沖縄まであと二週間。早い。

ていうか夢のよう。本当にいいのか。

この罪の意識はなかなか拭い去れない。



旅行とは無縁に生きてきた。

幼いころは夏に家族で海に行くために

毎夏宿泊旅行はしていた。

車で行くのは最悪だとは思っていたが

それよりも海で遊べる喜びや、旅行中の

両親は普段の両親よりももめ事が

少なく、自分にとってその夏の旅行は

楽しみだった。



そして遠野。夏休みは楽しいことばかり。



だが中学に入って部活を始めてからは

家族といるより友達といるほうが楽しかったし

その後目的を失った高校時代は旅行に行くこと

などまるで眼中にもなかった。




なぜか母と当時流行っていた清里に行くことに

なりそれはそれで楽しみではあったのだが。



普段の日々がつまらないから、その気持ちのまま

旅行に行っても何とも盛り上がらず。きっとそれは

母も同じだっただろう。

そもそも常に体調が悪い母のこと、清里についても

とりあえずベッドに横になっていた。


散策をしたとか何か野外での活動に参加したとかって

こともなく。

熟年夫婦のような旅行で17歳の高校生が

楽しいわけがない。



22歳で一人でNYへ。しかしこれも旅行というより

ただ滞在してうろうろして、仕舞には現地でバイトまで

始めてしまったから旅行の感覚とはちょっと違った。




単純に日々の生活からちょっと抜け出して

気になる場所に足を運んでみる。特定の目的もなく。

そんな贅沢が許されるのだろうか。そんな気持ち。

まして沖縄。ずっと憧れていたけれどあまりに

遠すぎると諦めていた場所。





わかっている。楽しみな日はやがて必ず訪れて

気づくと終わっている。それは楽しみでも苦しみでも

同じ。やがて来て、終わる。やがて来るだけでも

いいかとも思う。




二週間。二週間なら今何か自らに病気が見つかったとしても

とりあえず沖縄にはいかれるだろう。



何か目的を設定するのにあまり期限が長すぎると

その前に何等かの理由で挫折してしまうことも

あるだろう。特にその理由が病気とかってさ。



ありうる。若くてもそうじゃなくても。




人生なんて後悔するものだ。

どこでだってなんだって起こりうる。悲しいこと。

予想だにしない出来事が起こるんだ。


だがそれもやがて来て終わる。それが

人生の終わりだとしても。





そんなこんなには抗えない。

だから今を生きねば。楽しいことを探して

動かねば。


じっとしていた若者時代の無念を晴らす思いは

最早ほぼ忘れている。

今は単純に純粋に今を生きようと思っている。




沖縄には朝の第一便で行けば9時半には

那覇に着いている。早い。

しかしNYは遠いよ。あまりに遠い。

沖縄までの飛行機だって飽きてしまうのに

どうやってNYまで乗っていられるってんだ。



どうにかして爆睡するってのは?

難しいよな。それに沖縄に行きたい気持ちと

NY再訪への気持ちを量りにかけたら

今は9対1で沖縄だからさ。



この飽きっぽい自分がまるで飽きていない

沖縄へ。

そういえばこの気持ち。中学生の頃に

原宿に対して抱いていた気持ちに似ている!

家庭科の課題があるからって嘘ついてまで

中学三年の頃原宿に行ったことがあったっけ。


そこから2~3年は原宿病にかかっていたんだ。

くまなく歩き回って独自の地図まで描いてさ。

思い出すあの頃の気持ち。



二週間後。

すっきりとした気持ちでいかれますように。