娘さんが見届けた“最期の輝き”


2年前、92歳の男性が娘さんに連れられて初めてサロンに来られました。

その時、にこやかな笑顔でこう仰いました。


「ピンコロお願いしますよ」


— 長く生き、最後はコロリと旅立てたら最高だという、昔ながらの明るい冗談でした。


それから時々、娘さんと共にメタトロンを受けに通ってくださいました。


そして今回、いつも通りの調整を終えられてから ちょうど10日後、その方は静かに旅立たれました。



🕊 最後の外出が、メタトロンの日でした


娘さんは涙を浮かべながら、しかしどこか晴れやかな表情でこう報告してくれました。


「父と最後に外へ出のがメタトロンの日でした」


その日は帰宅すると、なんとお父様は

自力でお風呂に入り、3時間も、入ったり出たりしながら、しっかり自分の身体を洗い、整えられたそうです。


まるで、自分の肉体を最後まできちんと締めくくるように。


その夜、呼吸が荒くなり救急搬送されましたが、

お父様ははっきりと意思を示しました。


「家に帰りたい」


家に戻り、静かな呼吸の終わりを、娘さんは両手で包み込むように見届けました。

息が止まるその瞬間まで、そばで、しっかりと。



🌟 娘さんの言葉


「父は、最後まで自分の足で歩き、自分で身を整え、虹を渡りました。」

「寂しいけれど、軽やかで、満ち足りた最期でした。」

「最後の外出がメタトロンで本当によかった。父の願った通りの最期でした。」


涙を流しながら、それでも娘さんの顔は不思議なほど明るく、

深い納得と感謝が滲んでいました。


人生の幕は、悲しみだけではありません。

誰かの人生の終章を、愛をもって見送れること。

それはとても大きな祝福であり、

生ききった魂への敬意の瞬間だと感じます。





🌈 私が感じたこと


死別に「納得」など、本当はありません。

大切な人を失えば、胸に穴が空いたようになります。


それでも、

「最後まで自分を生ききった人の旅立ち」は、残される者の心に静かな光を灯します。


最期の瞬間まで、

歩き、洗い、整え、自分の力で生を閉じる。


それは、

人が持つ本来の尊厳と生命力の輝きでした。


そして、メタトロンがその時間を整え、

魂が虹を渡る準備を手伝えたとしたら、

セラピストとしてこれ以上の役割はありません。



🌙 最後に


お父様、どうぞ安らかに。

そして娘さん、深い愛でその瞬間を抱きしめたあなたに、

心から敬意を捧げます。


生ききった人生は、美しい。

最期の光を、私は忘れません。