御言です。
「十二家庭を中心として、イスラエル支派型の出発がなされたのです。
それでは、ヤコブの目的は誰の時代に実現しなければならないのでしょうか。イエスの時代なのです。イエスはイスラエルの基準を中心として、民族を経て、国家を経て、世界まで行かなければなりませんでした。イエスにおいては何の使命があったでしょうか。ユダヤ教は氏族を代表したものであり、ユダヤの国は民族を代表したものです。そのようになるのです。イエスを中心として、ユダヤ教まで連結すれば、イエス様が復帰された氏族の家庭を持ち、その家庭を中心として、十二支派を編成しなければならないのです。これをすることができなければ、十二支派にかかっていたユダヤ教団は責任を果たすことができないのです。イエス様はそのみ旨をなすことができませんでした。自分の親戚を中心として、従兄弟、また従兄弟をイエスを中心として、ユダヤ教まで連結すれば、イエス様が復帰された氏族の家庭を持ち、その家庭を中心として、十二支派を編成しなければならないのです。これをすることができなければ、十二支派にかかっていたユダヤ教団は責任を果たすことができないのです。イエス様はそのみ旨をなすことができませんでした。自分の親戚を中心として、従兄弟、また従兄弟を中心としてしなければならないのに、他の地に行ってしようとしたので、不信されて、追い込まれながら死んだのです。兄弟同士でやったならば、打ち殺されることはなかったでしょう。そうではありませんか。何故イエスは死ななければならなかったのでしょうか。マリヤとヨセフが過ったからです。ヨセフが夜も昼も、『これは誰の息子なのか』、と言いながらマリヤと喧嘩をしたために、その噂は広がったことでしょう。イエスが私生児として追い込まれた動機は、ヨセフとマリヤが過ちを犯したためです。ヨセフが秘密を守って、村でも『この子は私の息子だ』と言って、目をつぶって暮らしていたならば、イエスは村の中でもお兄さんとして、弟として愛されたことでしょう。けれども、そうすることができなかったために、私生児として追い込まれるようになったのです。氏族の中でもイエスを受け入れることができない立場に立ったために、悲惨な運命の道に立って、外地に出て定着して、外から再蕩減をして、氏族を復帰し、民族を復帰しなければならなかったことが、イエスが十字架で亡くなった動機となったのです。他の人の血を受けて生まれた私生児と、誰が一つになろうとするでしょうか。万が一、ヨセフとマリヤが良くしたならば身内、親戚と姻戚の八寸までも、七十人門徒、百二十人門徒を立てることができたでしょう。そのようになれば、一族はすべて神側に立てられたために、イエスは何もしないで静かにいて家庭をなして子供さえ生めばいいのです。母子協助をしたので、父子協助をすることのできる基盤さえできれば、み旨は自然になされるのです。」 (祝福78号 P85~88 我が家庭の行く道 後編 1971年8月28日 清平修練所)
私達食口は、原理講論を通して、イエス様の十字架の死に対しては、洗礼ヨハネの失敗が最も大きな原因であったと学んできました。しかしながら、ヨセフ家庭が勝利できなかったため、そのヨセフの使命が洗礼ヨハネに加重されていたはずなのです。もしヨセフ家庭とザカリヤ家庭が使命を果たしていたならば、ヨセフの氏族の中で、洗礼ヨハネを中心とするイエス様の従兄弟たちによって十二支派編成が成され、イエス様が氏族のメシヤとして出発するための環境が整っていたはずでした。
マリヤは、その環境の中で洗礼ヨハネとイエス様の一体化に専念することができたはずであり、また洗礼ヨハネの妹をイエス様の新婦として教育し、エリサベツとともに洗礼ヨハネとイエス様の両者の結婚式を準備することができたはずでした。
また、洗礼ヨハネはエリヤの準備すべきであった7000名の基盤を整え、国家的天使長の立場に立つ当時の総督を取り込み、イエス様につなげる道が開かれていたことでしょう。
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