暑いですね〜〜チーン ドンッ 炎

 

暑さと腰痛のせいで椅子に座って作業が続けられず笑い泣き

更新も遅れがちですが

みなさまお元気でしょうか

 

この、Appendix B (巻末資料 B)が、

なかなかの長さで、このペースで行くと

あと数ヶ月はかかりそうなあせるあせるあせる

 

リリウオカラニにとってはどうしても、

世間に広く訴えたい声明文だったのでしょう。

冒頭に、内容はHawaii's Story に織り込み済みのものが多く含まれている、

と女王自身も書いています。

くどいようだけど、大事なことだから二回言いました的な

想いが込められているのかな〜と、

その辺りを途中でちょいちょい解説していきたいと思います

 

まず、今回は①〜③の部分についての解説です。

 

まず、①の内容は

1890年11月26日の朝から始まっています。

 

本書(当ブログ)では第33章の後編に描かれています。

 

 

当時、カラカウア王は健康を害していて

(極度のアルコール依存症になっていたとの説があります)

静養を目的にアメリカへ旅に出ることになっていて

この11月26日はまさに出発の日でした。

 

ここに書かれている会合は

内閣と国王代理を務めるリリウオカラニに対して

不在の間の様々な問題について

カラカウア王から話があったことが

冒頭から数行にわたって描かれています。

 

「国王は私をご自身の椅子に座らせ、正式に大臣たちを紹介してくれた」

と書いているのは、

この瞬間からリリウオカラニが国王代理として元首の地位についた

と言うことを示しています。

 

その後でカラカウア王は妹リリウオカラニと二人きりで

内密に様々な話をしています。

宣教師党(=改革党)のハオレたちが

国王をいかに危険な状態に追い込んでいるかを詳しく打ち明けられました。

国王代理を務める妹の身を案じ、くれぐれも用心するようにと警告したのです。

 

実際に王宮が、さらにホノルル市街がどれほど不穏な状態だったか

リリウオカラニは詳しく述べています。

 

チャールストン号はアメリカ海軍の戦艦ですが

この時、カラカウア王はこの船に乗ってアメリカに渡り、

そして遺体となってこの船で戻ってきたのでした。

 

その② では、

カラカウア王葬儀の後の様子が書かれています。

国会議員の選挙は前年の1890年に行われていて

その後に組閣された内閣は、

国王死後もそのまま維持されるのかと思っていたようですが

リリウオカラニは、国王が変わったのだから

内閣も自分が選び任命するべきと考えました。

(国政選挙は2年に一度でした)

 

この辺りの経緯は、本書の第36章に書かれています。

 

 

 

 

最高裁判事の判断もあって、結局内閣総辞職となり

新たな内閣をリリウオカラニ女王は組閣します。

 

ところがここで政府の仕事に就けなかったウィルコックスたちは

リリウオカラニに対して怒りを燃やし、

また王政打倒、アメリカへの併合を目論む白人たちは

本来敵対関係だったはずの彼らを甘い餌で丸め込み合流させ

過半数の議席を占める勢力になっていきました。

(例えて言うなら、公明党とか維新の会とかが自民に合流したような感じ?)

 

こうして数の上で優位に立った白人たちの改革党は

女王の内閣を潰しにかかります。

まず首相とも言うべきサミュエル・パーカーが外務大臣の地位を追われます。

カメハメハ大王の孫である祖母と、

ハワイ島の広大なパーカー牧場を拓いたアメリカ人の祖父を持つ彼は

ハワイ王国の中でも特に裕福で教育もあり人気を博した政治家でした。

彼が辞めさせられると「25名のハワイ人代議士がパーカーの再任を求めた」

とリリウオカラニは書いています。

ハワイ人の声を政治に反映させるのになくてはならない存在でした。

何の理由もなくただ数の論理で白人たちが彼を排除したのも

逆に言えばそれだけパーカーの存在、力が大きかった表れと思います。

リリウオカラニが女王に就任して半年後の、8月のことでした。

 

この8月の終わりに、リリウオカラニの夫ドミニスが亡くなります。

深く愛し合った、とは決して言えない夫婦関係でしたが

それでも29年と言う長い時間を夫婦として過ごし

周囲には敵と陰謀だらけの今の状況で

本当に信用できる数少ない存在を失ってしまいました。

 

 

 

 

この後に続くその③では

女王リリウオカラニが政治の場でいかに軽んじられたか

切々とした訴えが続きます。

内閣を任命してもすぐに議会によってひっくり返される。

白人たちは議会での過半数勢力をいいことに

やりたい放題で、国のお金を湯水のように使いました。

アメリカに併合してもらうための代表団を送るのに

国のお金を使い、

それに抗議するハワイ人たちの代表団は

リリウオカラニのポケットマネーで費用を賄いましたポーン

 

ボルケーノ・ロードに5万ドル、と言うのは、

ロリン・サーストンが個人的に火山オタクだったんですね。

ハワイ島のキラウエア火山へ向かうあの道路を整備したのですが

個人の趣味、および商売(ホテルや火山ツアーを運営)が目的なのは

リリウオカラニにも国民にもわかっていました。

有名なラバ・チューブ(溶岩洞窟)にも彼の名前が冠されています。

 

シカゴに楽団を送るのに12000ドル、と言うのは、

シカゴ万博が1893年に行われたのですが、

ここにハワイから楽団とフラダンサーのチームが出展しています。

多分このことを言っているのだと思います。

サーストンの個人的な利益によるもの、と書いていますが、、

 

キラウエア火山の巨大な円形パノラマを描き出す

(高さ11フィート、長さ90フィート)

Kilauea Cycloramaという展示館を出展し、

そこでは背後から赤々とした照明を使って火山の噴火の姿を映し出したそうです。

要は、火山すごいよ、観光にきてよ、というプロモーションですね。

 

Kilauea Cycloramaの展示館。

入り口上部には火山の上に座る女神ペレが描かれていますが

ちょっと自由の女神っぽい?

 

この展示館の中で、フラダンサーたちが楽団の音色と共に

ハワイの踊りと音楽を披露したのだそうです。

 

ハワイの産業と観光のため、という大義名分はあったと思いますが

財政再建に必死になっていたリリウオカラニにしてみれば

「今じゃないでしょう!」という思いがあったと思います。

 

こうしたことの全てが、

女王である自分を抜きにして閣議決定されて

自分はただ署名をするだけの存在に成り果てている。

カラカウア王はそれでも男性でしたから

ある意味威厳を保てていた部分もあったでしょうが、

リリウオカラニは「女性だから」「女のくせに」と

カラカウア以上に軽んじられているのを

きっと痛感していたことでしょう。

 

 

 

ところで、余談ですが、

このシカゴ万博でハワイのフラを披露していたダンサーの一人が

ジェニー・”Kini”・ウィルソン。

この当時はまだ、Kini Kapahu という少女でしたが、

身長6フィートくらいあったというので180センチ弱、

非常に美しく、豊かな長い黒髪をしたダンサーでした。

このダンサーたちの評判はすごいものがあったようで、

その後彼らは全米からヨーロッパまで世界を回ります。

 

世界ツアーに出た最初のフラダンサーたちのポスターです。

向かって右側が、ジェニー KINI ウィルソンと思われます。

 

パリでは画家のマネやロートレックも描いたという伝説的な

フォリー・ベルジェールというホールでフラを披露し、

帝政ロシアの皇帝ニコラス二世の前や、

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の前でも踊りました。

ヴィルヘルム二世の妻の皇后アウグステは

彼女の美しい長い黒髪が本物であると信じられず、

カツラをグイッと引っ張ったつもりが、

地毛だったので思わず悲鳴を上げたところ、

皇后ビックリ仰天して謝り、

お詫びにその時自分がつけていた美しいネックレスを彼女にプレゼントしたそう。

 

その後彼女はハワイに戻ると、

幼なじみの男の子、ジョニー・ウィルソンと結婚します。

このジョニーは、リリウオカラニの侍女の一人、キティ・ウィルソンの息子でした。

彼は退位させられたリリウオカラニがイオラニ宮殿で服役中、

毎朝のように花を新聞紙に包んで届けていたジョニーです。

 

彼はその後、ホノルルの市長となりました。

妻のジェニーは、ホノルルのファーストレディとして夫を支え、

1959年にはハワイ州議会から名誉ファーストレディーの表彰も受けています。

 

やっぱり長くなってしまいました。。。。

 

 

また次回をお楽しみに〜〜〜口笛口笛口笛

 

 

 

参考記事:

 

"Hawaii at the World Fairs, 1867-1893"

 

"Kilauea Cyclorama at 1893 Chicago World's Fair"

 

"Hawaiian Cyclorama"

 

"Wilson,  Kini "

 

 

虹  虹  虹  虹  虹  虹  虹  虹  虹  虹  虹

 

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