こんにちは、いきなり、なタイトルですが^^;

 

本日、母の四十九日法要を無事迎えることができました。

母の行き先はわからないし、私は敬謙な仏教信者でもないのですが、無事極楽浄土とやらに行けたらいいな…なんて思います。

 

闘病期間も短く、葬儀も家族葬で、本当にごくごく近しい人にしか伝えてないことなので、

ブログで知ることになる方がいたら、ぶしつけをご容赦ください。

 

 

 

春先に突然母の病気がわかり、緩やかに、穏やかに、4ヵ月の闘病を経て、母は亡くなりました。

私自身の感覚としては、この4か月はあっという間のような、ものすごく長い時間だったような、不思議な感覚です。

病気が分かってから、月に1回だった帰省頻度を週に1回ほどに変え(途中、息子のコロナ陽性などで会えないときもあった)、

そして最期のほうは毎日実家に帰省する日々。

闘病と書きましたが、特に病いに抗うことなく(病状をみて、薬物治療や手術もしなかった)、ただただ穏やかに自宅でその時を迎えた母。

あ、いや、穏やかではないな。本人はやっぱりずっと「しんどい」と言っていたし。でも闘う、というより、なんだろう、耐えていたような感じもします。なので、闘病っていうか耐病。

ここでも母の我慢強さや、自分の中で全ておさめてしまう性格が強く出てるなぁなんて思ったのです。

 

母自身、どこまで自分の死について考えていたのか、病状を把握してたのか、正直今となってはわからずなんです。

(でも、ネホリハホリそれを母に聞きたいとも当時思わなかったし、今もそこに関しては特に後悔はありません。)

 

ただ、残された母の日常に少しでも登場したかったし、ただそばにいたかったという私のエゴと言えばエゴな4か月間。

(体力があればどこかに連れて行ってあげて静養でもさせてあげたかったし、食事ができるなら好きなものを好きなだけ買ってきてあげたかったけれど、残念ながらその2つは病が許してくれませんでした)

そばにいて他愛ない話をしたり、ちょっと感謝を伝えたり、手を握ったり、そういうことが私はしたかったし、それしかもはやできませんでした。

 

1日1日と、何かを手放していってるような母は、病気発覚から4か月たつころにはすっかり小さく小さくなって、

若々しくて年齢より若く見えていたのに、御棺に入るころにはどこのおばあちゃんかしらという姿になっていました(これは本人も不本意なはず)。

1つずつできることも少なくなっていったのだけれど(でも思えば進行はゆっくりだったのかも)、父がつねにそんな母に寄り添っていて、子どもの目から見ても本当に素晴らしい夫婦愛だった。

だから、正直あまり入る隙もなかったんですよね。笑

父の献身的な看病と、今の介護・医療体制のおかげ様もあって、私自身はほとんど(皆無?)介護も看護もしませんでしたし、

父自身も「介護」に関しては、スタッフの方にほぼお任せできていました。

(もちろん、看護面となれない家事はそうとう大変だったはず)

 

つらつらと綴っていますが、、、

そんな夫婦愛+私、というちょっと不思議なチームで4か月をじっくり濃く過ごせたように思います。

実はこの4か月の間で仕事面もつまづくことがたくさんあって、もう正直何も脳処理できひんでって状態ではあったんですが。笑

 

ただ、感情面は不思議とそう乱高下しなかったんですよね、特に母のことで。

 

何ででしょうね。

 

もしかしたら、もう帰られない事実(当初は余命1ヶ月と言われてました)に対して、ある意味覚悟が生まれ、

それに向けて淡々と、1日1日後悔がないように過ごせたかもしれません。

うん、それは間違いないな。

 

毎日実家から自宅へ戻るときは、「今日が最後になったら…」なんて考えたくもないけれど、そんな覚悟があるから

ちゃんと母と関わってから家を出たりとか。

 

1日1日を大事にするって本当にこういうことなんですよね…

日常って、ずっと続いていきそうだから、ついつい目の前のことを疎かにしてしまう。

でも本来はそうじゃないですよね。

目の前に愛する人がいて、くだらないことでも笑いあえたり、

仕事があること、食べたいときに食べるものに困らないこと、健康な体があること。

全てが当たり前に思ってるから、見ようともしないけど、やっぱりそれは当たり前にあるものではないんです。

 

感情の乱高下がなかったと綴りましたが、もちろん溢れてきた感情が涙に変わることはたくさんありました。

帰り道ひとりで泣きながら帰る、なんてこともあったし、お葬式でもそうです。

でも、それは感情に振り回されることとは違う気がしてます。

覚悟したことに対して、あふれ出た感情には別に何も振り回されないのを、どこかで知っている感じがして、

思う存分、その感情を味わっていたように思います。

 

 

 

まあ、そんな感じで母の病気発覚~亡くなるまでの4ヵ月。

それから四十九日までの2ヵ月弱。

 

この半年くらいは、濃い時間でした。

四十九日がどうこうってことはないけど、自分の中でも1つの区切りで、

やっぱりいつまでもこの時間の流れに居てはいけないなという感覚です。

なぜなら私はまだ生きているし、これから先も生き続けるから。

だから、四十九日があけたら、ちょっとエンジンかけて進んでいこうなんて思ってます^^

 

 

 

 

ほんと、とりとめもない。笑

綴りたいだけのブログでした。

 

 

 

 

 

あ、最後に。。

お母さん、本当にありがとう。