2023WBCに思う――栗山監督礼讃と子育て考 | ことのは徒然

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日々の徒然に思いついたことを書き留めてます。

近年稀に見る視聴率を稼いだWBCが終わりましたね。

日本14年ぶりの優勝。

しかも決勝ラウンドは準決勝、決勝とも本当にいい試合だった。

 

大谷選手、村上選手をはじめ、各選手の活躍ぶりは、たくさんの方がお書きになると思うし、最近スポーツ離れしていて、選手事情に疎くなった私が語るのもおこがましいかな、と思うのですが、どうしても1つ書いておこうと思ったことがあります。

 

それは、栗山監督のこと。

見習うところばかりの名将だ、と。

 

  栗山監督って、なんかすごい。

栗山監督を知ったのは、もう選手も終盤のことだったから、選手時代のことはあまり覚えていないんだけど、小さな体で、病気やら怪我やらに悩まされながら、体を張った守備してた記憶がある。

 

いわゆる名の売れた人気選手ではなかったけど、解説者になったらすっごくわかりやすくて、おや、と思って経歴を調べたら、東京学芸大学出身で教師志望だったと知って、めっちゃ納得したんだよね。

 

なんかね。明快。そして視野が広い。

監督になるべくしてなったんだろうね。

 

実は私、在京時代の終盤のあたりの日ハムファンで(岩本勉が好きだった爆  笑)、松坂大輔のデビュー戦も東京ドームに見に行ったりしていたんだけど、北海道に本拠地移すことになったあたりで子育てが始まって、野球観戦とかしなくなっちゃったんだよね。

 

でも、北海道に行った日ハムが、新庄のど派手演出で観客を楽しませている様子をニュースとかで見て、「ああ、おおらかでおもしろいチームになってるんだな。やっぱ、北海道に行ってよかったな」とか、なんか親心みたいな感じで思ってたわけです。

 

でも、看板のダルビッシュが抜けちゃってさ、うわぁ、大変な時期来たね、ってときに貧乏くじみたいに監督になったのが栗山さん。

楽天の田尾監督とか思い出しちゃったよね。真っ当でいい人なんだろうけど、苦労するだろうな、的な。

 

なのに!

 

日本のプロ野球には入らない、って明言していた大谷翔平を、「大谷君には申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」とか言って、ドラフトで1位指名しちゃってね。

 

いやいや、お金のある超有名球団ならまだしも、日ハムですよ?(悪意はないです)

個人的に愛着のある球団だから、頑張ってほしいとは思ってたけど、正直、どういうつもりだよ? って思いましたよ、私は。どうせ蹴られること考えたら、1指名分、無駄になるじゃないですか。

 

当然、大谷も「うれしいけど、アメリカ挑戦の意志は変わりません」って返事してたよね。

 

なのに、なのに!!

翻意させちゃったんだよね。

「二刀流OK」の切り札で。

 

今でこそ「二刀流」は超一流の証拠、みたいな評価だけど、

当時は

「え、マジ? 本気?」

「高校野球じゃないんだから……」

「いやいや、無理でしょ」

って感じだったよね。

同世代の方はきっと覚えていると思うけど。

私も、「えー、本当に可能なの?」とは思ってましたよ。

 

「二刀流に挑戦させてくれるから。」という理由で、大谷が日ハム入団を決めたって聞いたとき、ああ、まだ高校生だから丸め込まれたかな、と、ちょっと思わなくはなかった。

最初は、両方させておいて様子を見ながら、追々どっちかに決めさせればいいか、みたいな、大人のずるいやり方に乗せられちゃったんじゃないかな、とかね。

 

でも、違った。

春のキャンプのニュース見てたら、大谷だけ別メニューでね。

二刀流のためにシステムから変えてるのかぁ、って、心底驚いた。

 

え、栗山監督、本気だびっくり

本気で大谷の二刀流を成功させようとしているびっくりびっくりびっくり

と。

 

史上初というのは、本当に本当に逆風が強いはず。

マスコミとか解説者とかの、外部の評価だけじゃなくてね。

球団内だって(いくらド派手新庄を許したおおらかな球団だとは言っても)、高卒ルーキーなんだから、100%先行投資じゃないですか。二刀流に挑戦なんかさせて無理がかかって、早々に身体壊したらどうするんだ、とかね。一人だけ特別扱いをしたらチームの調和が崩れるんじゃないか、とかね。内部からの非協力的な意見も少なからずあったんじゃないかと思うのよ。あくまで想像だけど。

 

そんな中、捨て身で、全力で、選手の希望を守ったわけだよね。守ったっていうか、大谷が自由に夢を追いかける「場」を、監督の持てる力を駆使して切り拓き準備したって感じかな。自由にできる環境は整えるから、そこで全力でチャレンジしてみろ、みたいな。そういう感じが伝わってきたのよ、そのキャンプの報道見てて。

 

いやいや、これって、本当に選手を信じてないとできないことだよなぁ、と。

「こいつならできる」って、本気で信じてないと、迷うし、心折れるし、日和りそうになるし。

 

しかも、大人って、自分がある程度いろいろ経験してきているから、自分の経験値を元に未来を計算しがちなんだよね。で、有望で期待している場合ほど、失敗してほしくないから、安全なところを……ってなりがち。「大人の賢さ」っていうのかな。

 

そこをさ、まあ、世の中のほとんどが、「無理でしょ?」って思ってることを全力でサポートするって、ほんと勇気がいるよなぁ、ってね。

栗山監督すげーな、って、心底思ったね。

 

  監督業と子育て

このあり方って、私の中では子育てに通じるところがあって、

保護者のあるべき姿だなぁ、って思うんです。

 

子どもがどんなに素っ頓狂なことを言ってたとしても、その子が本気でそれを実現したいと思っているのなら、親は「バカ」になって全力でバックアップするべし、っていうね。

 

ちなみに、この「バックアップ」っていうのは、安全な道を示すとか、可能性の高い方法を指導するとかじゃなくて、その子が目標に向かうために、「自由に動ける場」を確保するってこと。つまり、「その子がチャレンジできる(=安心して失敗できる)環境を整える」ってことなんだよね。もちろん、外野から浴びせられるであろう「賢い」嘲笑や非難も全力で跳ね返さなくちゃならないのよ。これが、大人になっちゃった人間にとっては、意外と大変なの。その嘲笑や非難の正当性がわかるから、自分の知ってる「安全」に走りそうになるんだよね。

 

例えばこんな話。

とある高校に、中の下くらいの成績で入った子がいて、入学最初の先生との面談で、「私、お医者さんになりたいんです。でも、ウチは特別裕福じゃないから国公立大学の医学部を目指します。」って言ったらしいんです。そうしたら、先生、間髪を入れず「あなたの成績じゃ無理だから、看護にしなさい」って返したんだって。

 

確かに、先生の判断は正しいの。先生は悪くない。聞いた感じ、彼女の成績では医学部どころか、大学そのものも大丈夫?って感じで、まあ、夢物語だよね。先生としては地に足をつけて、現実的にしっかり進んでほしいという思いだったんだと思う。それは先生の役割だからそれでいいのよ。

 

でも、保護者はね、先生と一緒になって良識を振りかざしたらダメだと思うんです。先生とは役割が違うから。

結果的に国公立の医学部に入れるかどうかじゃなくてね、そう思った子が「本気で頑張ってもいいんだ」って思える「場」を作ってあげないと。それには、「あなたが本気でがんばるなら、全力で協力するよ」って、信じてもらわないといけない。先生が言ってるのは現実。でも、チャレンジするのは自由、っていうね。それでがんばって本当に医学部に行くかもしれないし、自分の判断で看護に行くかもしれないし、もしかしたら、薬学とかバイオとか関連する別の道を見つけるかもしれない。でもそれは自分を信じてチャレンジするから開ける道なんだよね。

 

つまり、親ができる最善の策は、子どもがストレスフリーで、迷いなく挑戦できる環境を整える、それだけなんじゃないかな、って思うんです。

 

で、「賢い」大人の知恵は、心の内にそっととっておく。勝手に挑戦させて本人責任、というのではなく、その子が直面するかもしれないさまざまな「壁」を、自分の経験から想定して、そうなったときにはどう声をかけるか、次の「場」をどう整えるか。将棋のように、先の可能性を何手か読んでおく。でも何もしない。転ばぬ先の杖はしない。ただひたすら、見守る。信じて。

 

出しゃばらないのが大事。だって、そこは子どもの舞台なんだから、そこにズカズカ出ていっちゃダメだよね。目立たないように裏方に専念するのが正解なんだと思う。

 

なんか、親の仕事って、監督業と似てるなぁ、って。

 

 

  栗山監督礼賛

で、話をもどすと。

結果的に、大谷は日本で二刀流を成功させたよね。

しかも、栗山監督は約束通り、人気絶頂の大谷をあっさり手放してメジャーに行かせた。若くて上向きのあの時期にメジャーに行けたから、アメリカでも二刀流で成功できたんだと思うよ。世界の常識を変えたよね。本人の器量や努力はもちろん、もちろん言うまでもないんだけど、それを可能にさせたのは、やりたいことを自由にできるように、「場」を用意した周りの大人の力に依るところもあると思うのよ。だとしたら、栗山監督をはじめとした周り大人の功績ってすごくないですか?

 

今回のWBC。

実は私、日本での試合は全然見てなかったんだけど、準決勝の日は、実家にいて、両親が見てたから一緒に観戦しました。見ることができてラッキーだった。栗山監督に改めて学びましたよ。

 

最後の村上の打席とかね。少しずつ上がってきたとはいえ、まだ不調の抜けきれない23歳の若手だよ。もう後のない状況で、「賢く」考えたら、送りバントだってありだよ。

あそこで、本気で選手を信じて、「思い切って行って来い」っていうのは、経験値の高い大人にはなかなか難しいこと。チームの勝ち負けだけじゃなくてね。仮に失敗したときに若い村上が背負うもの、仲間のメンバーの思い、いろいろあるじゃないですか。それをね、全部ふまえたうえでね(←ここが大事)、世界が注目する舞台で、さらりとやってのけた栗山監督。ほんとファインプレーだと思ってるよ、私は。

 

しかも、「思い切っていけ」って言われて、素直に「思い切っていけばいいんだ」って思えるような、そういうプラスのエネルギーに満ちたチームになっていたってことだよね。もちろん、大谷を中心とした全選手の努力あってのチームづくりなんだけど、それを自由にできるようにしている指導者たちのあり方が、もう、大前提としてあるわけよ。

 

大人は自分が持っている「権力」もちゃんと理解しておかないといけないなあ、って思いましたよ。だって、あそこで「バント」って言われたら、村上はもうバット振れないんだからね?

 

子育てだって同じ。お金を握ってる親が「医学部は無理だから看護にしておきなさい」っていったら、選択肢はそれしかなくなっちゃう。逆もあるね。「看護じゃなくて、医学部にしなさい」とかね。どっちも同じ。親の価値観押し付けてるってことだから。

 

準決勝があまりに感動的だったので、決勝戦も見たんですけど、僅差の試合で、8回のマウンドには不調のダルビッシュを、9回のマウンドには、疲れの溜まっているであろう大谷を送り込んだよね。

順当といえば順当だけど、やっぱり勇気のいることだと思うのよ。

でも、そこは信じて任せる。

まあ、どんな采配だって、負ければ責められるのは監督の宿命なんだけど、どんな結果であれ、選手が、自分のことを受け止めて、次に向かうことができるような采配をしているのが、なんかもう、心震える。

 

そう考えてみると、チームが選手中心に主体的にまとまってるなあ、って見えてるということ自体が、指導者の懐の深さを示してるんじゃないかな、って思えてくる。無駄に出しゃばらない、カンペキな裏方じゃないですか。

 

ああ、こういう大人になりたいな、って心の底から思った、そんなWBCでございました。