“そして未来に希望を!” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“そして未来に希望を!”

 〈本日は、私のような者が話すことに耳を傾けてみようとこれほど大勢の皆様にご来場いただき、お礼申し上げます。では早速、本題に入らせていただきましょう。気が短いたちなものですから。さて、今日は愛をテーマに話してもらえないかというご依頼を受けてここに参上したわけですが、これには少々戸惑いもありました。日頃から愛!愛!と叫ぶクセのある私ではありますが、愛の専門家でも研究者というわけでもありません。一法律家に過ぎません。まっしかし、日頃より私なりに考えてきたことはあります。今日は、それを皆様にごく簡略になるかとは思いますが、お話ししてみたいと思います。

 愛とは、人を思うこと、人に尽くすこと。端的に言うならそれだけのことです。しかし、これでお仕舞いというわけにもいきません。その愛なるものをより明確に見えるように話せればと思います。私は、愛といものを「結合愛」「庇護愛」「結束愛」という三つの言葉を通して考えています。これを一つ一つ取り上げて説明を加えていくことで人間にとっての愛というものがより見えやすくなるのではないかと考えたからです。結合愛は、いわゆる婚姻です。男性と女性が互いに惹かれ合い求め合って一つの親密なカップルを形成します。これは種の保存を源とするエロスの衝動が発動することによって営まれています。家庭の基礎になるものですね。そして次の世代が生み出される。そうやって種は保存されます。庇護愛とは、まずその基本は母性愛とも呼ばれる領域です。しかし、母親だけの専売というものではありません。キーワードは「可愛い」ですね。赤ん坊が目に入ればほとんどの人には反射的に可愛いという感情が溢れます。赤ちゃんという生き物は絶対的に弱い生き物です。誰かが常に寄り添い世話をしつづけなければ生きていけない実に頼りない生命です。そういうものには無条件にそういう感情が溢れるように設計装備されている。人間に限らず多くの哺乳動物たちもそういう衝動をもっているようです。この可愛いはそれに付随して守る守ってやらなければならないという強い行動意志をも発動させます。これは家族間だけではなく群れのメンバーの間で様々な組み合わせで発生します。目の前で幼い子供が転んで泣きじゃくっていれば、思わず助け起こしたり、そばに寄り添って自分で立ち上がるまで見守ってやったりします。こういう行動はほとんど反射的に発動されるものです。そういうふうに心が反応し身体が動くようになっているのです。こういうところを本源として強きを挫き弱きを助ける正義のヒーローのような存在も生まれたのでしょう。この庇護愛の延長線上にあるのが結束愛です。まあチーム愛のようなものでしょうか。群れというものは、言うなら運命共同体です。互いに助け合うことで群れは維持され、群れが維持されることでメンバー一人ひとりは守られ、安心して日々を暮らすことができます。このすべてを丸っとくくる言葉がすなわち愛です。こういうふうに見てくるとこうも言えるのではないでしょうか。愛とは生きることそのものである、と。そして生きるとは愛し合うことそのものなのではないか、と。愛し合う夫婦の間に子供が生まれる。そういう夫婦や家族が集まって群れをつくる。そしてみんなで力を合わせ支え合って生きていく。生きるということはそういうことではないですか? 一人の人間の一生は、母親の胎内から外の世界へ生み出された瞬間からスタートします。そして仲睦まじい両親の愛に包まれ、周囲の仲間たちに守られてすくすくと育ち一人前の人間へと成長していきます。どうですか?みなさん、この人の一生の原点である家庭というものが如何に大切なものであるか問うまでもないのではないでしょうか。私たちは、一人一人の人間がそこに生まれそこで育ってゆく家庭という場所ができる限り平和で温かなものとして維持されていくことが、この社会が無事に運営されていく上においても限りなく大事なことなのではないかと考え、その社会的責務の一つとしてこの家庭裁判所を創設しました。愛が大事?いや愛こそが生きることなのです。愛はまず生命の衝動です。そしてまた愛は普段の努力なのです。エロスの衝動とそのエネルギーだけでは足りないものがいっぱいあります。それを一つ一つみんなの努力で生み出していかなければならない。そのためには問題を見つめること、なにができるのかを考えること、そして道筋が見え目標が見えたらそれを実現するために全力で尽くす。これももちろん愛です。愛とは、人を思うこと。そして人に尽くすこと。愛とは衝動であり、努力であり、そしてなにより生命のエンジンです。愛は、それについて考えること以上にそれに気づきそれを受け入れそれをやり抜くことが大事なのです。どうかみなさん、愛を忘れないで下さい。愛は、生きることです。家庭に光を!少年に愛を! ご静聴ありがとうございました。これで終わらせていただきます〉。

 聴きに行くことは無理そうなので、自分でやってみることにした。書いてみて思ったこと。愛は空気でもあり水でもあるということではないか!? 私たちは今息苦しさの極みの中で渇き切っている。そのさ中、雨だけがどこか怒りをぶつけるかのように降りつづけている。滝行などに行かなくたって十分だろう。合掌。