こんにちは
みずのじゅんこです
元カレのお葬式に行ってきました
気合いを入れて
という表現の仕方も
おかしいんだけど
それくらいの気持ちで家を出た私
道中で
異業種交流会の主催者さんと合流
亡くなったN氏の話をして
しんみりしたり
主催者さんと会うのは5年ぶりだったので
「最近どう?」みたいな話にもなって
日常モードになったり
葬祭場に着いたら
異業種交流会で顔を合わせていた
懐かしい人たちが数名いて
「今、どうしてるん?」って話をしたり
悲しんでいる心に
日常が入り込んでくるので
葬祭場で悲しみ続けるというのは
なかなか難しいことなんだな
と思ったり
こんなんでいいのかな?
と思ってしまったり
でも
喪主さんが挨拶の中で
N氏は周りの人に良くしてもらった
周りの人たちにお世話になった
人といるのが好きな人だった
だから、今日、葬祭場で
「ひさしぶりやねぇ」って声が
あちこちから聞こえてきて
久しく会っていない
自分の知り合いたちが
ここで会えていることを
N氏は喜んでいるのではないか
そんな風に話していて
そうかもしれないなと思った
遺影の写真は
私の知っているN氏だったけど
棺の中のN氏は
びっくりするぐらい痩せていて
おじいちゃんに見えた
月日の流れと
闘病生活はしんどかったんだろうなと
思った
N氏は、これでもう
しんどさからは解放されたんだな
そういうふうに思った
自分に対して
子どもの頃
大人がそんなセリフを言うのを聞いて
「まるで亡くなってよかったみたいな言い方をするなんて!」
って
心底腹立たしく思っていたのに
大人になった私は
あの時の大人と
同じようなことを思っているなと
正論や正しさだけでは生きていけない
無意識的にでも
無理やりにでも
今の現実の中から
何かいいことを見つけたくなる
そんな大人の弱さとズルさと
おくびょうな優しさのようなものを感じました
和尚さんの読経が
けっこう長く続き
私の席からは
N氏の遺影がよく見えたので
N氏にいっぱい話すことができました
私の習っているコーラスグループの
2月の発表会の歌が
先週決まったんです
中島みゆきの『糸』
縦の糸はあなた
横の糸はわたし
N氏の人生にとって私は?
って
思ったりもしたけど
N氏という縦糸には
とても少ない本数だとしても
私という横糸が織り込まれて
N氏の人生という布の一部になっている
それは
信じられるようになりました
糸の本数が少なすぎて
他の糸の下に隠れちゃったり
布の裏側になったり
してるかもだけど
このタイミングで
『糸』の歌を練習することになるとはね (^▽^;)
逢うべき人に
出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
きっと私は
この歌を聞くたびに
N氏のことを
懐かしく思い出すんだろうな
そんなことを思いました
私という縦糸には
N氏という横糸が
かなり目立つ形で入っていて
私の布の中で
まあまあ目立ってるんだろうな
そう思うと
クスっと笑えました
私は
N氏という横糸が入った布の先を
これからも織っていこう
いろんな横糸を入れながら
めっちゃステキな布になるように
織っていくもんね~
読んでくれて、ありがとう