日中に使われた強い感情が夢に結びつくのではないか? | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 しばらく前から、自分のテーマを持つようになった。

 それは、「強く深い感情に拠って生きる」というものである。

 対極としてイメージするのは、あっさりさっぱり、諸事万事、右から左へ受け流して生きることである。

 単に私にとっての固有のテーマだから、他人様に喧伝などはしていない。

 

 ところで、強く深い感情をともなった記憶というものは、いつまでも消えないらしい。ただし、あまりに強く深い場合には、むしろ、記憶そのものを失ってしまうこともある。その強さ深さが本人の人格に食い入り、破壊してしまいかねないからである。

 このことは、★『NHKサイエンス・スペシャル 驚異の小宇宙・人体Ⅱ 脳と心 人生をつむぐ臓器 記憶』から学んだ。

 一例として挙げられていたのは、ある青年が教員赴任直後、55日間失踪し続け、発見され病院に収容された時には、その55日間記憶が空白のままあり続けた・・・という経験だった。

 

 そうした、度を超すほどのものではない、それ相応の強く深い感情のともなった行動、経験は、記憶として残りやすい以上、睡眠中の夢の素材にもなりやすいのではないか?

 睡眠中、大脳は本人の人格や自意識から解放されて活動している。その際、当然のこと、新しく目立った記憶を宿すニューロンが使われるだろうことは容易に想像出来る。

  

 で、実は、私が昨夜から明け方にかけて見た夢が、そうしたものだった。

 またしても、芝居上演当日の夢を見たのである(笑)。

 場所は、自治会館と市民ホールの中間くらいの会場だ。上演までには、数時間ある。しかし、会場にいる私は、あることに気づく。衣装他、小道具を全く持って来ていないのだ。

 そうだ ! 小道具はすべて実家に置いて来てしまった。

 慣れない手つきでスマホを使って、実家に電話をする。ところが、電話リストから引き出せない。仕方ないので、番号を直接、入力する。その入力も、まるでスムーズに行かない。

 その後、自分は実家にいる。小道具を揃えている。

 そこへ、演出家から留守電が入っている。

「〇田です。前夜七時まで仕事をしていたのですから、色々とご苦労は分かります。がんばってやって行きましょう」というメッセージである。〇田さん?ええと、誰だったか。✕田さんなら、芝居がらみの知人だが、演出を頼んだ覚えはない。それにしても、思いやりのある方だ。ん?前夜七時まで仕事?自分は仕事はしていないが・・・。 

 夢は、そこで終わっている。

 

 昨日の日中に、強く深い感情を使ったのは、紛れもなく独り芝居の稽古である。

 また、一方で、スマホの使用も色々と神経や感情を使っている。

 ついでに言えば、夢の中での入力は、日中の操作よりも、はるかに下手だった(笑)。また、扱うスマホは、かつてのガラケーとの中間のような機器で、しかも、画面がかなり見えづらい。

 睡眠中の大脳は、この二つ(独り芝居とスマホ)又は三つ(ガラケーを加えて)を結びつけて、夢として再構成するという気ままな遊びをしたのである。

 

 なお、夢については、★の同じシリーズの別の一冊『果てしなき脳宇宙 無意識と創造性』の巻末近く、「脳と睡眠」という論考にも的確にまとめられている(井上昌次郎監修)。

 睡眠中の夢は、そもそも平均値的な分析の対象にはならないこと。睡眠中も休まない脳は、情報を目的や手段に使わず、心理レベルでは無秩序な回路を作ってしまうこと、つまり、それが夢であること。夢判断に関わる精神分析は、解釈の問題であり、いくらでも作れるフィクションでしかないこと。

 ・・・などなど、である。

 

 それにしても、面白い。

 ただ、一方で、私は、そもそも淡々とは生きられない。常にあれこれの感情が強く働いている生き方しか出来ないのかも知れない。他人に対する好悪の感情も強い。露骨である場合も多い(笑)。でも、そのことで、切れてしまう関係なら、そもそもが、その程度でしかないのだ。

 それにねえ、人間として生きてるんだからねえ。

 すぐに消え去ってしまう記憶ばかりが占める毎日じゃあ、つまらない。

 生き方は、変わりません(笑)。