直木賞作家の重松清が以前、新聞に「赦し赦され生きることが人生」と書いていた。

パリオリンピックが終わった。日本は過去最高のメダル数になったと湧いた。

逆に、選手に対する誹謗中傷も多く大きな問題となった。

本来、それは“許す”ことができない人間の心の問題だ。

■赦すことは強さの証である

マハトマ・ガンジーは

 

「弱い者ほど人を赦すことができない。赦すことは強さの証である。」と、いった。

そうした意味で、先述の問題は現代人の心を映し出しているように思う。

テレビでそのことを論じていた。

ゲストとして北京プリンピックの野球で、2度の手痛いエラーで日本チームの足を引っ張ったと、大バッシングを受けたGG佐藤が出演していた。

『おまえはメダルを失ったA級戦犯だ』

『GG佐藤でなく、おまえはEE (エラーエラー)佐藤だ』

と揶揄された。

そして、そのバッシングは大分減ったとは言え、16年経った今も続いているという。

司会者が「佐藤さん、そういう状況からどうやって立ち直れたんですか?」と聞いた。

「時間が解決してくれた面もありますが、一番は野村監督の言葉に救われたんです」と答えた。

「あの大会から13年経った頃に、また『GG佐藤、オレはまだおまえを許していないぞ』というバッシングをまた受けたんです。

その時、そのことを野村さんに話したんです。

すると野村さんは『佐藤よ、13年経ってあの北京大会の野球のことで皆に覚えてもらっているのは星野(監督)とお前だけだ。

それは凄いことだ。だからお前は勝ったんだ。お前の勝ちだ!』

と言ったんです。

そういう受け止め方もあるんだなと思い、すーっと心が軽くなるのを覚えたんです」

と言った。

■許さないことは毒を飲み続けること 

インディアンに、『赦さないことは、毒を飲み続けること』という言葉がある。

許さないことは毒を飲み続けることと同じで、心身共にボロボロになるというのだ。

オウム真理教の松本事件で、妻を失った河野義行さんのオウム信者に対する赦し。

また、水俣病患者で親族を8名も失った水俣病患者の緒方正人さんが

「チッソは私だった。」

「チッソも国も許さないと、生きていけないことが分かったのです。」とNHKの100分で名著に出演し語っていた。

そうした行為と言葉に感動し、学ばせてもらう度に、重松さんの“赦し赦されが人生”を思い出す。

そして今回のGG佐藤氏の話しも、佐藤氏が、野村監督の言葉でバッシングに耐える力を得たということではなく、

バッシングする人達をということを通して、心の安らぎを得たのだと思った。

やはり人生は“赦す”がテーマなのだ。

そしてそれは自分を″赦す″ことが土台となることを、今はよく理解できるようになった。

 

 

《令和6年8月のフォローUPセミナー予定》
■第22期SMIビジネス塾 ◇日時令和6年8月20日(火)◇今月のテーマ「シェアはイノベーションを起こさない」

 ◇会場 新潟ユニゾンプラザ4F小会議室
■第38期SMIモーニングアカデミー◇日時 令和6年7月18日(日)

 ◇今月のテーマ「イノベーション+マーケティング=マネジメント」◇会場 東横イン駅前4F小会議室」

  ※ケースによっては内容の変更があります。ご容赦ください。


先回のブログを読んだ妻が質問してきた。

「無私になるにはどうすればいいの」と。

それには2つあると答えた。
 

1つは陰徳を積むこと、もう1つは無罪の七施の実践だ。

■陰徳を積む

陰徳は“善”の行為を人に気づかれ無ように積むことだ。

昔の人は天を相手とすることを好んで生きていた。

天を相手とすることは、普遍性を鏡として生きようとすることだ。

普遍性を鏡とするには、無私でないとその鏡は使いようが無い。

以前、教育業界で注目されていた会社を訪問したことがあった。

その本社の事務所に入って驚いた。

一番目立つところに、これ見よがしにで~んとユニセフからの感謝状が貼ってあった。

陰徳とは真逆だな行為だな、と思った。

この会社の社長はどんな人なのかな、と考えてしまった。

話がうまい人だった。

初対面だったが少し鼻を衝く感じと上から目線を感じたのを覚えた。

その後数年して、その会社の主要メンバーがことごとく辞めてしまったのを聞き納得した。

「手柄を全部自分のものにする人でした」とやめた社員より聞き、決して無私の人にはなれない人だったんだなと思ったものだ。

■無財の七施

仏教では「布施」こそが悟りの境地に入るための必須条件と説く。

また「布施」は、無私となるための最良の実践とも説く。

そして財ががなくても誰もが実践できる修行でもあるという。

一、眼施(げんせ)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接する。

二、和顔施(わがんせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対する。

 

三、愛語施(あいごせ)
やさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情のこもった厳しさが必要である。思いやりをもった態度と言葉を使うことを言う。
 

四、身施(しんせ)
体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。
 

五、心施(しんせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげる、それと共に悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになること。
 

六、壮座施(そうざせ)
座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずって悔いなしでいられる等。
 

七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨がかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすること。

仏教で説く布施は、人のために尽くしても“役に立った”と考えることでさえ、それでは本当の意味での布施ではないと考える。


無心の心、無私の心で行う行為だけを布施と説く。

 

布施とは端的にいうと「人の喜び悲しみを、我が喜び我が悲しみとすること」と言い換えられる。

考えてみれば母親が子供を無心に育てる姿は正に無財の七施の姿ではないか。

そして、その子育ての姿は皆、個性的である。

それは母親が無償の愛で「無私の人」となって、個性を発揮している姿と思う。

5人の子育てをした妻をそばで見てきた私は、それを確信を持って言える。

 

 

 

《令和6年8月のフォローUPセミナー予定》
■第22期SMIビジネス塾 ◇日時令和6年8月20日(火)◇今月のテーマ「シェアはイノベーションを起こさない」

 ◇会場 新潟ユニゾンプラザ4F小会議室
■第38期SMIモーニングアカデミー◇日時 令和6年7月18日(日)

 ◇今月のテーマ「イノベーション+マーケティング=マネジメント」◇会場 東横イン駅前4F小会議室」

  ※ケースによっては内容の変更があります。ご容赦ください。

 

私は毎朝「鈴木大拙一日一訓」という日めくり本を読んでいる。

鈴木大拙は、明治・大正・昭和と生きた人で、世界に禅を広め、欧米の思想界にも大きな影響を与えた。

8月3日の言葉に心引かれた。

何度か読んでいた言葉だったが、心に強く留まった。
 
■『自分からでたもの』 鈴木大拙

「自分からでたものは、小さくても力がある。

生命がある。

本当の意義で生き生きしている。

他人の真似のできぬところがある。

その真似のできぬところが自分である。

誰でも彼でも皆この真似のできぬことがあって欲しい。

本当の自分になろうと思わねばならぬ。

多くの人は皆、他人になろうともがいておる。

誰かの着物を真似し、

髭を真似し、

歩み方を真似し、

表情を真似し、

主張を真似し、

感情を真似し、

真似し尽くして、

此処に一個の人形ができてくる」

■「無私であるほど君は個性的な人間になる」

この大拙の言葉に私の心が何故反応したのかと考えた。

このところのモヤモヤした気持ちは、暑さだけの所為でもでなく何だろうと問うてみる。

そうするとこの言葉の中にヒントがあった。

「多くの人が他人になろうとしてもがいておる」という言葉だ。

仕事柄もあり、少しは自分は自分を知っていると思い上がっていた。

知らず知らず、正に“此処に一個の人形ができてくる”になっていたようだ。

油断大敵だ。

そして文筆家の故池田晶子の言葉を思い出していた。

『天をみるとはどういうことか、

もうわかるよね。

ちっぽけな自分を捨てることだ。

無私の人であることだ。

君が自分を捨てて、無私の人であるほど、君は個性的な人になる。

これは美しい逆説だ。

真実だよ。

人は、個に徹するほど天に通じることになる。

この宇宙は、なぜかそういうつくりになっているからだ。

本物か偽物かという問を理解するのも、やはり本物の人だけだ。

偽物ばかりが横行する今の世の中を生きてゆくのは、本当に大変だ。

でも、偽物の人生を生きて死ぬよりは全然大変なことじゃない。

だから、本物の人間になろう。

君は、君だけは、本物を見抜ける本物の人間になろう。』

 

※池田晶子著『14歳の哲学」より

 

この本は20年前に学校の教育現場でも使われ、ベストセラーとなり今も版を重ねている。

 

うこうして徹底的に普遍性を問う本が売れることは素晴らしいことだ。

 

■真理の言葉は、普遍性に触れると反応する

先述の鈴木大拙の言葉を生きるには、池田が指摘するように“無私”になることだ。

真我を生きるには“無私の人”となることが必要だ。

年を重ね、池田晶子を読み続けてきて、ようやく理解できるようになった。

そのことが嬉しい。

そして、その心が、鈴木大拙の言葉を受け止めてくれた。

20年前に県立図書館で『君自身に還れ』という池田の本に出会えたことに、心から感謝をさせてもらった。

 

 

《令和6年8月のフォローUPセミナー予定》
■第22期SMIビジネス塾 ◇日時令和6年8月20日(火)◇今月のテーマ「シェアはイノベーションを起こさない」

 ◇会場 新潟ユニゾンプラザ4F小会議室
■第38期SMIモーニングアカデミー◇日時 令和6年7月18日(日)

 ◇今月のテーマ「イノベーション+マーケティング=マネジメント」◇会場 東横イン駅前4F小会議室」

  ※ケースによっては内容の変更があります。ご容赦ください。