前にブログにあげさせて頂いた様に 義父はシベリアに抑留中に、シベリア市長の娘や息子を、シベリアン狼から救い、その後、恩を感じた子供達より家の食べ物を分けてくれる様になり、それを同じ抑留先の弱った仲間に分け与え、その場所の方々は、全員日本に生還された。というお話をしましたが、


その後、そんな父でしたが、母(義母)と結婚してからは、家族第一で、一生懸命働いた方でした。


が、持ち前の明るさもあり、よく唄い、よく笑い、朗らかな、そして、穏やかな優しい、お人柄で、誰からも愛され、頼りにされていらっしゃった様です。


そんな父ですが、母の事もこよなく愛していらしたようで


ある時、会社で夜勤があるとわかった父は、


妻の○○が待っておりますので、帰ります!


と言い残して、サッサッと帰ってしまった。




と云う話しを聞いた事があります。


それを同郷の集まりで、いつも冷やかされていた母は、


恥ずかしか~!


と、言いながら、嬉しそうにしてた。と、お聴きしてます。


また、父は、持ち前の前向きと、チャレンジ精神旺盛なのも合間って、当時、皆があまり注目していなかった手品をし、帽子から華を出したり、ハンカチーフを出したりと、


皆を驚かせたそうです。


そんな父でしたが、主人が生前、


父ちゃんが生きてる内に、


手旗信号習っとけば良かった!


親父の手旗信号は、カッコよかった!


と、言ってました。


そんな話しを聞いてましたが、まさか息子(長男)が手品に興味を持ち、小学校から借りて帰った本を手がかりに、習得するという事をするまで、詳しくは、知りませんでした。



父は、日本にどういう思いで帰ってきたのかは、わかりませんが



彼の亡くなる年の書き初めは




生きるって  すばらしい





でした。



ほんとうに 見事な


生き様だった と 思います。