ADHDの動きすぎる長男8才と
筋ジストロフィーのゆっくり次男5才の日々を綴っています。
私の子どもの時には今のように
発達障害という言葉はなかった気がします。
クラスに落ち着きのない子や
おっちょこちょいな子
多少空気が読めない子は普通にいたし、
自分自身もそのタイプの子でした
私自身は体が動く多動タイプではなかったので
先生から注意されることはあまりなかったです。
とはいえ脳内が多動なので授業中ボーっとしたり
テストでケアレスミス、
忘れ物は多かったです。
そのつど友だちに助けてもらってましたね
ただ、学年が上がると女子間の絶妙な空気読みができず、
みんなが「○○先生きらい!」って話をしてて
本来だったら「私もきらい!」みたいな感じで話をあわせるべきところを
「私は好きだけどな〜この前○○先生こんなことしてて面白かったんだけどさ〜」
↑みたいな感じでずれたこと言うので
「アイツマジ空気読めね〜」
ってことがたびたびありました
この頃に私ってなにか問題あるのでは…?
と思って自閉症にたどり着くも、なんか違う。
当時はADHDはあまり認知されていなかったので、
自分自身の忘れっぽさや、うっかりは若年性認知症なのでは…?と本気で疑っていました。
当時「私の頭の中の消しゴム」や渡辺謙さんの「明日の記憶」など若年性認知症の映画が多く
これらは私を不安にさせるにはじゅうぶんな威力がありました。
紆余曲折あって働いた小児科の医療事務の仕事ではじめて知ったのが「発達障害」
そこの研修でADHDのことを知ったのが私とADHDの出会いでした。
自分自身の性格やケアレスミスの原因はADHDではないかと思い、働いていた小児科の先生に相談すると、
「確かにあなたはADHDの傾向がある。
けれど、あなたはADHDです。という診断ではなく、みんながなにかしらアスペルガーやADHDの傾向はあるものだから、
その傾向の強さがどれぐらいか、困り具合が重要なんだよ。」と教えてくれた。
私の場合は傾向はあるが困り具合としては日常生活が回らないレベルではないから、
あくまでADHDの傾向あり。のみとのことでした。
このとき、私はADHDというものが存在することにすごく心が救われました。
自分だけではなかったこと、
あくまで脳の傾向で脳の病気ではなかったんだと。(病気かどうかの捉え方はそれぞれですが)
ADHDが遺伝性のものだと知ったのは
長男出産後のことでした。
生まれて数ヶ月の長男の様子を見て、
この子はたぶんADHDだな〜と
不要に悩むことはありませんでした。
この後思っていた以上の多動に恐れおののくことになりますが…
そういう脳の特性のある子ってわかってるのと
わかっていないのとではだいぶ違っただろうなと思います。
ADHDの度合いはそれぞれ。
親子と言っても性格も違えば性別も違うんだから違っていて当たり前。
けれど、実は家族にすごく長男に似てる人が一人。
うちの父です。
この人もかなり癖強人間。
理系脳、思い立ったら即行動、思ったことなんでも口に出す、なんかすぐ友だち作ってくる。
まさに長男がジジイになったらこうなるだろうなジイさんです。
長男とは素数とか物理法則を議論しあい、
自分の方が知ってる❗️と8才の小学生と競いあってるのが、
まさにうちの子のジイさん
ADHDは大変なことも多いけれど、
ADHDにはADHDの良さがあると思う。
楽観的なところや、行動力のあるところ、
好きなことには一直線なところ、
裏表のないところ。
逆にADHDのよくないところは
断トツで落ち着きのなさ、
注意欠陥、
対人関係で空気が読めない。
だと思うけれどこれは大人になるにつれて落ち着くし、対処法もわかってくるので
いっぱい失敗し、そこからどう解決していくか学んでいくことが大切なのかな〜と思いました。
地べたでスタディする長男。
絶妙な上下の組み合わせ。(保護色?)
靴下あべこべ、片方穴空いちゃってるのがまた面白愛しいです。