今日は。
またまた久しぶりのブログです。
インスタと違って、こちらは、より自分の好きなように(インスタも好きなようにはしてるんだけど)綴っています。
昔はアメブロのほうが主流だったんですが、、、 それもまた変わりゆく流れですね。
それでいいと思っています。変わらないものなんてありえないのですから。
さてさて。
2022年はどんな年だったでしょうか。
私は、今思い返せば、ですが、「新しいことを頑張った」という年ではなく、ひたすらと「今在るものと向き合う」1年だったように感じています。
仕事面でもそうでした。
今ある、今抱えているものに対峙することが本当に多くて。
最初はそれが凄くもどかしくて、なんだかんだと成長していない自分を目の当たりにしたし、自分のできないところ、ネガティブなところにしか目が行かなくて、正直本当にしんどい1年でもありました。笑
いや、わらえねー。w
でもまさにそんな時期が、自分には必要だったんだと感じています。
2015年ごろからぼちぼちとヨガの仕事をはじめ、フリーランスであるものの、ヨガアイアムという会社に出会い、
自分ひとりではとてもじゃないけど経験できないことがたくさん経験できた。
人から見れば大したことはないでしょうが、私からすれば本当に「駆け抜けた」5~7年くらいです。
特に出産までは本当に駆け抜けてよく動いていたように感じています。
その中で、大幅で歩いて走ったがゆえに、細かい細かいものをきちんと1つずつ拾えていなかったな~なんてことは、多々あって。
コロナを経て(まだ最中?w)、世の中的にもいろいろ淘汰されてきました。
ヨガ業界も勿論その1つで。
そんな中で、本質的なことを捉えていないと、より一層厳しくなっているので、今まで通りではいかない。
私自身も数年前の自分とは立ち位置も見え方も、自分自身も変化しているので、昔と同じことをしても意味がない。
そんないろんな「足りない」ことに気づいて、それが結局は「自分」の中にしかないことにも気づいた1年でした。
仕事面でもそうでしたが、プライベート面でもそうでした。
それはやはり家族のこと。
家族、というある意味自分の「中」にいろいろ築いているものに、本当に向き合う年でした。
居ることが当たり前だった「母」という存在が、居なくなってしまった。
病を知らされたのは突然だったけれど、少しずつ少しずつ、母が居なくなっていくような感覚。
それは今も続いています。
病気が分かってから、急に(きっと母と父は、急だけど、それでも徐々に調子が悪いなという様子は私よりは感じていたと思う)母が出来ないことが増えていった。
それは最初は家事などの、まあ代わりのいることで済んでいたのだけど、少しずつ少しずつ病状が進むにつれて、生きていくうえで必要なことも手放していった。いや、手放さざるをえなかった、というか。
そして、生きることも手放して、4ヵ月くらい。
実は、正直病名を聞いたときにうわーっと感情の波が押し寄せて、それくらいの時期はよく大きな声で泣いていました。
でもお葬式の時はじわーっと涙が出る感じで、それ以外はそれほど感情が乱れて…とかは無く。
耐えられないくらいの胸の痛さとか、そういうのもないんです。
これに関しては、ある意味まだ自分が母の死を完全に受け止めていないんじゃないかとすら思っています。
いや、受け止めているんですが、なんというのか、『実感していない』というのが一番合ってるかも。
年末年始、いつもなら父が居て、母がいる。
毎年お餅をついてくれ(餅つき機ですが。笑)、おせちも頼んでくれ、年末は皆で鍋をつつき、1日からおせちを食べる。
近所の神社にいって、あとはゆっくり。
何をするでもない年末年始。
2022年まではそれが当たり前で、それも暫くは続くんだろうな、息子が小学生になったりしたらどんな感じかな、とすら思っていましたが。
今年は喪中ということもあり、御祝ごとは一切ない。
「何かが足りない」そんな感じの年末年始でした。
もちろん、家族が集えて、今皆は元気なので、それはとっても幸せで、穏やかでしたよ^^
なんというか、そうやって1つずつ1つずつ、季節を重ね、1日1日を重ね、母の死を受け入れているんだねって思います。
もはやそれでしかないんだと。何事も。
駆け抜ける時期も必要。
でも、いずれ、遅かれ早かれ、何か自分の中にあるものを丁寧に感じていくことは必要。
2023年はどんな年でしょうね。
自分の中に在るものとは向き合うのは勿論なんですが、
同時に新しいことにどんどん挑戦したい、いやせざるを得ないような肌感覚がしています。
やりたいこと、巡ってきているチャンスがもはやそうだから。
しんみりしたような内容ですが、2023にはワクワクしか感じてませんよ!楽しみ~~!!