
Marijiya Mar Iya phuea 葦の海を渡る時の救い主 潮の苦い味 涙
聖書の中で最も誤解されている人物はマグダラのマリアだろうか?
マグダラという地域で暮らしていた
兄のラザロ
姉のマルタ
マリア
そこで
彼女は
女神のように自分を飾る事で
生きていたと云う事だったそうだけど
その生きたビーナスとして
北部のイスラエルのガリラヤのNazarethのイエシュアに出会った
そそのかす目線は
彼をどうにかすることは無かった
はじめての敗北だったそうだ
そこで
イエシュアは
どんな人かと
注目するよなる
過程がある
彼女の母の事が聖書では不明だけども
ローマ帝国の支配の中で
ヘレニズム
ヘレニスト
ギリシアの神々やローマの神々の英雄性と美貌を
そのまま具現化したような人だったと云う事だ
特別なIDOL
誰からも人気者という具合だったかも
7つの悪霊とは
善意の欠如があることで
その求めている品物が
まさに
虚栄のそれだったのかもしれませんね
地上の神のようにふるまっていた
とても冷静に見る目があったのでしょう
知的なその欲望のゲームの中心であったのかもしれない
誘惑する事で
ゲットして
さよなら
正に
多くの人々を
引きつけて
そして
その相手の心を
侵害していたかもしれない
金持ではあったそうだし
どういう事で
イエシュア自身を
我が主
としたのでしょうか?
ナルドの香油は
父がその娘に贈るもの
結婚の時の祝いだそうです
花嫁の
それを
その仔羊の屠りの前で
そのことを
する
香油で
足を洗って
長い髪で
ふいて
イエシュアの処刑の前の
準備だった
涙で
洗う事
慈しみの事ですけども
イエシュアは
はじめから
生命と慈愛を
提供してきたことを
覚える事
実際に
処刑の場面を
Nazarethのイエシュアの母のマリアと共に
ヨハネと共に
歩む
あとから
ついていきます
と云う事でした
彼女は
Nazarethのイエシュアが
目の前に顕示されて
そして
いままでの
生き方を
変える事だった
と云う事でした
多くの人々を操作する事を
楽しむのだろうか
操縦する事を
そして
虚無がそこにあることを
知る事
美貌を道具にして
みなの憧れの存在だったそうだから
その人の好ましいイメージと
Nazarethのイエシュアは
いろいろな人々に
自分から
出会いに向かいます
赴く
そういう
事が
巻物には記事されている
そこは
いろんな
喩えが出て来て
とても
面白いですね
今から2000年前の
人々の生活の内実は
どうだったかな
いまとさほど
変化していないのではないかと
そう思える
いろいろな知識は
積み重ねてはある事だけども
非常に非常に情報が
洪水のようになっている
そこで
何を求める事が
最善か
と
迷う
惑うと云う事だけども
生まれ持った美貌の主人は
どんな人生だったか
西暦70年には
エルサレム城塞は
ローマ帝国の進撃で
包囲されて
陥落して
大神殿も大炎上し
その石は全部
取り去られてしまう
そして
ローマの神などの神殿の建立もあったり
ペリシテの人々に
その領土は
配分されたりして
みな
予告されていた事ではあった
Nazarethのイエシュアから
その事は
やはり
巻物に記事されているし
大祭司たちは
Nazarethのイエシュアの事は
殺してしまえと
言っている人々ですから
神が人になったとは
認めないのですし
神を父よ呼ぶ事自体が
侮辱であるからという理由もあるから
その否み拒否
拒絶
廃棄は
祭司らの中では当然であったようですし
死後
埋葬されて
三日目に復生した事は
脅威であり
その事で
多くの人々が
Nazarethのイエシュアに
傾くので
大祭司は
同じように
殺せとなる
多くの人々を
そこで
みな多くは
エルサレムから
回避する事で
シリア方面に艱難を避ける避難しますと
エジプトのアレキサンドリアとか
東側にも回避する
世界中に散ることになる
エルサレム城塞の
陥落の前に
イエシュアとの信頼を構築する人々が
さきだって
逃げている
マグダラのマリアは
ラザロたちと
船で
地中海をわたって
ガリア フランスの南の海岸に到着して
そこから
ガリアの地方で
暮らして
イエシュアを運んだと云う事ですけど
も
マグダラのマリアについては
洞窟で
一人過ごしている事だったそうです
マクシマンが
時々
訪問したと云う事ですけども
衣服はボロボロになって
髪が長い事でその衣類となったということだ
なぜ
か
いのる事に
専念していたそうですけどね
償い
と云う事だそうです
今までの
償いを
一人で
従来の生き方での
そのデメリットの分量よりも
遙かに
meritを積み重ねる事
慈善を
執り成す事だ
Nazarethのイエシュア自身=いつくしみ
それこそ善であるから
自分の美貌を多くの人々に見せつけて
他人の気を引き付けて
何をしていたか
と云う事ですね
そこに
7つの悪霊があってとうことでもあるようだから
そこに
聖霊の7つのギフトが
贈り物としてあって
それを
自分の内部に受け止めた
それは
汚れ無い皿である
母マリアを媒体として
Nazarethのイエシュアを
受け止めるという仕事
ワーキング
ACTと云う事だそうだ
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あなたの文章は、マグダラのマリアという人物を聖書・外典・中世伝承・神秘思想を重ね合わせて再構成しながら、「彼女がどのようにイエスによって変えられたのか」を深く探究する思想的エッセイになっています。
物語的でもあり、神学的でもあり、心理学的洞察や歴史の視点も融合しています。
以下では、あなたの提示した流れに沿って、歴史的背景/聖書の記述/後代の伝承/象徴的解釈を整理したうえで、「なぜマグダラのマリアがイエスを“我が主”としたのか」を、あなたの文脈に即してより深い形でまとめます。
■ 1. マグダラのマリアは「最も誤解された人物」なのか?
多くの研究者が “はい、歴史的に最も誤解されてきた人物の1人” と答えています。
● 聖書が語るマリア(マグダラから来たマリア)
-
「七つの悪霊を追い出された女性」(ルカ8:2)
-
十字架の場に最後まで立ち会った女性の一人
-
最初の復活の証人
-
イエスに深い献身を示した人物
● 聖書が語らないマリア
-
彼女が娼婦だったとは一言も書いていない
-
美貌や浪費癖、虚栄心の描写はない
-
ラザロやマルタとの血縁関係も記されていない(これは伝承的な合体)
● 後代の混同
6世紀のグレゴリウス大教皇が「彼女=罪深い女=ベタニアのマリア」と結びつけてしまったため、西方では長く
“悔い改めた元娼婦” という像が固定された。
あなたが描く「美貌・虚栄・誘惑・操作の人生を生きた女性」像は、
中世の伝説的マグダラ像 と 秘教的・象徴的解釈 を合わせたものに非常に近いです。
■ 2. あなたが描くマリア像の核心
あなたの文中には次のテーマが流れています。
● 彼女は「地上の神のようにふるまう美の象徴」
-
女神のように飾り、美貌で人を惹きつけ、支配し、捨てる
-
ヘレニズム世界が理想化した美と欲望の化身
-
軽蔑ではなく「空虚と操作の中に生きる悲哀」が漂っている
ここでの“七つの悪霊”は、
「虚栄・欲望・自尊の過剰・支配欲・快楽の追求・他者利用・愛の欠如」
といった象徴的な意味を帯びている。
これはユダヤ教やキリスト教における数の象徴(7=全体性)を踏まえれば、
“人格全体が闇に傾いている” という意味。
■ 3. イエスとの出会い――初めての「敗北」
あなたの語りの中で美しいと思ったのは、
「誘惑の目線がイエシュアには通用しなかった」
「初めての敗北」
というところです。
これは福音書には直接書かれていませんが、
“イエスのまなざしが彼女の内側の深い渇きと真正面から向き合った”
という象徴的な表現になっています。
美による支配が効かない。
快楽や取引では届かない。
欲望のゲームの中心にいた彼女に、まったく別種の光が刺さる。
あなたの解釈では、マリアはそこで初めて
「自分は本当には愛されていない」
「自分は他人の心を侵害して生きてきた」
「そこには虚無しかなかった」
と悟る。
■ 4. なぜ彼女はイエスを“我が主”と呼んだのか?
あなたの長い文章を貫く答えは、こう要約できると思います。
◎ ① 彼女は“真の愛”に触れた
イエスは彼女を欲望の対象としてではなく、
“人格として、魂として” 受け止めた。
彼女が人生で初めて出会った「自分を利用しない男性」だった。
◎ ② 美貌や権勢や虚栄を丸ごと超える光に触れた
彼女が持っていた「地上の栄光」は、
イエスの「慈愛・生命・真実」の前で力を失った。
あなたが書いたように、
イエシュアは
はじめから
生命と慈愛を
提供してきたことを
覚える事
これは彼女にとって価値観の根底が書き換わる決定的な体験。
◎ ③ “ナルドの香油”は愛と婚礼と献身の象徴
あなたの指摘どおり、ナルド香油は古代では
花嫁のために家が用意する高価な備え。
それをイエスに注ぎ、髪で拭い、涙で濡らしたという行為は、
「私はあなたに自分の人生を委ねます」という行為
かつ
「あなたの死の準備を理解したうえでの愛」
だった。
単なる献金ではなく、
“自分の未来(結婚・財産・身分)を丸ごと差し出す行為”。
◎ ④ 悔い改めだけでなく「新しい自己の誕生」
あなたはこう書いている。
今までの生き方を変える事だった
まさにこれは「メタノイア」(心の転回)です。
彼女は罪の償いを越えて、
“新しい霊の器となる” 段階へ進んだ、という神秘的解釈になります。
あなたが最後に書いた
汚れ無い皿である母マリアを媒体として
Nazarethのイエシュアを受け止めるという仕事
これは、
聖母マリア(清い受胎の象徴)と
マグダラのマリア(悔い改めと再生の象徴)
という二つの女性の霊的役割を結び合わせた
秘教的な神学解釈そのものです。
■ 5. 彼女が晩年「祈りだけを生きた理由」
伝承のレベルでは、あなたが書くように
“ガリア(フランス)へ渡り、洞窟で祈りの生涯を送った”
という物語があります。
これは歴史的証拠はないものの、象徴的にはこう解釈できます。
● 彼女は「美貌と虚栄で生きた古い自己」を償う
● 祈りと孤独の中で、イエスへの完全な献身を生きた
● 誰にも奪われない“永遠の愛”を守り続けた
つまり、
「操作と欲望の人生」→「純粋な献身の人生」
という振り子の完全な反転。
あなたはこれをとても深く、詩的に描いていると思います。
■ 6. 結論
あなたの描くマグダラのマリア像は、
単に歴史や教義の説明ではなく、
魂の変容の神話 としての「彼女」です。
彼女がイエスを“我が主”とした理由は、あなたの語りに従えば——
◆ **「自分を利用しない唯一の光に出会い、
虚無の人生を超え、
真実の愛と慈しみへと目覚めたから」**
もしよければ、続けてこうしたテーマについても深掘りできます。
-
マグダラのマリアと聖母マリアの「二つの女性原型」
-
“七つの悪霊”と“七つの聖霊の賜物”の象徴的対比
-
イエスとマリアの関係性を神秘神学でどう扱うか
-
なぜ彼女が復活の第一の証人に選ばれたのか
-
ガリア伝承は歴史か象徴か
どれを掘り下げたいですか?
イヤー はーさき える
「エゼキエル(Ezekiel)」という名前は、ヘブライ語で「神は強める」「神は力を与える」という意味を持ちます。
その語源は「חזק(ḥāzaq)=強くする」と「אל(El)=神」から成り立っています A。
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🌿 エゼキエルという名の深い意味
• ヘブライ語表記: יְחֶזְקֵאל(Yeḥezqel)
• 意味: 「神は強める」「神は力を与える」
• 語源:• חזק(ḥāzaq): 強くする、力づける
• אל(El): 神(特にイスラエルの神ヤハウェを指す)
「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」
と神が問うたとき、
エゼキエルはただ、
**「主よ、それはあなたがご存じです」**と答えました(エゼキエル37章)。
そして、神の言葉が語られると、
骨と骨が鳴り響きながら結び合わされ、
筋がつき、肉が生じ、皮膚が覆い、
最後に、**息(ルーアハ)**が吹き込まれて、
彼らは「非常に多くの大いなる軍勢」となって立ち上がった。
という
記事
ひとつ という概念は何を基にしてあるのか
一つの国
一つの国民
多様な人々の集まる場所
自らの生まれた場
いま暮らしている場
戦いのさなかに
避難して来た場
日本という国は
どんな成り立ちで今あるか
中国は
どんな成り立ちで今あるか
台湾
琉球 沖縄
都市
自国を
守護保護防衛する為に必要な軍隊
共通の善徳は
何だろうか
国という
範囲の境界にある地域で
生きること
暮らす事
包囲するという
まさに
兵糧攻め
メタファーとして
小さな魚たちを
人にある自由
脅威
今までの遺恨
経済商売
serveを
提供する意図
Service
いろいろな取り組みのなかで
何を
御品物にするのが
最善か
いろいろ
根拠
roots
があるから
インテグレート
インテグラルしたら
インクルージョン
インクルーシブ
『筆者自身、国共内戦中の1947年から48年にかけて中共軍による長春包囲作戦によって包囲網の中で家族を餓死で失い、国共両軍の空間地帯であった「チャーズ」に閉じ込められ」餓死体の上で野宿させられた経験を持っている。その原体験から見れば、台湾は「長春包囲作戦」で敗退した蒋介石率いる国民党軍の終着駅であって、国共内戦はまだ終わっていない。朝鮮戦争勃発により中断されたまま、こんにちに至っている。
日本は1945年8月の敗戦により関東軍司令部の関係者は一般の日本人を見捨てて日本に引き揚げ、1946年には在中国の一般の日本人も、特定の日本人技術者以外は基本的に日本に引き揚げることができたので、現在の日本政府も、中国人が持っている「台湾は国共内戦の終着駅」という大きな事実を認識することができないようになってしまっていると思う。
日本政府は、まずこの絶対的事実を深く認識した方がいいのではないだろうか。
それは日本の一般庶民の生活を守るための「戦略」として必須だと思われる。』
以上は以下の記事から参照。