前回、経営者に未経験ドライバーを受け入れるための体制作りには、3つの覚悟が必要と述べました。
私の会社のドライバーの38%が私の会社で初めてトラックのハンドルを握ったドライバーです。未経験ドライバーを積極採用しようと宣言し、会社方針としたのが2000年でした。
今とは、まるで事情が違いましたので、すべき私の覚悟も根本的に違うものでした。
この3つでした。要は、当社の好みに合う者だけついてきてくれれば良い、という考え方です。①のためにISO9001を認証取得しました。②のためにトラックドライバー・コンテストへの参戦を決めました。③のために、運賃歩合制賃金から出来高制で仕事の負荷をポイント化して、キツイ仕事ほど稼げるポイント給与システムを作り上げました。
多くの傷を負いました。改革の覚悟は緩めませんでしたので、考えに同調できない者は去っていき、相当数の退職者が出ました。特に運送屋にどっぷり浸かっていた「楽して稼ごう」というドライバーが去っていきました。その中には、腕の良い職人的ドライバーもいて、「仕事は堅いドライバーだったのに惜しいことしたなぁ」と荷主に残念がられるなど、痛手は大きかったのです。
私がなぜこだわりを捨てなかったかというと、自分の経営者としての心が徐々に荒んでいく自覚があったからです。改革するのも辛いですが、日々妥協を繰り返す方がもっとキツかったのです。一から出直す覚悟でやっていきましたので、産みの苦しみも大きかったですが、まったく違う会社に生まれ変わりました。
その核になったのが、未経験ドライバーをプロ化できたことであり、そのこと自体が私の自信になったことです。
私にとってのプロドラバー定義は、私の初作である「小さな運送・物流会社のためのプロドラバーを育てる3つのルール」(同文舘出版)でも示したように
この3つがバランス良く身についたドライバーです。
トラックドライバーは、運転が上手いだけではプロとは呼べません。荷主に信頼され、指名され、同僚にも尊敬されるようなドライバー像です。
具体的な事例をここで紹介します。
事例A.消防車を運転することを目標にして、東京消防庁で6年間頑張ってきた経歴を持つ29歳のYくんの事例です。
消防士長にまで昇進していた彼が、どうしてトラックドライバーの道に転身しようとしているかが正直理解できませんでしたが、逸材であることは確認できたので、採用を決めました。
志望動機は下の画像にあるように「考える物流」という言葉が転職を決意させたようです。
さて、どう育てようかと思案しながら面談をしていきました。
体育系で鍛え上げた体力と精神力と29歳という若さを活かせなければ、会社側の大きな落ち度であり、育成が成功すれば、本人にとっても会社にとっても大変ハッピーなことです。
まずは、育成方針について話し合いながら感じ取った5つの特長がYくんにはありました。
このYくんはなんと入社3年後にトラックドライバー・コンテストの静岡県大会で準優勝を果たすのです。前年大会ではホーム付け競技で攻め過ぎてしまい、ホームに接触し大減点で失速したにもかかわらず、守りに入らなかったのが功を奏しました。賞金の一部でこだわりの本格コーヒーメーカーを購入し、会社に寄付してくれ、そのメーカーで私に渾身の一杯をご馳走してくれたのです。本当に美味しかった。豆の挽き方から研究しているというから美味しいはずです。
この一連のエピソードで上記5つの特長がご理解いただけたと思います。
私はトラックドライバー・コンテストをドライバー育成の「ツール」として使っているに過ぎません。目的ではないのです。
例えば、国家は国民の気持ちを一つにさせて国力を上げる施策を考えます。戦争ではなく、健全に戦うオリンピックという舞台を用意し、それに多大な予算を注ぎ、選手は栄冠を勝ち取るために切磋琢磨し、そのひたむきな姿に国民は心を動かされ、国民の心が一つになって選手やチームを応援し、更に栄冠を手にすることで達成感を味わう。これも私流にいえば、オリンピックもツールなのです。大手企業が実業団のクラブチームを持つのも同じ考えだと思います。
Yくんは、ツールを上手く使い短期間でプロのトラックドライバーに成長しました。入社4年目のいまではドライバー目線でいかに良い環境で仕事をドライバーにしてもらい、荷主の満足が得られるかまで、会社に提案し、実現してくれる力がつきました。
