先回のブログを読んだ妻が質問してきた。
「無私になるにはどうすればいいの」と。
それには2つあると答えた。
1つは陰徳を積むこと、もう1つは無罪の七施の実践だ。
■陰徳を積む
陰徳は“善”の行為を人に気づかれ無ように積むことだ。
昔の人は天を相手とすることを好んで生きていた。
天を相手とすることは、普遍性を鏡として生きようとすることだ。
普遍性を鏡とするには、無私でないとその鏡は使いようが無い。
以前、教育業界で注目されていた会社を訪問したことがあった。
その本社の事務所に入って驚いた。
一番目立つところに、これ見よがしにで~んとユニセフからの感謝状が貼ってあった。
陰徳とは真逆だな行為だな、と思った。
この会社の社長はどんな人なのかな、と考えてしまった。
話がうまい人だった。
初対面だったが少し鼻を衝く感じと上から目線を感じたのを覚えた。
その後数年して、その会社の主要メンバーがことごとく辞めてしまったのを聞き納得した。
「手柄を全部自分のものにする人でした」とやめた社員より聞き、決して無私の人にはなれない人だったんだなと思ったものだ。
■無財の七施
仏教では「布施」こそが悟りの境地に入るための必須条件と説く。
また「布施」は、無私となるための最良の実践とも説く。
そして財ががなくても誰もが実践できる修行でもあるという。
一、眼施(げんせ)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接する。
二、和顔施(わがんせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対する。
三、愛語施(あいごせ)
やさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情のこもった厳しさが必要である。思いやりをもった態度と言葉を使うことを言う。
四、身施(しんせ)
体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。
五、心施(しんせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげる、それと共に悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになること。
六、壮座施(そうざせ)
座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずって悔いなしでいられる等。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨がかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすること。
仏教で説く布施は、人のために尽くしても“役に立った”と考えることでさえ、それでは本当の意味での布施ではないと考える。
無心の心、無私の心で行う行為だけを布施と説く。
布施とは端的にいうと「人の喜び悲しみを、我が喜び我が悲しみとすること」と言い換えられる。
考えてみれば母親が子供を無心に育てる姿は正に無財の七施の姿ではないか。
そして、その子育ての姿は皆、個性的である。
それは母親が無償の愛で「無私の人」となって、個性を発揮している姿と思う。
5人の子育てをした妻をそばで見てきた私は、それを確信を持って言える。
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