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2012-07-31 07:34:22

スパルタ婚活塾 第9講 「ファッションの壁」

テーマ:スパルタ婚活塾
 
 さて、本講義ではいよいよ「ファッション」について教えていくことになるが、俺がファッションを教えると言うと、お前は鼻をほじり、鼻くそのへばり付いた手で愛也を指差しこう言うかもしれない。

「ジャージ姿のダサ坊主の、どこにファッションを語る資格があるんだお?」

そんなお前の口にはヴイクトリアシークレットのセクシーパンティを何十枚と突っ込みながらこう叫ぶことになるだろう。

「ダサいからこそ、ダサい人間の気持ちが痛いほど分かるんじゃぁ!」

この件に関しては少し長くなるかもしれないが、というかどれだけ長くなろうが、お前を椅子に縛り付けて耳とまぶたをクリップで挟んで開かせ、強制的にでも話さねばならない。

 この話はお前の人生を根本的に変えてしまう可能性があるのだ。

 そもそも俺が「ファッション」というジャンルにおいて強い違和感を感じたのは2008年のある出来事であった。
 当時、俺は、本来の俺の姿である愛也ではなく、副業、というよりアルバイトとしての位置づけであるライター業がそこそこうまくいき、メディアから取材を受けることが多くなっていた。そこで、多少は服も気にしなければメディアマスコミ業界のイケイケな連中から「はい出た、文章書くだけが取り柄の強気な引きこもり」と、湿った生ゴミを見る目で見られる危険性を察知し、しかし服装に関しては局部が隠れて冬場に暖かければ良い、くらいの認識だった俺は、生まれた初めて何人かのスタイリストに依頼することにしたのである。

 しかし、俺の服装に対する周囲からの反応はイマイチであった。
 そして、これは俺にとって極めて不思議な現象であった。

 というのも服なんて「何を選ぶか」ですべて決まるわけだし、スタイリストの人たちも名のある芸能人を担当している優秀な人であり、スタイリストが言うものそのまま着たらお洒落になれるはずである。
 しかし、現実はそうはならなかったのだ。
 そしてこのことが頭にずっと引っかかっていた俺は、「ファッション」というジャンルを研究するために、事務所を思い切ってオシャレ教のメッカこと裏原宿に移転し、毎週必ず服屋に行き、男性誌が発売される10日と24日は六本木のツタヤに行き、すべてのファッション誌に目を通すという地獄の様なノルマを自らに課した。そうやってファッションとの昼夜にわたる血の滲むようなぶつかり稽古に臨んだところ、ある事実に辿り着いたのである。  
それは
 お洒落になるという目的にとって、お洒落な服を着ることは2次的な要素であり、
 
 一番解決しなければならないのは、「心」の問題なのだ。

――このことを説明するために、今から20年ほど時を遡らねばなるまい。
中学・高校時代を男子校で過ごした者であれば分かると思うが、男子校というのは校内の上位3%の「イケている軍団」のみが、女子校とのつながりを持てるのであり、この軍団に所属できた者のみが「紹介」(当時の合コンの名称である)に呼んでもらうことができたのだ。
 では、この「イケている軍団」とはどのように形成されていくのだろうか。
この点に関して、同学年500人いた同学年の生徒の中で、最も深く研究していたのが、この愛也である。そして、女子を意識し始める中学2年の頃、「イケている」とされる要素は「顔」「腕力(運動神経)」「笑い」であった。そして俺はすでにこのときにしてメインストリームから外れ、LSIというゲームセンターという名の独房に収容されていたのであるが、それでも「なんとかイケているやつらに気に入られることができまいか」と虎視眈々と脱獄の機会を狙い続けていたのであり、メダルゲームのメダルを献上することで彼らのお近づきになれないか、とか、「腕力」であれば努力でなんとかなるかもしれないと、名古屋駅にあったケンカ実践空手「芦原空手」に入門したこともあった。しかしそんな俺の努力をあざ笑うかのように、彗星のごとく現れ、「イケている軍団」入りを果たした男がいた。
 
ケンタロウである。
 
ケンタロウはイケメンというわけではなかった。俺と同じ「薄い」系統の顔をしており、さらに、俺より背が低かったのである。
しかしケンタロウは、当時流行していたLLビーンのトートバックで、このトートは通常、白地に赤や青のラインが入っているのであるが、ケンタロウは地の色が「紺色」でそこに緑のラインの入った「紺緑」を持っていたのである(ちなみに、当時モテの頂点に君臨していた尾関は「紺赤」であった)。
そして、中学3年から高校1年にかけての時期、「顔」「腕力」「笑い」を超えて「ファッション」こそが「イケている」ことを象徴するジャンルとなり、「顔が良い」ことを売りにしていた男たちも「イケてる軍団」から外されていったのだった。
 もちろん、俺も、こうした時流の変化に敏感に反応した。LLビーンのトートバックの地が紺色のものはどこで買えるのかが分からなかったが、当時、LLビーン同様に流行っていた「サーマル素材のTシャツ」を求めて、矢場町のパルコに単身一人で乗り込んだこともあった。
 しかし、久屋大通という土地を歩くだけでも脂汗が出る俺は、お洒落な服に身を包んだ店員の俺を蔑むような目に耐えられず、何も買えずにパルコを後にしたのである。
 こうして「ファッション」というジャンルでもメインストリームに加われなかった俺は、次第に「ファッション」というジャンルそのものを憎むようになっていった。お洒落な人を見るたびに嫌な気持ちになり、また、人がお洒落になろうとするのを見ると「あいつ何イキがっとんの」と足を引っ張ることもあった。
お洒落になりたくてなれなかった人間の心にはこれに近いものがあると思う。たとえば「お洒落をしなければならない場所」に行くことになったとき心が重くなったり、着ている服をホメられても、自分としてはお洒落をしてるつもりじゃないからむしろそんなに良い気分がしなかったりする。

しかし、それはどんなジャンルも――それは人間であっても同じであるが

こちらが心を開いていないのに相手がこちらに心を開くことはあり得ない。

 俺がスタイリストに依頼したのにもかかわらずお洒落になれなかった理由。それは、スタイリストの人は取材を受ける前、毎回たくさんの服を持ってきてくれて「水野さんの好みはどんなものですか?」などのコミュニケーションを望んでいたのだが、しかし服が嫌いな俺としては(あんたスタイリストなんだから何着ればお洒落に見えるのか決めてくれれば俺はそれ着るし、そもそもこんなことに時間使いたくないし)くらい思っており、スタイリストの人とのやりとりが苦痛だった。こんな流れで決められた服というのは、実は「誰からも選ばれていない服」であり、そんな服を着たところでお洒落に見えるはずがないのである。

 では、ダサい人間がお洒落になるにはどうしたらいいか。

 まず、これは当たり前の話であるが、しかし、今、ダサい人間にとってお洒落になるために最も必要なのは

 「服を愛する」

 ことである。
 お洒落な服を着て、奇麗になって、人からホメられたりするのが楽しい、その気持ちを受け入れること。それは実はすごく簡単で誰にでもできることなのだが、心の底にお洒落を「恥ずかしい」と思う気持ちを持っている人がいかに多いことか。まずその気持ちと向き合って、自分の中にある「服に対して心を閉ざしている部分」を受け止めなければならない。

 そして、そういう人間がお洒落になるためにするべき最初のステップは

●市場に出ているすべてのファッション誌に目を通し、一番王道のものと、自分が好きなもの2冊を決め、毎月必ず購入する。そしてその雑誌に載っている、「自分がお洒落だと思うアイテム」、ないしは「そのアイテムに近いもの」を購入する。

 ちなみに、俺は前著「LOVE理論」には、「ファッション誌はほとんど広告だから読む価値無し」ということを書いた。その点に関して俺が言いたいのは次の一言である。

 
 すべて、忘れろ。


もしどうしても忘れられないようなら、俺の家までこい。お前が先ほどの一文を記憶から抹消できるまでスタンガンを当て続けてやろう。
 裏原宿に引っ越してからすべての男性ファッション誌に目を通したところ、広告ページは

 1ページ全体が同じブランドの商品を扱っている

 というシンプルな法則を発見した。
 そこを飛ばし読みすれば、優秀な雑誌や売れている雑誌はちゃんと誰にとってもプラスになるお洒落を提案している。雑誌を作っている彼らもまたプロなのだ。
 そして、最初のステップで特に重要なのは「自分が好きな雑誌やアイテム」など、「自分の好み」を押しているところである。
 この点に関してもLOVE理論では「お前の好みなどゴミだ。お前の好きなものではなく他人が好きなものを選べ」と書いたが



 忘れろ。



 もしどうしても忘れられないようなら、スカイツリーの頂上まで来い。お前が記憶を失うまで634mの高さから宙吊りにする準備を整えておく。
 お洒落になるために一番重要なのは「服に心を開く」こと。つまり「自分が好きなもの」から始めなければならない。だから、雑誌を使う。適当に服屋に入って自分が好きなものだけ買っていたらセンスは磨けない。しかし、雑誌が提案するものの中での好みを選べば、その時点で一つ客観性をプラスすることができる。
 また、LOVE理論では「服を買うときは必ず誰かと一緒に行って、その人に服を見てもらえ」ということを言ったが、



 あれは、誤植だな。



 もしお前が矛盾を指摘したいのであれば、それは文藝春秋か大和書房の管轄であり俺とは無関係である。
 服を好きになったとしたら、ちょっとした仕事の合間も、時間ができたらどんどん見に行かなければならない。となると、基本、個人行動になる。俺も原宿に引っ越したばかりの頃はアシスタントや友達と服を見にいっていたが時間が合わなくなったので最終的には一人で行くようになった。
 さて、それでは次のステップだ。自分好みの雑誌とアイテムを身につけるようになったら、


 ●雑誌が提案しているもので「それはないわ」と思ったものを毎月必ず一つ取り入れる。
 

 「それはないわ」というものは、「色」「アイテム」「着方」すべてに言える。とにかく自分がこれまで買ってきた服のパターンを意図的に壊すのである。
 たとえば、これは男の話になるが、すべてのファッション誌はネックレスを扱っているが、多くの男がネックレスをすることに対して「それはないわ」と思っている。もちろん俺も思っていた。そこで「それはないわ」を取り入れてみる。すると友人から

 「お前、ネックレスて。サブッ」

 とバカにされ、あざ笑われ、なんなら知り合いに「あいつ最近ネックレスつけとるがね」と親戚中に噂を広められ、一族の面汚しとして法事や従兄弟の結婚式などに出席できなくなる可能性が出てくるが、不屈の闘志でそうしたバッシングを跳ね返し、ブレスレット、アンクレットなど身につけたこともないものを購入し幅を広げていく。さらにアイテムだけでなく「色」にも挑戦してもらいたい。特にお洒落でない人は、黒や紺ばかりなど、同じ系統の色を買ってしまう人は多い。そこで雑誌で提案している「これはないわ」という色を買っていく。もちろん失敗する。俺も緑色のジャケットを買って「おまえスナフキンみたいになってるぞ」と罵詈雑言を浴びせられ、そのままスナフキンのように放浪の旅にでも出てしまおうかと思ったことがある。しかしこうしてどんどん新しい色、アイテム、着方、を取り入れていく。すると「あれ、これ意外にいけんじゃないの」みたいなものに出会うことができるだろう。
 それができるようになったら

 ●他人を雑誌化する

「街で見かけたお洒落な人」「テレビに出ている芸能人」などの中で「あ、お洒落だな」とか「このパターン自分の中にないわ」というものをどんどんリスト化しておいて、近いものを見つけたら購入する。

 ●セール品は一切買わない
 
 セール品はブランド品が安く手に入るので魅力的だが、言ってしまえば「売れ残り」である。「理想の男性と結婚する」ことを目的にするお前はブランド品ではなくとも「売れる」ものを真っ先に見つけて買うくらいセンスを磨け。さもなくば、お前自身が「売れ残り」となり、安値で叩き売られる事になるであろう。

 ●自分の失敗パターンを知る

 こうやって服を買っていくと、あるとき「自分は好きになってしまうけど、他人からみたらダサい服」のパターンが見つかっていく。
 次の写真を見て欲しい。

水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba-パーカー1水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba-ジャケット1

 
 これは俺が「カッコイイ」と思って買ったのだが、多くの人から批判されたアイテムである。トゥモローランドで買った右のジャケットは「ムッシュかまやつ」と言われたし、左のパーカーは「田舎のヤンキー」と揶揄された。共通点は、「全体に柄が入っている」という点である。こういった「自分と社会とのズレ」を確認しておくこともセンスを磨くことにつながっていくだろう。


 ●店員にビビらず試着しまくる。

 これはできるようになるまで時間がかかるかもしれないが、ぜひ身に付けて欲しい。特にファッションが苦手な人はアパレル店員の「自分、お洒落でやらしてもらってますけど何か?」と威圧してくる雰囲気が苦手という人が多いだろう。しかし、毎週毎週服屋に行くことをノルマにしていた俺は、態度のデカいやつや、嫌な店員にもたくさん出会ったが、あることに気づいた。

 服屋の店員は暇である。

 服屋に行き始めて分かったのは、雑誌に載っている有名店でも、平日にはほとんど人はいないという事実である。そして、もし試着ばかりして買わないのだとしても、もし他に客がいないのなら、デカい態度になる理由はまったくないのである。それで態度がデカいのなら、そいつは単なるアホであり、近々店から消えるだろうし、そいつが消えないのであれば店ごと消えるだろう。アパレル業界の競争は熾烈なのである。

 この流れで努力していけば、「自分が好き」で「他人から見てもお洒落」という服に出会うことができるだろう。
 そしてそんな服であれば、人の集まる場所に行くことが確実に楽しくなるだろうから、さらに服が好きになっていく。こうしてファッションセンスは磨かれていくのだ。
 つまり、ファッションセンスというのは、「自分の好きな服」と「客観的にお洒落な服」の摩擦の密度だと言えるだろう。

 さて、今回の記事はファッションについて真面目に書いたのでうすら寒く感じたやつもいるかもしれない。
 次の写真を見て欲しい。



水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba-全裸1水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba-全裸2

 これは、過去に俺が立ち上げたオシャる技術という企画である。これはファッションリーダーになるために、持っている服を全部燃やし、全裸から服を買っていくという企画であった。この企画は、毎回どんどん服を買って着ていくという企画の性質上、全裸だった最初の頃が一番面白かったという感想が相次いだものの、全国のダサい男子達の聖書として現在も鮮やかに語り継がれている企画である。

 こうした企画を面白いと思う気持ちは良く分かるし俺も大好きな企画だった。
 ただ、この企画を面白いと思える者は、先ほど書いた中学高校時代に俺が培ってきた「服への憎しみ」を持っていないかをここで一度考えてみてほしい。

 いや、これはどちらのスタンスが正しいという問題ではない。

 俺が服を燃やしたとき、一部の服好きから「こいつは服を作っている人の気持ちが分からないバカだな」と批判されたりしたが、そいつらに俺が言いたいのは「これで腹抱えて笑ってる人がおるんじゃボケが!」であり、ただ、今回の記事を読んで「お前いつから真面目にファッション語るようになっちゃったの」というやつに対して言いたいのは「俺は女をモテさせるためのベストの方法を選んどんのじゃボケが!」である。
 つまり俺が言いたいのは、服を燃やした俺に対してムカついたやつは、俺の中学時代の文章を読み「ああ、こういう人間もいるんだな」と共感の幅を広げ、オシャる技術が面白かったやつは、逆に「ファッションをガチで攻めてみるか、逆に」と考えて今回の方法を実行してみてほしい。

 成長とは、現状の自分を壊すことであり、

 今日までの
 「これはないわ」
 に挑戦することなのである。


■第9講まとめ

お洒落になることは、「選ぶ服」ではなく「心」の問題である。

ファッションセンスとは「自分の好きな服」と「客観的にお洒落な服」の摩擦の密度である。




それではまた来週火曜日、この場所で会おう。





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