● この記事は にアップしたものの再アップ記事です。以前はこういうちょっとこった?!長い記事も書いていました( ´艸`)
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アクセスを辿っていると、うちのブログに「スペイン 巡礼」というキーワードで辿り着く人がいらした。
不思議に想って私もそれで検索してみると、
意外とスペインは、ローマ、エルサレムに続く、カトリック信者の巡礼地として
有名な場所だった事が解りました。
この方 がいらっしゃるスペイン。
先日、個展の収益が上がれば、スペインは、プラド美術館の絵葉書を印刷している場所に
スペイン タガミさんに連れて行ってくださいと、お願いしました。
そして自分の作品も、プラド美術館の大家の画家と同じクオリティの 絵葉書にしてみたい!
そんな夢が芽生えていたのですが、
続く色々なことごとで、その夢も隅に追いやられたようでしたが、しかししっかり
夢として生き続けています。
さて。
スペインに行くのなら、アルハンブラ宮殿観光は外せないのですが、今回、
このような巡礼地を知ったなら、こちらへも行くのが運命に想えます。
聖人ヤコブの遺骸が納められた、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
+参考ブログ
http://ameblo.jp/world-football-traveler/entry-10337874467.html
聖書は幼稚園~小学校4年生の1学期まで、約4年少々通った教会学校と、
進学した関西学院大学でのチャペルとキリスト教学、そして、
自らが読んだ聖書(旧約、新約含む、濫読、すきま読み・・・・)、そして関連文学からの知識のみで、
ヤコブがキリスト教形成の為に、どんな役割を果たしたのか、今ひとつ分かりません。
ヤコブは、魚を漁して、キリストの弟子になった人だったかしら?
(確か、漁どるひと=キリスト、という概念でしたが。
wikiを調べてみました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
伝説によれば、イエス の十二使徒 の一人聖ヤコブ がエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。813年 、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりにヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者がヤコブの墓を発見したとされる。これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古である。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物 崇拝によるところが大きい。
また、巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタ とも連動した。ヤコブはレオン王国 などキリスト教国の守護聖人 と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人 殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。
巡礼は、スペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐことにもなった。巡礼者の中には建築家もおり、彼らはヤコブに捧げるために、巡礼路に沿った都市にロマネスク建築 による多くの教会や修道院を建てた。
レコンキスタの完了や、百年戦争 、三十年戦争 による混乱によって衰えた時期もあったが、巡礼は現在まで続いている。現在の巡礼者のスタイルは、徒歩、自転車、車などさまざまである。また、ガリシア州政府は観光の目玉として巡礼路をアピールしている。
++++++++以上、wikiより(この項、リンク無効)
巡礼による異文化の交流。そしてその衝突と相互理解。
スペインのアルハンブラ宮殿といえば、イスラム様式建築の、最高傑作だといわれます。
そして、スペインの、有名な
アランフェス交響曲。
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ジプシーの民の放浪と哀しみ。
ナバーラと言う名前が気になってみれば、
wiki ナバーラ州 、より+++++++++++
かつてナバーラ王国がピレネー山脈 を挟んでこの一帯を統治していた。ナバーラ王国はもともとパンプローナと呼ばれ、824年 頃にイニゴ・アリスタがフランク王国 に反乱を起こして建国した。1512年 、アラゴン 王フェルナンド2世 によって山脈から南側はスペインに統合された。
フランス側に分かれた地方はバス・ナヴァールと呼ばれ、現在のフランスのピレネー=アトランティック県 になっている。ナバーラ王エンリケ3世が1589年 にフランス王アンリ4世 として即位した後、フランス王はナバーラ王を兼ね、フランス側のナバーラは1791年 まで別の王国として存続した。
当時権勢を誇っていた、ハプスブルクの王たちが関係するんですね。。
あの、夭逝の王女、ラヴェルによって名曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」が捧げられた、
ベラスケスが描いた、そしてそれをピカソが模写したマルガリータが幼くして嫁いだ国、オーストリア、ハプスブルグ家。
関連記事
ピアノ曲はパリ音楽院 在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。ラヴェルがルーヴル美術館 を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス (1599-1660)が描いた若い王女(マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ )の肖像画からインスピレーションを得て作曲した。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ 」だとしている。
註;パヴァーヌとは、孔雀の舞を表す舞踏の一種
こんなふうにして私の、webでのスペイン巡礼は、結局は
マルガリータ王女の名画に行き着くわけですが(笑。。。
さまざまなスペインの地への憧れが、さらに芽生えました。
ナバーラ州パンプローナといえば、夏の初めの牛追い祭り。
そしてスケートの伴奏曲として有名な、アランフェスの地。
そしてあの、ファム・ファタル(運命の女)、「カルメン」の物語の生まれた地。
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- セギディーリアの曲(カルメンがホセを誘惑する
参考記事+
http://www.worldfolksong.com/songbook/opera/carmen/seque.htm
そしてラストはマリア・カラスによる、プレリュード~「恋は野の鳥(ハバネラ)」、を
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