ファイブ・デイズ・グレイス -レンタル屋の天使2-

最終章 五日目:海を目指す


第3話 シミュレーション(2)


 アトリエソラにはすぐにたどり着けた。川沿いにある落ち着いた雰囲気の小規模ビルで、一階のギャラリースペースにはたくさんの学生やビジネスマンがたむろしていた。思ったよりも人が多い。
 でも、エレベーターで五階まで上がると雰囲気が一変した。全ての貸し会議室が稼働しているわけではないみたいで、廊下には全く人影がなく、物音もしない。

「えっと。502号だったよな」

 一つだけ扉が開け放たれている部屋があって、そこが502号みたいだ。部屋と部屋の間隔を見る限り、そんなにだだっ広い部屋ではなさそう。腰が引けているめーちゃんを先に行かせるわけには行かないので、私が先に入って中を確認した。

 八畳くらいかなあ。会議室だから無機質な色とレイアウトを想像していたんだけど、モスグリーンの床と淡い水色の壁面は草原のイメージでとても開放的だ。二つ置かれている大きめのテーブルは木製で、スクエアじゃなく楕円形。それぞれにおしゃれな曲げ木の椅子が四脚ずつ配置されてる。全面ガラス張りの窓の向こうには神田川の川岸と広い空。街中なのに建物による圧迫感が少ない。
 テーブルと椅子以外何もないからか、部屋がすごく広く感じられる。会議室というより、まるでアート展示みたいだ。さすが東京だなあ。

 部屋の中にいるのはまだ二人だけ。松橋さんと父さんだ。
 松橋さんは昨日と違って淡いクリーム色のスーツ姿。父さんは背広ではなく、白系のポロシャツにライトブルーのブルゾンというラフな格好をしていた。服装がカジュアルなのは、重苦しい雰囲気にならないようにという配慮なんだろう。
 二人は入り口から遠い方のテーブルの手前側に並んで座り、打ち合わせをしていた。私たちの到着に気づいた松橋さんが、さっと立ち上がる。

「早かったわね。もっとぎりぎりに着くかと思ったわ」

 そう言ってめーちゃんを見た松橋さんの目が点になった。

「萌絵さん、コスプレ?」

 思わず吹きそうになったけど、確かにそんな風に見えるよね。てんぱってるめーちゃんの代わりに私が説明する。

「これ、彼女が家を出た時の服装なんです。丈二さんに見つからないための変装ですよ」
「あ、そういうことか……」

 丈二さんから逃げ隠れする必要がない今、あえてめーちゃんがその服を着て見せる理由は……自明だよね。松橋さんがうんうんと頷いた。
 父さんは、最初から全部お見通しっていう感じで平然としている。さすが心理戦のプロだ。

「えーと、どこに座ったらいいの?」

 聞いてみる。

「俺に一番近いところに萌絵さん。その隣におまえ。萌絵さんの真向かいに紗枝さん。お父さんはおまえの向いだ。理由は説明しなくてもわかるだろ?」

 そう言って、父さんがにやっと笑った。

「なるほどなー」

 思わず感心してしまう。

「あの……どうして、そんな風に決まってるんですか?」

 おずおずとめーちゃんが聞いた。父さんがノートに書かれた位置図を見せながら解説する。

「まず、萌絵さんの孤立を防ぐ。俺とルイで挟む形にすれば、物理的、心理的に両側からサポートできるんだ」
「あ……そうかあ」
「お父さんを真向かいに持ってくるのは無理だよ。お父さんが面と向かって威圧しないまでも、そこにいるだけで萌絵さんが心理的に強いプレッシャーを感じてしまう」
「……うん」

 父さんが松橋さんに目をやる。

「松橋さんに聞いたんだが、DVに絡んだ案件の場合、事情聴取や調停をオンラインや音声だけでやることもあるそうだ。もちろん被害者の心理的負担を和らげるためだ」
「今回そうしなかったのはどうしてなの?」

 私が聞いたら、父さんからシンプルな答えが返ってきた。

「同席の方が、お父さんに強いプレッシャーをかけられるからだよ。紗枝さんの立ち位置がまだわからないけど、それ以外は全部萌絵さん側(サイド)だからな」
「あ、確かにそうだ」
「音声だけだと、こっち側が圧をかけられない。かえってお父さんを有利にしてしまう」
「なるほどなー」

 父さんが窓の方を指さした。

「室内照明が点いていると言っても、今は外光の方が強い。こちら側の顔はやや明るく、逆光になるご両親の方はやや暗くなる。萌絵さんの心理的優位を演出できるのさ。そんな風にいろいろな要素を考え合わせていけば、席の配置パターンは自ずと限られるよ」

 うん。理解できた……けど。

「父さん。私と萌絵さんの位置は逆の方がいいんじゃない?」
「ほう?」
「もし丈二さんが直接行動を起こそうとした場合、萌絵さんがさっと逃げられなくなる。ワンテンポ遅れちゃう。萌さんを出入り口に一番近い位置にした方がいいと思う」
「む……」

 父さんがノートの上に曲線を二本追加した。私とめーちゃんの位置を入れ替えたんだろう。

「もっともだ。そうしよう。当然、お父さん、お母さんの配置も逆になるな」
「うん」

 私と父のやり取りを聞いていた松橋さんが、感嘆の声を漏らした。

「ううーん……すごいなあ。親子揃って理論派かー。年頃の子は父親とぎくしゃくしがちなのに、阿吽の呼吸ですね」

 全力で苦笑してしまう。

「あはは。松橋さん、それは違います。今の父とのやり取りは、私が幼い頃からずっと続けてきたルーチンみたいなものなんです。おはようとかの挨拶交わすのに近いかもなー」
「へ?」

 びっくりマークはめーちゃんからも出た。なんじゃそりゃって感じで。

「まあ、それはこの件が片付いてからネタにしましょう」

 ぱちんとウインクしてみせたら、父さんがふうっと大きな溜息をついた。それから、松橋さんに向かってぼやいた。

「松橋さん。親子として見るなら、俺とルイよりも萌絵さんとご両親の方が本筋なんですよ。親子の間で感情的なズレが生じるのは至極当たり前のことだから」
「確かにね」

 松橋さんが何か言い足そうとした時に、廊下の奥から足音が聞こえてきた。私たちの間にさっと緊張が走った。








Simulation by Virtual Riot


《 ぽ ち 》
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