歌舞伎座に十二月大歌舞伎、夜の部Aプログラムを観に行きました。
 

Aプログラムは、坂東玉三郎さんの『阿古屋』『あんまと泥棒』中村梅枝さんと中村児太郎さんの『二人藤娘』です。

 



『壇浦兜軍記 阿古屋』
初めて見る演目です。阿古屋が尋問される恋人、景清については、2016年7月歌舞伎座で市川海老蔵さんの『鎌髭』『景清』を観ていたので、あの時の景清のことねとすぐに結びつきました。

坂東彦三郎さんの辛抱捌き役良かったです。水責め、火責めと肉体的に阿古屋を責めろという岩永左衛門に対し、琴、三味線、胡弓と三つの楽器で“女心を責める”理知的な捌き方をします。その知性や情に加えて色気があったら惚れてしまうかも、と思わせる秩父重忠でした。それぞれの楽器の責めにも比喩の意味があってなるほどと思いました。

琴=水責め (琴の形を堅に見れば、漲りおつる滝の水。その水をくれる心の水責め)
三味線=天秤責め (三絃の二上りに気を釣り上る天秤責め)
胡弓=矢柄責め (弓の矢柄責め)

※()内は義太夫の詞章です。
床本はこちらから(http://hachisuke.my.coocan.jp/yukahon/akoya.html)。

半道敵(はんどうがたき)の人形振り、尾上松緑さんは衝撃でしたびっくり一人だけ人形遣いなんてビックリマークこんな演出を江戸時代にやっていたなんて歌舞伎ってぶっとんでます爆  笑海苔のような眉毛がピクピク動くたびに客席から笑いが起きました笑

 



坂東玉三郎さんの阿古屋は豪華ですね。孔雀の羽根が段々になっている俎板帯(まないたおび)に、打掛の後ろにもフサフサが付いていましたキラキラその重い衣装と大きな俎板帯で楽器を演奏するのですから相当大変だと思います。色っぽかったのは、琴爪を付けるとき。爪が取れないように舐めるのですが、口元を袖で隠して口を半開きにした仕草がなんとも艶めかしかったです照れ

演奏だけでなく、玉三郎さんが唄も唄うのですね。この唄の意味も奥深いです。琴では「蕗組」を唄い、こんなに袖を濡らして泣いても景清との縁は切れたとうったえます。三味線では「班女」を唄い景清と枕を重ねて愛し合ったのに、あの人は戦乱に行って行方知らずと悲しみます。胡弓では景清との夢のような時間が跡もなく消えた、世の無常を嘆くのですえーん

 

「仇し野の露、鳥辺野の煙」とありますが、あだし野は風葬場で鳥辺野は火葬場。いのちあるものすべては消える。人の世の移り変わり、儚さを表す『徒然草』に出てくる一節です。阿古屋がいかに世の真理を悟った、教養の深い女性かということが分かります。

最後は、落ちぶれた景清と深編笠越しに会い、「まめであったか」「アイ、お前も無事に」と言葉を交わし、さらばも言わずに阿古屋と景清の恋は終わったのでした。源平の戦い、平家の没落に巻き込まれていく若い二人の力ではどうにもならないことです。その儚さに心が打たれます。

 



疑問に思ったのは、なぜ岩永左衛門だけが人形振りなのかということ。役者が演じるのではなくて人形振りにすることによってどういう効果があるのでしょうか?ネットで調べると、「長時間物で観客に目先の変化を与える必要がある」http://ohanashi.edo-jidai.com/kabuki/html/ess/ess100.html)と書かれています。

もし役者が普通に演じたら、阿古屋と敵役の攻防がよりリアルに伝わったと思います。人形振りが眉毛を動かすたびに客席からは笑いが起こったので、阿古屋の命がけの重々しい空気が破れる瞬間がありました。

逆にこの重い空気を壊す効果が狙いなのでしょうかはてなマークこの演目はほとんど誰も動かずに長時間進んでいくので、ずっと重々しい雰囲気だと飽きてしまうかもしれません。まだよく分かりませんが、玉三郎さんの岩永左衛門を観たら、なにかヒントが得られるでしょうか・・・。

 



『あんまと泥棒』 
昭和41年、十七世中村勘三郎初演の新作歌舞伎です。初めて観ます。
劇中では「盲人」と「正眼(しょうがん=目の見える人)」という言葉が使われておりますので、ここでもそれに倣わせていただきます。

このお芝居では、社会の周縁に位置づけられがちな「盲人」と、「正眼」の立場が逆転し、「盲人」が「正眼」に人生を諭すという転換が非常に気持ちいい!!

あんまは底抜けに明るくて飄々としているのが気持ちいいです。「目が見えないと灯りを付けなくていい」とか「女房がいないと食い扶持が減らなくていい」と。しかも泥棒に入った男を逆に騙してお金を恵んでもらうという豪胆者です爆  笑

泥棒は尾上松緑さん。普段あまり見ないオラオラ系の松緑さんがカッコ良かったです。
あんまは市川中車さん。うまいのですが、あんまの動きをデフォルメしすぎているのが気になりました。例えば、住み慣れた家で押入れや行灯を探すのに、あんなに手をバタバタあちこち叩いて探すのでしょうか。きっと何歩行った、どの高さに何があるというのは体に染みついているのではないかと思いました。

このあんまと泥棒、最初は泥棒の立場が上であんまの立場が下なのですが、酒を飲むうちに逆転します。私が観た時は、お酒を3杯くらい呑んだあたりから急にあんまが強くなったのですが、いつの間にか気付いたら自然に逆転していた、という風にするのが難しいお芝居なのかなと思いました。

 



良かったのは最後、松緑さんがお金を恵もうかどうしようか行ったり来たりするところ。長屋で明け方お経を唱える題目太鼓の音と相まって、人間の心の生々しい迷いが表れていました。最後は仏に導かれるように泥棒はお金を恵みます。わたしはここでお芝居が終わっても良かったなぁと感じました。

分からなかったのは、あんまは何のためにお金を貯めているのか。あんまは家や食べ物にお金を使っているわけではありません。盲人の階級が上がるための官僚試験を受ける志があるようにも見えません。財産を残す妻子もいません。何のために嬉々としてあんな大金を貯めているのでしょうかはてなマーク

ひょっとしたら床下に大金があるだけで満足な、守銭奴の悲しさがあるのかもしれません。しかし、舞台ではふてぶてしい明るさが前面に出ていて、その悲しさは感じられませんでした。そのあたり、あんまの生活世界がもう少し分かればもっと楽しめたかもしれません。どなたか御存知だったら教えていただきたいです。



『二人藤娘』
実は夜の部でこれが一番感動しましたキラキラ
「二人道成寺」もそうですが、二人で踊る舞踊は特別に華やかですね。

チョンパで灯りがつくと舞台正面に中村児太郎さん、花道七三に中村梅枝さんがいます。華やか~キラキラこの演出もいいですが、私は舞台に2人いる演出も豪華で好きです。特に2016年5月に観た市川海老蔵さんと尾上菊之助さんの「男女道成寺」は忘れられません。幕が開くと後光が差すような輝かしいお二人が舞台にいて、あの時の眩しさといったらラブ

中村児太郎さんは、恋に恋する少女の人間的な可愛らしさがありました。
中村梅枝さんは、酸いも甘いもかみ分けた女性の色気がありました。梅枝さんはこれまで首をクネクネ動かすのが苦手だったのですが、今回は全く気にならず。今まで観た梅枝さんで一番良かったですビックリマーク

「藤の花房 色よく長く」の藤音頭のところは、愛した男性が手紙を返さない悲しさ、契りを破って他の女性と打ち解ける哀れさが感じられて、お二人の顔をオペラグラスで観ていたら涙が流れました。特に梅枝さんは藤の「精」そのもので、静的な美しさが。

三演目のなかで、私は『二人藤娘』が一番良かったです。次は『あんまと泥棒』かな。終演は19:53と異例の早さでした!最後の最後に非日常の感動を得られて良かったですラブラブ

Bプログラムを観に行けるのかどうか分かりませんが、時間ができたら序幕と切を幕見したいと思います。