ルーたちが宿を出てすぐ、少年はベッドから飛び降り、私たちの方を向いた。今まで見えていなかった橙色と黄色の瞳が露になる。
さっきはよく分からなかったけど、こうして見るとすごく小さい。私よりも、頭ひとつ分くらい小さいかな。ここ最近、ずっと自分より身長が高いルーたちと一緒にいるから、自分より小さい子って何だか久しぶり。
少年は、その小さい体を目一杯折り曲げ、私たちに向かって頭を下げた。
「あの・・・みなさん。助けていただいて、本当にありがとうございました。僕、まだ弱いから咄嗟に能力を使えなくて・・・・・・。」
顔を上げた少年の表情は、さっきよりも明るかった。傷も完全に治ったらしく、腹部が痛む素振りは少しも見せない。
ただ、どうやら人見知りする性格らしく、発した言葉は少し控えめで、多少警戒する空気がそこにはあった。そういうところ、同じ古代の民でもルーにもサティにも似ていない。すごく言葉遣いが丁寧で、礼儀正しいしね。
私は、少年の緊張を少しでも和らげるために、少年の前にしゃがみ込んで、目線を同じ位置に持ってきて言った。
「いいよ、困った時はお互い様だから。それより、もう襲われないように気をつけてね。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
少年は、柔らかく微笑んだ。そうすると、尚のこと女の子みたいに可愛らしい。
何だか、小さい頃のメルを見てるみたいだなぁ。今はもう、身長抜かされちゃったけど。
その時ふと、横からメルが口を挟んできた。
「ねぇ、君・・・・・・こんなに小さいのに、1人でいたの?お父さんとか、お母さんとかは?」
メルの質問に、私もようやくはっとする。
そうだよね・・・こんな小さな子が、1人であんなところに倒れてるなんて。
私たちのように町を追い出されたっていうのも考え難いし、もしかしてこの子の両親もあの近くに・・・。
でも少年は、予想外にも不思議そうに首を傾げ、純粋な瞳でメルを見つめ返した。
「え・・・・・・?お、とう・・・さん?おかあさん・・・・・・?」
ぎこちなく、メルの言葉をそのまま繰り返す。
メルの言葉の意味が、理解出来ていないようだった。
えぇ!?りょ、両親という存在を知らないなんて・・・そんなはず。
「わ、分からないの?」
私が問うと、少年はゆっくりと頷き、上目遣いに私を見た。戸惑いからか、その瞳が微かに揺れる。
「あ、あの・・・・・・僕、何も分からないんです。」
「ほえ?」
「この世界のこと・・・自分のこと・・・・・・ほとんど、覚えてないんです・・・。」
少年の言葉を理解するのに、少し時間を要した。
徐々に頭の中でその言葉の意味を考えるにつれて、信じられない答えに辿りつく。
それって、まさか・・・。
「記憶喪失、ということかしら。」
ウィノが、私の思考がそこへ行き着くのと同時に、きっぱりと言った。
記憶喪失・・・・・・そんな、そんなことって。
自分で自分が分からないの?お父さんもお母さんも、家族という温かい存在も知らないの?
こんなに小さいのに、独りぼっちなの・・・?
それから私たちは、少年の名前が『アンタル』という名であること、8歳であること、そして――――“古代の民”であり『光』の能力者だということを実際に聞かされた。
「それ以外のこと、何も思い出せないんです・・・。4年前――――4歳の時、気付いたら森の中で、そこがどこなのか、何故自分がそこにいるのか・・・・・・何も分かりませんでした。怖くて怖くて、不安に押し潰されそうで・・・・・・必死で走っていたら、いつの間にか――――ゲイブという町へ辿り着いていたんです。」
アンタルは、苦しそうにしながらも教えてくれた。悲しい記憶なのに、辛い記憶なのに。
何も分からずただ走っていた幼い頃のアンタルを思い、胸がぎゅっと苦しくなる。
「ゲイブに着いて、人間を見て、初めて理解しました。――――僕は古代の民、ここにいる人たちとは違う、と。どうしてか分からないけど、僕は独りぼっちなんだと・・・・・・。」
アンタルの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それは、とめどなく溢れ続ける。
それが、全てを物語っている気がした。4年間の悲しみ、苦しみ、恐怖感・・・それは、到底私たちには理解出来ないほどのものだったのだろう。
「そんな僕に、宿のおばさんが優しくしてくれました。たくさんのことを教えてくれました。・・・覚えられているのは、まだ古代石とか世界の常識的なことだけだけど。そんな風にして、僕は2年の間、そこで普通に過ごしていたんです。けど、3年目になる初めの頃――――・・・。」
そこから先の話は、すごく長いものだった。アンタルは、ふと自分の持っていたペンダントがロケット式なのに気付いたらしい。
記憶を失くした時からずっと持っていたもので、能力を使う時に使用するものだったけど、普段はあまりつけていなかったために、2年間ずっと気付かなかったそうだ。
ペンダントの蓋を開いてみると、そこには――――笑顔で赤ちゃんを抱いている女の子の写真が入っていた。長い白銀の髪を垂らし、明るい表情でそこにいる女の子。
それを見た瞬間、アンタルははっとした。この写真は、自分の過去に関係ある。何故だか分からないけど、強くそう思った。
写真に入っている年月日からして、赤ちゃんは多分アンタル・・・・・・そう宿のおばさんに聞いたアンタルは、写真に写るもう1人の少女を、そして自分の記憶を取り戻すために、1年半前ゲイブを出て旅を続けてきた。そんな話だった。