リリウオカラニが1896年末から97年夏まで

アメリカを訪問、滞在したその時期、

アメリカでは大きな出来事がありました。

 

1896年の大統領選挙。

そして、97年の新大統領就任式です。

 

この後の章で、この出来事に関して

リリウオカラニも詳しく語っていますが、

アメリカの大統領の交代は

ハワイにとっても大きな影響がありました。

 

まず、リリウオカラニと個人的にも交流があり

ハワイへの間違った関与を正そうとした

民主党のクリーブランド大統領。

彼の二期目の任期は、1892年から96年まで。

アメリカの大統領は一期4年で、二期までと決められています。

 

ちなみにクリーブランド大統領は、

一期めが1885年から89年まで(ハワイ王国ではカラカウア王の時代)、

二期目が1892−1896までと、連続していません。

一期目の終わり1888年の選挙で敗れて共和党のハリソン大統領に交代し

次の選挙で再び大統領候補として選挙を戦って再選されました。

連続しない二期を務めた唯一の大統領として知られています。

 

一期目の期間中の87年に

英国訪問途上のリリウオカラニやカピオラニ王妃を

ホワイトハウスでもてなしたのがクリーブランド大統領夫妻でした。

 

翌年の選挙でクリーブランドを破り

次の大統領となったハリソン大統領の任期中、

ハワイでは白人たちのクーデターがあり、

リリウオカラニの退位、革命政府による政権掌握が行われました。

 

ここにはハリソン大統領のアメリカ公使スティーブンスも関与していましたが

ハワイ併合に積極的だったハリソンは

その次の1892年選挙で敗れ一期で終わり。

再び大統領に返り咲いたクリーブランドは

もともと領土拡大政策には消極的。

しかも正義と正直を重んじる人格者という評判も高く、

不正な手段で行われたハワイの政権交代について

ブラントを派遣して調査させるなど、

アメリカによるハワイ併合を認めませんでした。

 

その後のハワイ人による反乱を経て

リリウオカラニは軍事裁判で裁かれ、

95年2月からイオラニ宮殿で拘禁・服役、

9月6日仮釈放となりワシントンプレイスに。

 

96年2月、オアフ島内のみ自由に動けるようになり、

10月完全に解放されました。

この期間が、ちょうどアメリカでは

歴史上最も激戦の一つと言われた、

大統領選挙戦が行われていました。

 

クリーブランドは二期目ですのでもう次はなく、

民主党の大統領候補はネブラスカ選出の下院議員ブライアン。

彼は富裕層をバックにもつ共和党候補のマッキンリーに対して

資金力の面で大きな差がありました。

(マッキンリーは10倍の選挙資金を使ったと言われます)

が、全国を回って直接国民に演説をして周りるという

新しい選挙スタイルでいいとこまで戦ったのですが

結局は惜しくも敗れてしまいます。

傑出した雄弁家だったブライアンの演説は聴衆を惹きつけ、

特に貧しい農民や賃金労働者などから

圧倒的な支持を得たそうです。

 

 

アメリカ史上に残る名演説と言われる彼のスピーチは

この時の選挙戦で行われました。

詳しくはこちらの記事でどうぞ ↓

Wikipedia 1896年アメリカ合衆国大統領選挙

 

結局、選挙で勝ったのは共和党のマッキンリー。

彼は上院議員だった頃、カラカウア王の時代に、

保護貿易を提唱し、ハワイの砂糖産業に大打撃を与えた人物。

(本書の第33章参照のこと。)

 

 

 

さらにクリーブランドの真逆で、海外への領土拡大を積極的に行い、

当時落ち目だったスペインの植民地の現地人を助けるふりして

米西戦争で勝利したら

スペインの植民地だったフィリピンやカリブ海の島々を

アメリカの保護領に組み込んじゃうというあくどい?やり方で

アメリカ領を拡大していきます。

 

当然ハワイなんか真っ先に併合されちゃったわけでした。えーん

 

アメリカの大統領選挙はほぼ一年間にわたる長い戦いですが、

11月の第一月曜日の次の日(火曜日)に行われる一般投票で

選挙人団を選び、

12月にはこの選挙人たちが投票で大統領を選ぶ

という二段階方式?の間接選挙だそうです。

(なんかイマイチよくわかりませんけど。。。)

 

今まさに、アメリカで行われている大統領選挙、

トランプ対バイデンの戦いもいろんな意味で注目されていますよね。

テレビやニュースで見ているのですが、本当よくわからない。

だいたい、なんでトランプみたいな人が大統領になれるのか?

と私なんかは思ってしまいますが、、、

共和党ってまともな人材いないの?

かといってバイデンもどうなのか・・・

まぁ、よその国のこと言ってる場合じゃない、

日本の議員だって「なんで??」って人がいっぱいいるんですけどね、、、

 

 

ともかく、リリウオカラニが米国に渡ったのは

まさに選挙の行方が決まるという頃。

とすると、新大統領が誰になるにしても

その新しい大統領に、リリウオカラニは直接会って、

ハワイの併合を辞めてもらうよう訴えたかったのでしょうかね・・・

 

大統領選の年の終わりから新大統領就任後の7月まで

リリウオカラニがアメリカで

どのような日々を過ごしたかは、

この後の章で語られていきます。

お楽しみに。