時差ぼけの最中にワンオクロックの「Renegades」 を聴いて(その4) | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

いよいよシリーズ最終記事に到達し、羽生結弦選手の特別寄稿論文を読んで私が思ったことについて書いていきます。

 

羽生選手の卒業論文、および学術雑誌への投稿というトピックもすでに浮上してからずいぶんと時間が経っていますが、私はこれについてすぐに考えがまとまらず、何となく「熟成」させておいたところがあります。

 

色んな人が色んな角度から記事を上げているし、今さら自分が何か書いてもなあ、という思いもありました。

 

が、ここで一念発起して取り上げてみたいと思います。

 

 

私は以前も「小保方さんの博論」に関する記事で書いた通り、人生のおおかたを大学といった環境で過ごし、大学(院)生と関わって来ました。(自分自身が学生であったことから始まり、その後は研究員、教員、職員としての立場から)

 

なので本記事はそういった経験を踏まえているということをご了承ください。

 

 

 


学生の卒論を指導する立場から言えば、スタート地点となるのはその人が「何を論文のテーマとしたいのか」、そのテーマの特にどこに,

何故、興味があるのか、何を使ってどう調べるのか、といったポイントを明らかにすることでしょう。

 

「帰国子女について~」とか、「カナダにおける先住民の扱いについて~」とか、調べたいテーマが何となく決まっているだけでその他はあまりにも漠然としていたら「書き上がるまでにどんだけ時間がかかるんだぁぁぁっ!」となるので、まず、しっかりと道筋をつけるのが大切です。

 

が、これがなかなか難しいんですわ。

 

しかし逆に言えば、それさえできれば後は全て定まった手順に従って粛々と作業をすることに集中できるので、指導者側としてはひと仕事終わった気分になります。

 

この点、羽生選手の指導教授はラッキーだったなあ、と思わざるを得ません。もちろん、彼ほどの逸材をどう扱えば良いのか、ということに関してはそれなりの心労がおありだったかも知れませんが。

 

「先生、僕、フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術の活用を卒論のテーマにしたいと思いますっ!」

 

 

と、もしも私が羽生選手に言われ(勝手な想像で申し訳ありません)、研究の社会的意義だとか、取り組むにあたっての個人的な動機付けだとか、特に焦点を当てたい側面だとか、用いる方法論だとかをグワーッと熱弁されたら、その時点で

 

「はい、わかりました、どうぞ思う存分やってください。何か手伝えることがあれば遠慮なく質問してね」

 

と安心するだろうと思います。

 

そしてこの度、『人間科学研究』に投稿された特別寄稿論文(「卒業論文の一部を加筆・訂正したもの」となっています)から判断すると、期待された通りの研究が仕上がったのだと思われます。

 

なお、ポプラさんが寄稿論文の内容とフォーマットについて述べてくださっているのでブログ記事をここに貼り付けさせていただきますが

 

 

 

 

ほぼ、全面的に同意です。

 

 

私から加えて言うとすれば、独自の発想と方法を用いての実験を行い、オリジナルのデータを提供するのは学部生レベルの卒論ではなく、もはや大学院生のそれだなあ、ということですかね。

 

羽生選手の場合、この研究が自身の第一線での体験(フィールドワークとも言える)を背景としていることも特筆に値すると思います。

 

題材となる現象や現場の「外側」ではなく「内側」にいる者が研究を行うのは、リサーチのデザインや分析における主観やバイアスに繋がりますから、その点をしっかりと明らかにした上で記述を進めていくことが大切です。が、この場合は羽生選手の経歴を知らない人はいないでしょうから、それを踏まえて読む側は研究成果を評価すればいいわけで、問題は解消されます。

 

その一方で「羽生結弦」というフィギュアスケートにおける第一人者が行なった研究である、という利点は色んなものが挙げられると思います。
 
単純なところからいえば、私などは「無線・慣性センサー式モーションキャプチャシステム」だとか「Human Pose Estimation」だとか、羽生選手の論文や参考文献リストを見なければ興味を持たない分野でしたから、それだけでも視野を広げて頂いた、という気になります。おそらく他にもネット検索に勤しまれた方々が多く、いらしたことでしょう。
 
実際、検索をほんの少ししただけで次々と面白い記事や論文に行き当たりました。そしてスポーツにおける「Human Pose Estimation」の研究はけっこう進んでるのだな、と感心しました。羽生選手の論文でも言及されていますが、これは「センサー等特別な機器を使用することなく、テレビ中継などで撮影される画像により」、その瞬間、瞬間のアスリートの姿勢や骨格を推定することが出来る技術です。
 
それが本当にどんどん実用レベルに近づいている、ということを知りました。
 
例えば体操競技においての応用について、『ニューヨーク・タイムズ』紙にこんな記事が掲載されていたり、
 
フィギュアスケートに関してもこんな研究が「国際スポーツ工学会(International Sport Engineering Association)」の2020年大会で発表されています。
 

 

 

 

ニューヨーク・タイムズ紙で骨格推定を行うために使用されているのは動画ではなく、連続写真ですが、とにかくシステムの精度が上がっていけば、ライブで行われている競技中、いちいち現場で選手にモーションキャプチャのセンサーを装着させなくとも(そもそも、そんなこと不可能だし)リアルタイムで動きを分析できるのが凄いところです。

 

もちろん、精度を上げるには大元でその競技特有のデータが必要となるわけで、その点において羽生選手の研究が非常に示唆に富んでいるわけですね。

 

彼が着目した(フィギュアスケート特有の)データの収集法が比較的安価で仰々しい仕組みを必要としない、ということで、それを使えばより手軽に各国の連盟やクラブで強化選手を対象にしてデータを取ることも可能になって来るでしょう。

 

当然のことながらもっと複雑な機器を使えばより良いデータが収集できるかも知れません。しかし「そんな予算がないから」とか、「難しすぎて出来ない」などという言い訳が立たないような取り組みが存在することを羽生選手は示してくれているのです。

 

とにかく、何か始めてみよう、と。

 

第一、テクノロジーの助けを借りて選手に正しい技術を教えることができるのであれば、利用しない方が損でしょう。本来、羽生選手の提案しているシステムはジャッジングにおける応用はもちろんのこと、遠隔指導と言わず技術指導全般においてものすごく大きな貢献を果たすのではないか、と私には思われます。
 
とはいえ、正しい技術を教えても、それがちゃんと評価されないとなると元も子もないんですけどね。
 
そこで、まとめる形になりますが。。。

 

今回、私が見たところでは、ニューヨーク・タイムズで紹介されている試みや国際スポーツ工学会の論文で議論されているシステムは、根本的に羽生選手の研究と目的が異なります。

 

前者はジャーナリスト達のためのこの技術の利点、つまり「人間の力のみでは知覚できかねるデータを掘り起こし、新しい報道の道を切り開く」ため(For journalists, they have the potential to unlock data that humans alone can't perceive and inform new types of reporting. )の役割に焦点を置いています。

 

後者は「このシステムはフィギュアスケーターの演技の客観的な評価に応用できる( the system can be applied to the objective performance evaluation of figure skaters)」としながらも「テレビ中継におけるリアルタイムでの画面表示によって得られる視聴者の満足度の向上(the real-time display of figure skating TV broadcasts to enhance the audience entertainment experience )」を目指せることを論文の結論に持ってきています。

 
ということで両方ともテクノロジーの利用目的を報道の質の向上だとか視聴者の娯楽のため、としているわけですが、羽生選手の研究はあくまでも競技者の立場から行われており、フィギュアスケートという競技の発展に貢献することを目標としているように私には解釈されました。
 
これはまさに「内側の者」である彼だからこそ、しかも彼ほどの地位に到達したからこそ、提言できることであり、その意味でも彼が卒業論文をこのテーマで執筆したことの意味は重い。
 
こんな事を言ってもすでに多くの方々が意見として挙げられているので、今さら感はありますが、あえて言いましょう。
 
フィギュアスケート競技(採点および指導の両側面)における先端のテクノロジーの導入に反対・躊躇する理由はもはや見当たりません。
 
「今まで使わずにやって来たから」
は理由にならない。
 
「使っても上手く行くとは限らない」
やって見なければ分からない。
 
現に成果を出している研究がたくさん、あるのだから。
 
変化に反対するのであれば、それは怠惰であるか、あるいはもっと暗い魂胆があるからと見なされても仕方ないでしょう。
 
大好きなSIXX.A.Mの歌にもありますが
There comes a time when you know there's a problem
「さすがに気付く時が来るんだよ。何かおかしい、ってね」
 
もちろん、フィギュアスケートが抱えている問題が全て、テクノロジーの導入によって解決されるわけではないし、限界はあります。それを承知の上でなるべく有効な使い方を模索する段階に来ているのです。
 
羽生選手の様に長年、与えられたルールをしっかり守って、あらゆる側面からフィギュアスケートの振興に貢献して来た競技者から、このような客観的エビデンスを用いた研究報告書が提出された、そのこと自体をISUは真剣に受け止めるべきです。
 
(現体制に対する)「反逆」ではなく、(フィギュアスケート競技に向けての)「愛のメッセージ」として。
 
(そのためにも、論文の正式な英語版が出ることが望まれますけどね。)