本日の福岡県春日市は昨日の雨と風のせいで桜の花びらが舞い散っています。
司法書士Oです。
ここ最近ブログを更新しようと思い、いろいろと考えているのですが、今日のニュースを見て急遽タイトルを決めました。
私は、大学時代に「外務省専門職員」という試験に挑戦したことがあります。私は英語が専門だったため、その当時の試験に必要だった「経済学」「国際法」「憲法」は専門書を使って独学で勉強しなければなりませんでした。
ちなみに、そのおかげで「憲法」は司法書士試験では得点源になってくれました。
ところで、なぜ「外務省専門職員」になりたかったのかというと、一つは公務員で外国語といえば「外交官」だろうということと、もう一つは外国語を通じて人の役に立つことができるということでした。
残念ながら「外交官」になることはできなかったものの、その後は「教育」を通して将来の日本を支える人を育てたいということで予備校で英語を教えていました。
そして、今は「司法書士」を職業にしています。
憲法(ここでは日本国憲法のことを指します)には、皆さんご存じのとおり「基本的人権の尊重」が定められています。
「憲法」(岩波書店)の芦辺信喜先生によると、
1,固有性・・・人間であることにより当然に有する権利
1776年のアメリカ独立宣言に淵源を求められる。
2,不可侵生・・・公権力によって侵されない
3,普遍性・・・人種、性、身分の区別に関係なく当然にすべて
享有できる権利である。
とされていて、これは昭和23年(1948年)12月10日に
国連で採択された「世界人権宣言」も同様の趣旨が
定められています。
法律は定められただけではただの「絵に描いた餅」に過ぎません。
法律を勉強し始めた頃は、条文を読んでも無味乾燥な感じがしてなかなか理解が進まないものです。
しかし、「法律」を学び、その沿革を知り、その理念を自分のものにするよう努力していけば、先人から引き継いだ智恵を自らがどう実現し、周りの人や社会のため、ひいては世界のためにその力を使うことができるようになるはずです。
それが法律を学んだ者の使命です。
すこし大げさに法律を学ぶ意味についてのべましたが、
今、とても気がかりなことがあります。
「ミャンマー」についてです。
先週、「7歳の少女が射殺」されたというニュースが報道されました。
今日の報道では、幼い子を含む多くの人が犠牲になっているようです。
ここ最近では、ミャンマーからの技能実習生も多いと聞いています。技能実習生を受け入れている知人が、ミャンマーの方は礼儀正しく、仕事も丁寧だと言われているのをきいたのも最近の話です。
私自身は、特定の支持する思想や宗教はありません。
世界の情勢にも疎いです。しかし、アウンサンスーチー女史については小学生の頃からよくニュースで見聞きしていましたし、大人になってからはその活動・活躍を耳にする度に尊敬の念を深めるばかりでした。
昨年は、選挙で大勝し、やっと本格的な民主化へ進むのだろうと思っていた矢先でした。
少数民族の問題や軍事政権の問題など多くの課題があり、簡単にはいかないことは分かっています。
しかし、
なぜこの時代に武力なのでしょうか。
ミャンマーの国連大使のチョー・モー・トゥン氏(氏は外交官です)の行動にミャンマー市民の強い覚悟を感じました。
アウンサンスーチー女史、チョー・モー・トゥン氏ともに、自らの危険・困難を顧みずに、自分の国のために立ち上がり、声を上げているのでしょう。
多くの犠牲者を出しながらもデモに参加している市民の皆さんも同じでしょう。
知識、言論が武力の前では無力になってしまうのでしょうか?
最近の中国の行動についても不安を覚えます。
桜は散っても美しいですが、散って美しい人の命などありません。
一日でも早い事態の解決を祈っています。
とりとめのない文になりましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。