~~~ 後 編 ~~~

 

 1896年2月16日、ウィルソン夫人やカマカウ夫人と夕食中のことだった。

「ドール氏の官邸からのお使いが、お目にかかって書類をお届けしたいとお待ちです」と告げられた。

 

それでウィルソン夫人が出て行って、使いの若者アレクサンダー・セント・マール・マッキントッシュから書類を受け取ってきた。

 

私は彼に会わなかったが、その書類から私の仮釈放が解かれたこと(ただしオアフ島から外に出ることは依然として禁止されてはいたが)がわかった。

 

もしかするとこれは本物ではないかもしれません、とウィルソン夫人が言った。

なぜなら彼女の夫はそんな話を聞かされていなかったし、こうしたことは何であれウィルソンを通さないと私には届けられなかったからだ。

 

書類を読み返し間違いがないかどうか確かめた。

ウィルソン夫人は即座に夫に知らせに行った。

ウィルソンは妻にその書類を持ってくるよう言いつけ、私は彼女に持って行かせた。

確かに本物であるとわかったが、ウィルソンも本当に驚いたようで、「まず最初に自分が知らされるはずなのに」とブツブツこぼしていた。

が、大統領の方ではそんな風には思っていなかったらしい。

そして看守に知らせもせずに、この囚人を残念な看守から解放したのだった。

 

 数日後、ジョセフ・ヘレルへ夫妻と連れ立って私はワイアルアの屋敷に馬車で出かけ、そこでティモテオ牧師と気立ての良い彼の奥方と共に二週間、本当に楽しく過ごした。

私たちだけのごくささやかなお祝いだ。

魚釣りや乗馬をしたり、本当に楽しいめくるめく時間を過ごし、時を忘れてしまうほどだった。

 

 

Rev. Enoka Semaia Timoteo(1847ー1917)

当時、 ワイアルア・ハワイアン教会の牧師だった。

(現リリウオカラニ・プロテスタント教会)

画像はLiliuokalani Protestant Chruchの公式サイトより お借りしました。

 

 

 

滞在中、サミュエル・パーカー卿、アメリカ公使館員のボイド氏、ワイドマン嬢と結婚したランス氏、J・S・ウォーカー氏(息子の方)、その他の訪問があった。

ビーチで一緒に楽しく過ごした。

魚を釣り、その場で熱い炭火焼きにし、バターを塗ったパンやハワイではおなじみのポイでピクニックを楽しんだ。

 

 それから一週間かそこらののちに、今度はワイキキの屋敷に行った。

そしてこの愛する海辺の隠れ家で、私はつい先頃合衆国を訪問するまで過ごした。

ごく時たま、気分転換にカハラの私の土地へ出かけたりもした。

海辺の暮らしは静かでこれと行ったことは何もない生活だった。

が、私がそこにいた間に、状況は我がハワイの人々にとって悲惨なほど深刻になっていることが露呈していた。

 

 

(この章、了)