紀元前6500年頃に 後にヴィシュヌ神と呼ばれる ヴィシュヌが生まれました 彼は愛と知恵の神であり 八次元から出た方です

 

紀元前4700年頃には 後にシヴァ神として知られる シルヴァナンダと言う方が西インドに生まれます この方はやがて 破壊の神と呼ばれる様になりますが 当時の軍事的英雄であり 後にギリシャに生まれた アレキサンダー大王で 政治的軍事的天才でした このシヴァ神 アレキサンダー大王も八次元の人であり そのあとコルシカ島に生まれ ナポレオン ボナパルトと言う名で フランスの軍事 政治の英雄となり 高次の世界では自由の神として知られております

 

紀元前4700年頃に クリシュナ神として知られる クリシュナと言う人が生まれ 信愛と慈しみを中心に説いております クリシュナは後に 紀元前二千数百年前 エジプトにクラリオと言う名で 法典を説き 紀元前4年 ナザレの地に イエス キリストとして生まれた 九次元の大指導霊です

 

紀元前8世紀頃 こうした方たちの思想が リグ・ヴェーダ にまとめられ

紀元前7世紀頃 ウパニシャッド に記録されたのです

この思想の中には 後の仏教にも影響を与える 梵我一如と言う考えが含まれておりました つまり宇宙世界の本体をブラーフマン 梵と呼び 人間の本体を アートマン=我と呼んで 梵と我はもともとひとつだとする思想です

ブラーフマンとは バフラマン 梵天の事であり 八次元の境地に入りかけた光の指導霊の事を意味します これが宇宙の本体 神と同一視され 人間の心の中には神性が宿っている すなわち 神人一如と言った考えになったのです

 

この考えは 後に釈迦仏教によって 心の修業を積んで 悟りを開けば 仏陀(悟りたる者)になれると言う思想へと発展していきます

 

ヴィシュヌ神 シヴァ神 クリシュナ神の三神の教えが ヴェーダと言う経典に集約されます やがてカースト制の最上階級であるバラモン階級の人々が ヴェーダをよりどころとする聖職を営む様になるのです 今から二千数百年前のインドには 身分制度が出来上がっておりました すなわち バラモン(司祭者)クシャトリア(王侯 武士)ヴァイシア(農工商などの庶民)シュードラ(隷民)と言う階層から カースト制度が構成されていたのです

 

当時の思想では 仏陀(悟りたる者 覚者)は必ずバラモンから出るとヴェーダに預言されていたにもかかわらず ゴーダマ・シッダルタ(釈迦)はクシャトリアからでました 釈迦が出家の後に バラモンの人たちから迫害を受けたのはこの理由からです 釈迦は紀元前654年 コーサラ国のカピラバーストに 釈迦族の王子として生まれました

 

紀元前521年に生まれたヴァルダマーナ(尊称マハーヴィーラ)は クシャトリアに属した宗教家として活躍しました ヴァルダマーナが始めた教えがジャイナ教です そしてバラモン教を否定し 人間は苦行によってのみ救われると説いて 不殺生主義を徹底させる厳しい戒律を定めました 仏教がクシャトリアに広まったのに対し ジャイナ教は 主としてヴァイシアの支持を受けます ジャイナ教は やがてヒンズー教にも大きな影響を与えていきました 同じ頃 バラモン教の権威を認めない 自由な思想家たちがでます

 

紀元前577年に生まれたアジタは 地 水 火 風 のみを真の実在とする 唯物論を唱えました アジタは 自然科学を近代化した ロジャー・ベーコンの過去世で八次元の方です

 

紀元前515年に生まれたパクダは アジタの 地 水 火 風 に 苦・楽・生命 の三要素を加えた 7要素説を唱えた7次元の人です

 

紀元前498年に生まれたプーラナは 善い行いとか 悪い行いとか言うものはないのだと言う 道徳否定論を唱えた 6次元の人です

 

紀元前472年に生まれた サンジャヤは何を尋ねられても 明確な答えをしない 懐疑論者でした サンジャヤは後に スコットランドに転生して 懐疑論 実証論を唱えた デビッド・ヒュームで 6次元上段階の人でした

 

釈迦の教えは数限りありました 釈迦は80歳と7か月で世を去りました 釈迦の没後 90日後に阿羅漢の境地に達した弟子達40名が中心となって 仏陀の教えをまとめておいて後世に遺そうと言う事になりました この時 編集されたのが 阿含経 華厳経 法華経 涅槃経などです その後も釈迦の没後400年ほどの間に 大小7回位 仏教結集が行われました しかし仏教も 仏滅後数百年も経つと その本来の意味がうすれかけてきました

 

そこで紀元2世紀頃 天上界では インドにナーガルジュナ(竜樹)を送り込んだのです 竜樹は8次元の方で 大乗仏教中観派の始祖と言われておりますが その著 大智論度や中論にみられる様に 考え方の中心は 2点に集約されます

①釈迦の仏教をできるだけ整然と 後世に遺すべく 体系化する事

②地上にでる前の竜樹が キリスト教の愛の思想に 感化を受けていたので その愛の思想を 仏教的に解釈しなおして 衆生済度(苦しんでいる全ての者を救済し 悟りへと導く事)の大乗仏教をおこす事 以上の事でした

 

3世紀 竜樹の後継者として出てきたのが 提婆(だいば)です 提婆は7次元上段階の方で インドで活躍した後 日本に生まれ変わって 法然となり 念仏門を確立しました

 

311年 無着(むじゃく) 317年 世親(せしん)の兄弟が 同様に7次元から インドにでて 大乗仏教の最盛期を築きました 無着は転生して 実存主義学者キルケゴールになり 世親はその後 中国にでて 宋の時代の陸九淵(陸象山)となり 朱子と対立して 唯心論の立場をとり 有名な学者となりました 唯心論とは 明代の陽明学の源流となるものです インドの仏教は この兄弟の没後 下り坂に入り始めました

 

やがて仏教はインドではすたれて 中国へとその中心を移していきます