小説 無伴奏スイート外伝 【純色(にびいろ)の空】 後編 | 日々幸進(ひびこうしん)

日々幸進(ひびこうしん)

日々、自分が楽しくて生きている事を簡潔に記しておきたいと思います♪
演劇、音楽、TVドラマ、映画、バラエティ、漫画、アニメ、特撮、他を色々自分の視点で面白しろ可笑しくね♪

第四章【ミッドナイト・プラスワン】

 暗い路地だった。
 外灯はない。
 しかし何故かその道は暗い闇の中で、ぼうっと浮き上がっているように見えた。
「こっちだ」
 ヒロツグとマリエはその道に在る障害物を難なく避けながら歩を進めた。ケンジはというとさっきからゴミ箱や捨てられた人形を踏みつけたり、委細わからぬ状況で二人についていくのが精一杯だった。
 時間は午前十二時を少し過ぎた辺りだ。
 十二時一分。
 ミッドナイト・プラスワン。
 と、突然行き止まりのレンガの壁だったと思っていた所をヒロツグが押したのである。
 鈍い錆た金属の音をたてながらドアが開く。
 鉄扉に赤レンガを張り付けた構造らしい。
 中は………
 まず耳に滑り込む音楽。
 品の良い熟成されたアルコールの匂いがする。心地よい。カチカチと食器の音と8つほどのテーブル席。生演奏のピアノ。流れる曲はブラームス。しかし目的地はその店ではないようだ。ヒロツグとマリエは気にする風でもなくその横をすり抜けて更なる扉の前に立った。その扉にはアルファベットで左の下に小さく【H】と書かれていた。
「ようこそ俺達のアジトへ」
 ヒロツグは仰々しくケンジに向かってお辞儀をした。マリエはヒロツグの腕をつかみ妖艶に微笑んでいる。
「そのHは何の意味があるんですか?」
 ヒロツグは、ほぉと声を漏らす。
「ケンジ、お前これが見えるのか?凄いじゃないか!」
「凄いも何も書いてあるじゃないですか」
「そこに目が行くのは賢い証拠さ」
「賢い?」
「ああ、自分がどこに連れて行かれるのか訳の分からないまま流されるだけでなく、自分の位置を把握しようとしている意志の表れさ。つまり賢いって訳さ」
 マリエは笑いながらヒロツグに顔を近づける。まるでキスでもせんばかりの勢い。
「このHはな……人によって違うものになる言わば踏み絵みたいなもんだ」
「・・・・・?」
「このHが、HEAVENになるかHELLになるかは自分次第ってこった。まぁ俺は暴力は嫌いだからHOMEってことにしてるけどな」
 そう言ってマリエの腰を抱きし唇にキスをした。思わず目をそむける。
「俺はなケンジ。この世の中ってやつを信用してない。分るかケンジ?世の中っててはうまいようで不味く出来上がってるものなのさ。何故だか分るか?それは頭のいい奴が悪い人間を利用したいからだ。国を変えるだ世界を変えるだとぶちあげても、結局はその目的の為には人を懐柔しなくてはどうにもならない。一人では何も出来ないんだよケンジ。俺はこの3年間、その事を嫌というほど知ったんだ。知りたくはなかったが知ってしまったんだ。なら答えはひとつ、それをぶち壊すためには誰かが手を汚さなくちゃならない。だから俺は手を汚すことにしたんだ。」
 その瞳に宿る炎は、仄かに塩ビの燃えカスの臭いがした。すえた臭いだ。
「もったいぶって悪かったな。どうぞケンジ。お前の新しい時間に乾杯だ」
 後ろでにドアを開け放つヒロツグ。
 途端に部屋の中から甘ったるい香水と石鹸、そしてアルコールの匂いが流れ出してきた。
 中を覗きこむ。
 意外に中は広い。二十畳くらいの広さに分厚い絨毯の上にソファが壁際にずらりと巻かれるように置かれている。そしてその部屋の中には十人くらいの人間がたむろしていた。
 それも、
 全員が女。
 しかも半裸に近い、ラフな格好で自由気ままにリラックスしていたのである。そして他の他者である男、つまりケンジを目にしてもまったく動揺せずに、ゆっくりとケンジを値踏みするように見詰める余裕まであるではないか。逆に免疫のないケンジがドギマギして視線を背けてしまう始末だった。
「・・・・・・・・・」
「どうしたケンジ。今日はお祝いだぜ。楽しくやろうぜ」
「この人達は一体・・・・・・?」
「ん、ああ、こいつらは俺たちの仲間だ。」
「仲間?」
「ああ、この世の中、何処で何があるのかを知っていなければ即刻死に体になっちまう。それじゃあ、そうしない為にはどうすればいいか?分るかケンジ?」
 ヒロツグの目に紅い狂気が宿っている。
「情報だ!」
「俺たちの仲間は、情報をつかみ、ばら撒き、操作する事で世の中を改善しようとしているのさ!いわばドブさらいさ。」
「ドブさらい・・・・?」
「世の中にはなケンジ、2種類の人間が居るんだ。綺麗なお花畑でなに不自由なく暮らす奴と、最下層で貧困にあえぎドブさらいを続ける者とにだ。どういうことか分るか?」
 静かに首を振る。
「つまりだ、上と下の考えている事の著しい相違だ。俺たちはそれが許せない。そう、俺達は今まであらゆることに目を瞑ってやり過ごしたくもない事柄をやり過ごさざるをえなかったんだよ。俺達はもう我慢するのに疲れたんだ。だからさ!!!」
 ヒロツグはケンジに向かって腕を突き出し指を一本天に立てた。
「彼女達は俺達の言葉に賛同し、俺たちの運動に参加している。彼女達もこの世に渦巻く矛盾に心の底から嫌悪を、そして殺意を抱いている。ならば自分達に出来る事は一体何なのか?それをこの世で最も知る彼女達は、あらゆるツテを辿り、様々な機関、集会、コミュニティの集まりの情報をかき集めてくれているのさ!その身体を使ってナ!」
 周りを見渡すケンジ。
 にわかには信じ難い出来事。
 世の中が一筋縄でいかないことは知っていた。うまくいかないこと、ままならないことが日常茶飯事に我が物顔でまかり通っている。そしてそうした事はどうにもならない事柄であり、曲げてはならぬもの、そして曲げようとすれば社会的に排除される。抹殺される。そしてそれはこの世の中で生きていけないことを意味していた。自分がそうした世の中を嫌っていても依存している事は知っていた。それも知りすぎるほどにだ。
 だからこそ目の前の女達が、そういった実力者達に対し股を開き、その柔肌というわなで重要な情報を搾取しているとは信じ難い。
 妖艶な女も居れば、まだ年端も行かない幼い少女のような女も居た。
 しかも部屋に立ち込める甘ったるいパフュームはケンジの胸をちりちりと搾る。
 と、一人の女がヒロツグに向かって言葉を言い放つ。
「ヒロツグ今日はどうしたの?その子が今日のお土産って訳?嬉しいわぁ。昨日のハゲ親父ったら身体中をべろべろと舐め回してきて、未だに鳥肌がたってるみたいな感じなの。彼みたいな可愛い男の子で口直しができたらわたし今日も頑張れるんだからぁ♪」
 甘い香水が鼻腔を刺激する。しなだれかかってくる柔らかい肉体。これだけ匂いがキツいと本当にどうにかなりそうだった。
 ケンジは何とか女体をひっぺがし何とか一息をつき苦笑いを浮かべる。
「すまんなアリサ、こいつはそんなんじゃあないんだ」
 ヒロツグはちっとも申し訳なさそうにアリサと呼ばれる女に向かってウインクをした。そうして部屋の隅のテーブル席に腰掛けてケンジを手招きして座らせた。
 何故、自分はここに呼ばれたのだろうか?
 違和感だけがケンジを包む。
 するとヒロツグは目を閉じたままある言葉を唱え始めたのである。
「小学生のノートの上に、机の上に、木の幹に、砂の上に、雪の上に、私は書く、君の名前を……」
 そこで小さな沈黙が落ちる。そこでケンジはその間をかき消すように言葉を紡ぎだす。
「読んだ本のページの上に、石や血や、紙や灰の、全ての白い、ページの上に……」
 そうしてヒロツグに向かって笑いかけた。
「驚いたな。知っているのか?」
「ええ、ポール・エリュアールは僕の受験アイテムのひとつでしたからね」
 素っ頓狂な顔をヒロツグはした。そしてマリエと顔を見合わせて笑いあう。
「気が合うなケンジ。俺も実はポール・エリュアールとは長い付き合いでな。彼の詩も好きだが、生き方そのものに共感しているといっていい。第二次世界大戦中、彼は祖国フランスの中尉として誘致されながらも停戦でパリに戻った。そこで共産党に服しレジスタンスの【全国作家委員会】を組織。反ナチスの詩を匿名で書きまくった。その時の詩がこれだったんだ。彼エリュアールは一文目を書き出した時に当時付き合っていた一人の女に詩を捧げるべく書き綴っていたんだけど、書き進めている内に、もっと遥かに大きなモノとしてあるワードに到達した。」
「自由!!!」
 ヒロツグとケンジは声をユニゾンさせながらその言葉を唱えた。そして笑いあう。
「金塗りの、絵本の上に、戦士達の、武器の上に、王達の、冠の上に、私は書く、君の名前を」
「ジャングルや、砂漠の上に、小鳥の巣や、えにしだの上に、少年時代の、こだまの上に、私は書く、君の名前を」
「不思議な、夜の上に、月日の白い、パンの上に、移りゆく季節の上に、私は書く、君の名前を」
「我が青空の全ての切れ端の上、陽にかがよう池の上に、月に映える湖水の上に、私は書く、君の名前を」
「野の上、地平線の上に、鳥達の翼の上に、そして陰の風車の上に、私は書く、君の名前を」
「開け染める曙の上に、海の上、船の上に、荒れ狂う山の上に、泡立つ雲の上に、嵐の流す汗の上に、土砂降りの雨の上に、」
 二人はすらすらと長い長い詩を互いに淀みなく唱え続けた。何度も、何十度も。
 笑いあったまま、全く違う地点で、全く同じ詩に、全く同じ共感を得て心を重ね合わせられている。場所は違えど流れる時間軸は同じであったという奇跡。
 やがて二人の声は熱を帯び最後の下りへと言葉を進める。
「ぶち壊された、隠れ家の上に、崩れ去った我が燈台の上に、我が不安の日の壁の上に、私は書く、君の名前を」
「ぼんやりとした放心の上に、丸裸の孤独の上に、そして死の行進の上に、私は書く、君の名前を」
「戻ってきた健康の上に、消え去った危険の上に、思い出のない危険の上に、私は書く、君の名前を」
「力強いひとつの言葉に励まされて、私は再び人生を始める、私は生まれてきた、君を知る為に、君の名を呼ぶ為に」
 二人は視線を交わし、にやりと笑いそして言った。
「自由よ!」
 その蕩けるような掛け合いを女達は目を細めて微笑み見詰めていた。
「ケンジ」
「何ですかヒロツグさん」
「一人の人間が出来るってのは、ちっぽけでちっぽけで塵に等しい小さなものだ。だがかのアドルフ・ヒットラーはその人間力で人々を魅了、洗脳しあのユダヤ人の大量虐殺…ジェノサイドを行なった。たった一人の人間がこの世を変えたんだ!そしてオットー・フリッシュとルドルフ・バイエルスの産み出した核エネルギー兵器応用論。たったひとつの発明で原子爆弾を作り上げ数十万の人々の命を一瞬の内に消滅させ大日本帝国の敗戦を決定付けたんだ!この世を変えたのさ!!」
 ヒロツグの目に狂気が宿っている。その興奮が最高潮に達しているのが眼球に走る血走りに表れている。
「ヒロツグ………」
 マリエの声が耳に入らない。
「いいかケンジ俺は革命を起こす!それもこんな学生運動に毛の生えたようなチンケなもんじゃない!確固たる意志が尊重される強い国を作る為だ。ははっ!いいか?間違えるなよ。味方だと思っている奴が一番の敵である事に気が付かない馬鹿どもには付ける薬などない!!自然で草食動物が肉食動物に食い殺されるように自然淘汰されるべきなんだ!」
 その時である。
 部屋の扉が開き上下際どいランジェリーに身を包む美女がヒロツグにおもむろに近づく。そして身を摺り寄せて耳元に口を寄せた。
 何事かを囁く。
「何ぃ!」
 ヒロツグは眉をしかめその女を見ずに宙を睨んだ。憎悪ではなく殺意の眼でだ。
 マリエが何事かと気色ばみ、一歩前に出る。
「本丸を抱き込みやがったぜ、あの野郎」
 目を見開くマリエ。
「まさかやるとはな・・・・」
 そう言ってきびすを返し、今来た道を戻ろうとした。
「待って!」
「何だ?」
「行っちゃダメよ!」
「何がだ?」
「罠よ」
 沈黙が舞い降りる。
「罠なのよ!」
 普段、冷静なマリエには似つかわしくない激昂だった。瞳に走る怯え。
 そこでようやくヒロツグはその言葉の持つ意味が理解できた。
「お前、何か知ってるな?」
 マリエの身体が強張ったのがケンジにも見て取れた。
「何だ?藤堂の野郎は何で日教組と手を組んで事を荒立てようとしているんだ?!」
 言葉のワードを幾つか聞くだけで、その思想の危険性は現時点でのイデオロギーに反している事はようく分った。
 ただし、
 マリエが一体どのように関わっているかは皆目見当も付かなかった。
「行かないで」
 マリエは更に言う。
「俺は………」
 一瞬の静寂。
「そこまでされて黙ってるほど俺は安穏とはしちゃあいないし、人間だって出来ちゃいないさ!」
 その瞳にはあからさまな怒りが血走っている。
「ヒロツグさん………」
 その瞬間にヒロツグはきびすを返し入り口へと向かった。
「ヒロツグさん!!!」
 ケンジの言葉に反応し立ち止まる。
 そして、
 振り返って唇の端を吊り上げる。
 それがヒロツグの雄々しい最後の姿だった、


 第五章【終章】

 めしゃっ
 私設警官の振りかぶった棍棒がヒロツグのこめかみにめり込んだ時の音は空き缶を踏み潰した時の音に似ていたという。
 棍棒はこめかみの上部2センチのラインを綺麗に陥没したらしい。右耳から血が噴き出し、左目の眼球が半分外に出ていたという。
 ヒロツグは裏寂れた路地のゴミ捨て場に転がっていたのだ。発見された時は、死後硬直が始まっており、無様なポーズのまま固まっていたらしい。
 2ヶ月前の話しである。
 ケンジはあれから普通に学生生活に戻っている。
 相変わらず学生運動は盛んに行なわれているようだが、その声がとても稚拙なものに聞こえるのは自分にとって小さな驚きだった。
『利潤優先を許すまじ。大学解体を望む』
 笑える。
 親の脛をかじって大学に入ったのにも関わらず、そこで得た上っ面の知識と見栄や虚栄心で大学の在り方に異を唱える。
 矛盾。
 それは確固たる矛盾であるコトに、やっている本人達が本当に気がついていないのだろうか?ファシズムだ、ダダイズムだ。マルクスだ。シューレアリズムだ。
 学生達が我が物顔でその言葉を使っているのを見ると吐き気がした。およそありえないほどの知ったかぶりで、実のない話を熱心に論じる愚かさを何故気付こうとしないのか?
 そうした理論武装が愚の骨頂であるコトは紛れもない事実。
 ヒロツグ達の思想と熱意に比べれば何と浅はかで無知蒙昧な連中なのだろう。
 そうした行動をすることで何か自分が偉くなったとでも思っているのだろうか?はたまた自分の虚栄心にとてつもない自信を持っているのだろうか?
 何にしろ自分には関係ないことだが、自分に降りかからない限りケンジは何もしないつもりだった。
 マリエとはあの夜以来会っていない。
 自分があの夜に戻ることはもうない。
 拡声器でがなる声に熱はあっても意味は無い。
 ハウリング。
 世界と遮断された、拡声器を通した声。
 自分達は今、どうしようもなく悲しい。
 鬱蒼たる熱の放射を放つ壇上から、無意味な激昂がただただ虚しい。
 狂乱の生徒と学徒の群れ。
 その熱が自分に触れるほど、自分は冷たく心を凍てつかせてゆく。
……と、その時である。
マリエが居た。
 その怒号と嬌声の入り混じる中、すらりとした肢体を優美にそよがせていたのである。
 相変わらずに美しい人だった。
 周りに居る人間の何と凡庸なコトか。
 同じ人間でもココまで違う。
 神の気まぐれに苦笑せざるを得ない。
 ケンジは含み笑いを一つ洩らし手を挙げた。
「マリエ…さ」
 声をかけようとした声がスタックを起こし止まる。
 その横にある姿が見えたからだ。
 藤堂である。
 震えた。
 冷たかったはずの感情が、どんどんと朱に染まってゆく。
 鼓動が早鐘を打つ。
 まさか?
 そして藤堂の無骨な手が易々とマリエの腰に回される。
 マリエは・・・・・・・
 マリエは邪険に嫌がる風でもなく自然に寄り添う。
 そう、
 それはまるであの日のヒロツグに寄り添うようにだ!
 かっとなる。
 しかし、
 その次の瞬間、ケンジの色の付いた世界は急速にモノクロームへと変貌していった。
 藤堂の舌がマリエの口腔に入り込んでいたのである!
 嗚呼、そうか。そうだったのか。
 何かがケンジの中で瓦解した。
 何かを理解したのだ。
 知りたくなかったことだし、知ってはならないことだった。目を閉じる。意味はないし、無意味である事に賛辞はない。
 そうだ。
 そうなのだ。
 目を閉じてやり過ごせばいいのだ。
 やがて目を開けると、そこに二人の姿はなかった。
 そして不意に上を見上げる。

『純色の空(にびいろのそら)』






          
                THE END