秋葉原通り魔 事件 考 | 日々幸進(ひびこうしん)

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あまりにも悲惨な現実。


この事件をはじめて見た時の感想は、デジャブ(既視感)だった。

僕はこの事件を観た事がある。

それもめちゃめちゃ近い時に。


僕が先週に延々と書き続けた舞台、【闇の猫】という舞台のワンシーンだった。


主人公ジュネと対峙するキャラクター、ロメロ。

彼は言った。

『人間は人を殺す事をタブーとして進化を止めた』

更に続けて云う。

『僕は人を殺す事で、純粋な人間の完全体として生まれ変わるのだ』




勿論、この事件を起こした犯人が同じコトを思っている訳がない。

しかし結果論として、人を殺していくシーンは見事過ぎるほどの符号だった。

ニュースなどで鮮明にその事件の模様を説明をしていくのだが、その姿があまりにもロメロの行った行動と同じなのだ。

違う点は、逃げ惑う人をダガーナイフで刺し殺していく。

事件では、後ろ側からや殺された本人が知らぬ間にダガーナイフで刺し殺していく点だ。


・・・・と、ここまで書いて、やっている事(人を殺す事)は確かに同じだ。

同じではあるのだが、その真意はあまりにも違う。

ロメロは進化を止めた人間社会へのアンチテーゼとして反旗を翻したのだ。

だが、この加藤容疑者のとった行動の詳細はあまりにもゲーム感覚。

・・・・・・・・・この人間社会にて追い詰められた人間が発するべき発言が、全てゲームの中でしか発揮されないはずの残虐性が境界線を越えたような気になる。

よく聞く言葉だ。

現実と空想世界との区別がつかなくなった。

今回の事件は、まさにその最たるものであったように感じる。


それにしても殺される方はたまらない。

7人の人生が終わり、他にも大きな傷を負った人々が居る。

人生が終わる。

その殺された人々が積み重ねてきたもの、それをその瞬間にストップさせたのである。

それから先にあったはずの幸せ・・・・もしくは苦しみ・・・・・の果ての栄光。

それらが突然に途切れたのである。

そうして無くしてしまった。

葬式のシーンがTV画面に流れると胸が痛くなる。

もし・・・・

もし自分の知り合いが、もし自分の家族が、その中に居たりしたら・・・・・・・・・

想像だし、憶測だが・・・・・とてつもなくやりきれなくなり、それ以降の僕の人生に大きな影を刻み、性格すら変貌させてしまうのではないか?と思うと寒気がする。

怖い。

本当に怖い。


そう思うだけで気が狂いそうになる。


そして最後に・・・・

加藤容疑者が、会社に、社会に、追い詰められて壊れてしまったのが、それは一般的な用語で 【社会不適合者】 と呼ばれる。

あえて言う。

僕も・・・・・・・・・・・・

僕らも、そのカテゴリーに入る一歩手前で踏みとどまっているに過ぎない存在だという事。

角度がズレただけ・・・・・であるとか、

道を間違っただけ・・・・・であるとか、

言葉の違いはあれど、僕らは加藤容疑者になりえる存在だという事を肝に銘じなければならない。

社会とはそういうものだ。

世間とはそういうものだ。

そして、

世界とはそういうものだ。


人は優しいだけでは生きられないのだから。