあったのですが、こちらは厳正な抽選の結果見事落選しちゃってました。展覧会だけでもみなければと行ってきた次第です。

 

そして、改めてMさんの変態的収集癖と作品群に圧倒されて帰ってきました。

小学校1年からコクヨ(ラー40)を使った怪獣スクラップをはじめ、小学校4年の時には仏像に転向。ラジオで聞いた話ですが、小学校の頃怪獣ごっこをやると普通は誰がウルトラマンになるかでもめるのですが、Mさんは「君はウルトラマンをやれ、僕は円谷をやる!」といって、実際にプチ監督業をやっていたようです。普通の小学生ではない絶望

怪獣スクラップブーム↓

仏像スクラップブーム↓

写真はほんのほんの一部ですよ

 

その他にも、新聞を作ったり↓

エッセイストブームもあったようです↓

 

あとは、一部の写真を羅列します。

牛ブーム

ゆるキャラ↓

裸婦の名画に下着をはかせてみた↑「はかせたろう」集

↓安齋さんも登場。そう、作詞作曲も膨大な数なんですね

↓いとうせいこうさんも登場

 

↓そして膨大な数のコロナ画(コロナ禍渦中で書いた絵)

 

もちろん、好き嫌いはあるにせよ、普通は捨ててしまうようなものにも興味・関心を持って、集める、写す、書く、そこへの執念といってしまっては語弊があるんでしょうがやはり才能なんですかね、只者ではなくただ事でもない状況を見てきましたようさぎのぬいぐるみ

また、意外といっては失礼ですが、女性のお客さんが多かったこと、それも若い人から私より上の方までいらっしゃいました。

 

皆さんのお近くで同様のFESがあった際は是非、一見の価値はありますぞよ