昨日はちょうど買い物から帰ってきたあと、MTVの’83のPVをヘラヘラと歌いながら見てた時に、あのすごい揺れがきて、娘と飛び跳ねました。
とっさに何をすればいいのか、全く頼りにならない母になっていました。
2度目の地震がくる前に、娘に「着替えてこい
」と言い、外へ出て周りを確認したりもしましたが、子どもたちは学校だし、比較的騒ぎもおきていませんでした。2度目の大揺れがきた時は、2階で何かがドサッと落ちる音がしたくらいで、家に被害はなかったものの・・・
急に洗面所の換気扇から水がぽたぽたたれてきたり…
何をどうしたらいいのか、わからない状態でした。
あんなに恐い思いをしたのは生まれてはじめてかもしれません。
神戸で被害にあった友人のことを思い出しました。
彼女は私よりずっと恐い思いをしたんだろうな…と。
ケーブルTVを地上波に戻し、それからずっと地震情報を見ていました。
娘はネットでの情報を収集していました。
日本のテレビで流すより早く、アメリカで流れる被害の実況は生々しく、見るのも恐かった。
ちょうど息子が夜行バスでの日帰りスノボ旅行に出かけていて、全く連絡がとれず、夜遅くまでやきもきしましたが、何とかバスで高速移動中に連絡が取れ、一安心でした。
そのあと、夜遅くなってから電話がきて、山梨あたりのサービスエリアで足止めをされてるとのことでした。
高速道路が不通になっていたようです。
足止めされてるのが広いサービスエリアでよかったです。
トイレや飲食、休憩にも問題なさそうでしたので。
私はもう寝ていましたが、朝4時頃に息子は無事帰宅できたようです。
旦那は仕事の現場の 桜上水 から、徒歩で帰宅。
バスは早くから動いていたのですが、幹線道路は渋滞がひどく、歩いてる旦那はバスを追い越してきたと言っていました。
歩くことはそれほど苦ではなかったけど、とにかく寒くて、そのほうがきつかったとも言っていました。
お風呂の支度をして、ゆっくり温まってもらいました。
そんなことができること、それはあんなすごい揺れを感じても、ライフラインが何一つ止まらなかったおかげです。
一夜あけて、今もまだ地震の報道が続いています。
被害はどんどん拡大しています。
津波で家が押し流され、いとも簡単に潰れて行く様は、見ていても胃が痛くなるほどです。
ビルのガラスや外壁がバラバラと落ちてくる映像…
平日の普通の日の出来事ですから、家族の安否を確認するのにどれだけ大変な思いをしたかと思うと・・・。
便利なはずの携帯も、今回はあまり役に立ちませんでした。
何とかつながったのは 家の電話 だったのです。
避難グッズなんて、全く準備してなかった私。
たとえ使わないとしても、用意だけはしておくべきだとかなり実感を持ちました。
大きな揺れが過ぎ去ったあと、何とか夕飯を・・・とキッチンに立ったのですが、ガスがつきません。
娘がネットを見ていて
「震度4以上になると、自動的に停止になるみたいだよ」と教えてくれたので、薄暗い中懐中電灯を持って、解除をしました。
それでも長くガスを使うのが恐かったので、娘と二人、ごくごく簡単なものですませました。
旦那は途中で何か買って帰ると言っていたのですけど、あまりに寒くて、早く帰りたくなったらしく、手ブラでした。
それで・・・大好きな納豆を2パックも使い、どんぶりでご飯食べてました。
いつもよりやや早い時間にピグに入り、ピグ友さんたちと情報交換しながらおしゃべりをする頃にはだいぶ気分も落ち着いてきてましたが、ホントに精神的に疲れた・・・といった感じでしたので、0時を待って帰りました。
なぅでは色々書き込みをして、その度にお友達に心配してもらったり…
ホントにありがとうございました。
災害の渦中にいる方々とは、連絡のとりようもないですが、どうか皆さんご無事でいますように…