確か20代最後に行った旅行だったと思う。沖縄に親戚を持つ友人が、今度親戚の家に遊びに行くけど一緒にどうよ、と私を誘ってくれた。

 

断る理由もなく、仕事の休みをとって、私は友人と共に、石垣島に向かった。


が、しかし、機内に搭乗後、飛行機がなかなか離陸しない。そのうち、異音を確認したため飛行機を変更する、というアナウンスが流れ、全員空港に降ろされた。


新しい便を用意するまで羽田でのんびり待つことに。

 

1時間ほど待ってようやくアナウンスが流れ搭乗し、今度こそ羽田空港から那覇まで飛び、那覇空港から乗り継いで石垣島に到着。


10月半ばだったが、日差しは厳しく、長袖ジーパンの私は明らかに浮いていた。せめて靴だけは、と友人に言われ、念のため持ってきていたビーチサンダルに履き替えた。

 

石垣島に到着するなり、友人の親戚が経営しているというレンタカー屋さんで車を借りて、島内を走り回った。

 

スーパーでタコライスを買って、近所の魚屋でイラブチャーという皮がコバルトブルー色の白身魚の刺身を買い、友人の親戚の家に行って食べた。私はこの家に2泊させていただいた。

 

昼食後、2人で街の中をうろうろした。コンビニシーサーで買い物をした。ガジュマルの樹や屋根にあるシーサーを見つけて、私はひとりで喜んでいた。

 

その日の夜は、友人の親戚たちが集まって大宴会となった。友人の親戚の方が作ってくれた料理をたべながら、八重泉という泡盛をさんぴん茶で割って飲んだ。全くの赤の他人である私を仲間として迎えてくれたことが嬉しかった。

 

沖縄ではパパイヤは野菜として扱われることが多く、この日もまだ青いパパイヤを野菜炒めにしたパパヤーイリチーをいただいた。

 

翌日、私と友人は朝から船に乗って竹富島に向かった。船に乗って10分ほどで到着した。

 

船を降りるなり、レンタルサイクルで自転車を借りて、島内を走り回った。

 

白い砂の道を走っていると、どこからか沖縄民謡が聞こえてくる。途中、水牛車と遭遇した。

 

とにかく静かだった。時間がゆっくり流れていく。

 

星砂の浜と呼ばれるカイジ浜では、観光客が砂浜で星砂を探していた。私も友人と一緒に探して、すぐに見つけることができた。

 

カイジ浜の近くにあるコンドイビーチで、水着に着替えて、海に飛び込んだ。

 

まだ時間も早かったこともあって、私たち以外に人はいなかった。水はめちゃくちゃ綺麗で透き通っている。時々、足元を魚が通り抜けて行くのが見える。よく水族館で見かける熱帯の海に住む魚が、普通に泳いでいた。

 

遠浅で泳ぐのは難しかったが、天気に恵まれ、人もおらず、静かなビーチでのんびりできて贅沢な気分だった。

 

ビーチ近くの木には、酢の入ったペットボトルが設置されていた。これはハブクラゲという猛毒のクラゲに刺されたときに応急処置として使用するものらしい。

 

さて、そろそろ石垣島に戻りますか、と時計を見てビックリ。私の中では14、15時ぐらいかなと思っていたが、まだ12時を過ぎたばかりだった。竹富島では時間の流れ方が違うようだ。

 

石垣島に戻った私たちは、友人の親戚の方と合流して、車で島内を観光した。

 

昼食に石垣牛専門店に行って石垣牛料理を食べた。そのあと、川平湾で海の底を見ながら遊泳するグラスボートに乗って、川平観音堂に参拝して、唐人墓で記念撮影をしたあと石垣島最北端の平久保崎に行った。

 

その日の夜は、居酒屋でまた友人の親戚たちが集まって大宴会が行われた。彼らは石垣島産の泡盛、八重泉を「しま」と呼び、ひたすら飲み続ける。私は、ないち(沖縄以外の日本)では珍しい料理をひたすら食べ続けた。ジーマミー豆腐や豆腐チャンプルやグルクンの天ぷら、シャコ貝の刺身など。

 

最終日、私はお土産を買うために石垣タウンをうろうろした。生きているヤシガニが売っていたのには驚いた。私はシーサーの置物を買った。

 

レンタカーを返却し、空港に向かった。石垣空港で八重山そばを食べていたら、友人の親戚の方たちが数人、見送りに来てくれた。当然、親戚である友人を見送るためだが、彼らは私にも友達のように接してくれた。

 

彼らとハグをして、またいつか再会することを約束して別れた。