中源線のように数式で判断する方法でなくても、ダマシは存在します。

中源線にはない観点ですが、「半年きれいに下げた」「下げのペースが鈍っている」「ほぼ横ばいだ」といった観測から「そろそろ上がるだろう」と買いはじめたところ、マーケット全体が売られて、その銘柄も一段安……「あれっ、下げ止まっていなかったか」と。

今までつづけてきた方法で買いと判断して出動したことに間違いはなく、結果的に見込みどおりでなかっただけです。
でも、負けを認めるのは心理的に避けたいので、「株価指数が下げたんだから仕方がない」などと先送り放置を決め込む“言い訳”を見つけたりします。
誰かに言い訳する必要などないのに……。

中源線のシグナル(法示)を見て「くそ~」とつぶやきながら損切りする、というような行動を取ればいいのですが、瞬発力を求められる場面でヘンなブレーキをかけてしまうと「それきり」状態が発生します。
「それきり」は、対策を見失った“塩漬け”や、想定外の大きな損失を生みます。

中源線のアレンジで裁量を加えたときは、こうした中途半端な心理作用に要注意です。

安値でモタモタしている銘柄が多いと、出遅れ狙いで先回りして仕込むことを考えつくでしょう。
おそらく中源線では、陽転している確率は低いでしょうが、裁量では多くの個人投資家に好まれる狙いです。

でも、せっせと仕込んだのに全く動意づかない……こんな展開も“あるある”ですよね。
下げないまでも動きがなかったら、その分だけ資金が寝てしまいます。
想定していたのとは異なる範囲に資金が入っても、指をくわえて見ているだけです。
こういった状況も、ある意味、ダマシです。

動意づいてから陽転、つまり「動きはじめてから買いをスタート」という中源線のロジックに納得しながらも、「もう一歩はやく陽転してくれたらなあ」なんて……。
でも、「出遅れ出ずじまい」を想像すると、やはり出発点を決めてくれる中源線はありがたいと感じたり、気持ちは揺れ動きます。

ダマシのパターンを考えながら、私たちの心理のデリケートな部分を言葉にしてみました。
相場は難しいよね──こんなつぶやきも出てしまいますが、それが結論では前に進みません。

同じことを愚直に繰り返しながらも、状況に応じて微調整をします。
例えば「買い場だ」と判断して仕込みはじめても、値動きを見ながら分割で買っていくペースを速めたり遅くしたり……当然の対応ですよね。

でも、うっかりすると、微調整のつもりが根幹の戦略を変えてしまったりします。

1回ごとの勝ち負けは、プラスでもマイナスでも心に響きます。
このプラスマイナスの振れ幅を、できれば小さくしたいのです。

「当たったよ、でも当然だよね」
「見込み違いか……切るだけだよ」

許される微調整、当然の臨機応変な対応は、実行しやすい部分です。
これに対して、根本の戦略をいじる行為は、かなりビシッとした判断がないとダメです。

両者の境界線は、手法によって、人によって異なります。
また、株価変動は激しいので、その境界線をぼやけさせます。

「自分がやるのはコレだ!」「これを得意技にしているんだ」という意識こそ、プレーヤーでありながら監督とコーチまで兼任する、私たち個人投資家が大切にすべきことだと思います。