血を巡らせ、運も巡らす
「加圧トレーニング」
完璧じゃなくていい感じ
「PONNYO(福女)」
二足のわらじ人生⭐︎もっちーです
これはただただカワイイ私ww
「可哀想なワタシ」「良い子なワタシ」
そんなワタシを作り上げるのが
いつしか私の生き方になっていました。
そうやって間違った甘え方をしていました。
その方がラクだったから。
まだまだ「ひとり親」「離婚」って
言葉を聞いただけで顔をしかめられちゃう
「若い親=未熟」そんなレッテルも
バチバチに貼られちゃう。
そんな時代だったと思う。
そんな中で戦ってきた母。
(↑本人はそう思ってないかもだけど)
家族構成を聞かれる度に
父の存在は無いことを伝えると
哀れむ大人たち。
ちょっと良い子にしてるだけで
大いに褒めてもらえる。
「お父さんいないのにスゴイね」
「お母さんだけなのにスゴイね」
「片親で育ってるように見えないね」
「明るく育ってて片親家庭とは思わない」
などなど…悪気はない、悪魔の言葉
たーくさんいただきました。
そうするとさ、
(お父さんいないと大変なんだ)
(お母さんだけだとスゴイんだ)
(片親ってなんか特別なの?)
(片親って悲しいことなのかな…)
(そういえば、お父さんいなかったな)
って、気付いちゃうんだよね
へぇ〜そうなんだ〜って。
都合よく、大人に可哀想がってもらって
フツーのことしててもエライ、スゴイと
言ってもらって…どんどん自分を満たす。
間違った自己肯定感とでも言うのかな。
歪んでいたな〜って
本当は母に
褒めて欲しかった
認めて欲しかった
スゴイね、エライねって。
大好きだよ、愛してるよって
思われていることを感じたかった。
それだけだったんだと思う。
だから母を悪く言われることも嫌で
外面良い子の仮面はかなり分厚かった
(私が良い子でいれば、母も褒められる)
って。
その分、内弁慶ぶりも酷かったけど
母は内と外とでだいぶ顔の違う私を
心配していたことでしょう。
こうして文字に起こしてみると
本っっっ当に不器用だし
素直じゃないなぁ
そして「自分と向き合う」こと
「母と向き合う」こと
「現実と向き合う」こと
猛烈に避けてきたんだな。
長年過ぎたけど、今こうして
少しずつ「向き合う」ことを
受け入れて、癒している。
これが出来ているって
とんでもなく幸せなことだなって思う
誰が何と言おうと
まだ、つづくぅ