~~~ 中 編 ~~~
私たちが入っていくとドアというドアは全て開かれた。
ベランダの大勢の記者たちは私たち一行をただ垣間見るだけにとどめられ、どの会談の記事でも想像力を駆使する羽目になった。
クリーブランド夫人を訪問したいと私からはおくびにも出さなかった。
大統領の方からごく自然に妻君のことを話題にされたのだ。
大統領夫人は前回私がホワイトハウスを訪れた折に本当に細やかな配慮をしてくださった。
それで、「しなくてはならない事や様々な社会的、社交上の責任が奥様にも山ほどおありでしょうが、どうか今もお元気だといいのですが」と私の思いを伝えた。
それに対してクリーブランド氏は即座に、「実際に会ってやってください」と返してくれた。
そして「妻が家にいるといいのですが。自分は執務室から直接来たので、あなたからの連絡の後に妻と話をするチャンスがなかったのです。」と続けた。
そうして、確認してみますね、と言って廊下に出て式部官に尋ねたところ、「クリーブランド夫人は午後の散歩にお出かけになりました」との返事だった。
それで私たちはまた元の話に戻り、その中で私はすでに話してきた、愛国連盟が彼にみてもらおうと用意した書類を手渡した。
それを彼は非常に丁重な面持ちで受け取り、私に礼を言った。
彼の名前をハワイ国民がどれほど愛しているか、そして失われたハワイの自治独立をとりもどすべく彼が正義と公正を行うよう努めてくれたことを、わたしが心の中でどれほどありがたく思っているかを、彼に直接告げることができたのは非常に大きな喜びであった。
かねてより彼が過ちを正そうと奮闘しているとは思っていた。
だがジョン・L・スティーブンス大臣の支持者たちが彼の邪魔をし数々の妨害をしていたことをほとほと思い知らされたので、彼の失敗は彼自身の落ち度によるものではないことも以前よりもずっとよくわかっている。
とても有意義な面談だった。
話が済むと、わたしは同行の者たちとともにホテルに戻った。
Grover Cleveland, 1987年2月ごろ
クリーブランド夫人はたまたま不在だったのだが、それを利用してマスコミはわたしに侮辱を浴びせた。
誰もわかっていないようだが、もしもこの国のファーストレディーが報道されたように無礼で邪険だったとしたら、—つまりそれはクリーブランド夫人ではなかったという、ただそれだけのことだ。
2日か3日経って、大統領府からおもいがけなく手紙が届いた。
そこにはクリーブランド夫人がわたしに会えたらとても嬉しい、と書かれていた。
そして午後5時に内々のパーティーをするつもりだから、その時間の15分くらい前に来てくれれば、彼女の客間で一緒に楽しいおしゃべりができると思う、とも。
こんな風にわたしが他の訪問客とは別に親しく打ち解ける機会を持てるよう前もって手配してくれる細やかな心遣いは、まことに気品と美貌がその心の優しさと善良さと見事に一致している貴婦人ならではのものである。
約束の時間に、同行の三人を連れて、わたしは再びホワイトハウスの客間を訪れた。そしてあの館の美しい女主人に迎えられた。
わたしを客人して招いてくれた方々との親しい内輪話をここに詳しく述べるつもりはない。
だが、わたしが初めて出会った時に確信した通り、グローバー・クリーブランドと言う人物は素晴らしい才能と稀有な判断力、そして高邁な正義の基準というものを備えた政治家であるという評価を覆す理由は微塵もなかったことをここではっきり申し上げる。
そして同様に、これほどの優雅さと威厳をもって8年もの間ホワイトハウスを取り仕切ってきたその人よりもさらに尊敬すべき女王の名を持つ女性をトップに与えられるのは、並み居る国々の中でも稀有な国であると強く思う。
Frances F. Cleveland
クリーブランド夫人、1897年2月
(後編に続く)