あうん
横手は
須賀川
二階堂
や
都賀
茂木
また
岩瀬御台は
蘆名の姫
会津の名門は
伊達政宗さんの侵攻で
負け
佐竹さんは
支援すが
負けた
須賀川二階堂家に
養子に入る
また
伊達政宗さんは
二階堂も
攻めて
勝つ
伊達政宗さんの
おばさんは
大乗院
佐竹義重
さん
義宣さんは
1602
年
出羽に
左遷を
命令
蘆名な
佐竹さんの支援
角館
に
入る
須田美濃も
後
伊達政宗のおじ
国分さんが
横手城代
その後
須田美濃が
横手城代
岩瀬御台は
キリシタンと懇意
家光将軍は
佐竹や伊達を
締め付けますから
1623年年末には
芝の札の辻で
火炙り
アンジェリス神仏
東北地方
北海道にも
宣教
巡回
のちに
カルワリオ神父
仙台藩
秋田藩
に
まわりまして
沢山のキリシタンに
訪問し
ミサを
奉献したり
聖体を
授けに向かいます
故に
キリシタンの排除を
厳命
秋田藩は
武士でもキリシタンは
いましたから
身代わり
処刑された
キリシタン武士が複数ある
征夷大将軍には
逆らうなら
御家は
改易にされてしまうから
キリシタンは
全て
無いことにします
から
仏教徒に
なるように
推し進めました
しかしながら
内的には
子安観音や
木の像など
掛け軸などに
ラテン語をあしらったりして
父
子
聖霊への
信頼は
消えないように
工夫して
明治期まで
内々に
継承した
人人もいました