《ショートショート 1212》


『水』 (苔緑 12)


土木事務所の事務室は、静まり返っていた。

所員はみんな現場に出ていて、俺と佐々木さんが留守番で
残ってるだけ。その光景は一見平和に見える。
だが俺はそんなに甘くない。

何もかもうまく行くってことはないさ。
何かがいい時には、何かがその足を引っ張る。
全部足し合わせてプラスなら、うまく行ってるってことな
んだろうが、そいつがプラスにならないってこともよくあ
るんだ。
腕組みしたまま顔をしかめていたら、施工図のコピーを
取って戻って来た佐々木さんに突っ込まれた。

「安積(あさか)さん、何かトラブルですか?」

「いやあ、トラブルはいつもだよ。ない方がおかしい」

「ええー?」

「そのくらいに考えといた方がいいってことさ」

俺の乾いた口調に苦笑していた佐々木さんは、スケジュー
ルボードをぐるっと眺め回した。

「でも、今年度はここまで順調ですよね」

「怖いくらいにな」

「ええ」

「そういう時ほど反動もでかい。備えておかんとさ」

「貧乏性ですね」

「気が利くと言ってくれ」

所員とこういう会話が出来るってこと自体が珍しいんだよ。
いつもはもっと殺伐としてるんだから。
じわっと嫌な予感がして、その予感を裏打ちするような音
で電話が鳴った。

「ほら、来なすった」

「はは……」

佐々木さんが力なく笑った。
俺の勘は外れない。どんぴしゃだった。




(ハイゴケ)



「完工後まとまった雨がなかったから、チェックできな
かったのかな」

「ちゃんと打音チェックはしましたよ。ただ、小さな構造
物ではないので、精緻には……」

現場に急行した俺は、ばっくり腹が裂けてしまった躯体を
見て頭を抱えていた。

「これだけだと、露骨な手抜き工事に見えちまうよなあ」

「そうなんですよ」

いつもうちの工事を請け負ってくれてる前島さんが、でか
いため息を連発している。

実入りを増やすために前島さんとこで露骨な中抜きをし
たっていうなら、そらあ論外だよ。
でも山ン中の砂防堰堤の工事なんざ、たいした儲けにはな
らない。
工程や部材をいくら調整したって、手元に残せる銭なんざ
たかが知れてるんだ。
元々ぎりぎりの工事費でやってもらってるんだし。

だが完成したばかりの躯体があっさり壊れると、いくら山
の中の地味な構造物とは言え監査が通らない。
かと言って、赤出さないぎりぎりの工事費でやってもらっ
てるのをやり直せってのは、おまえの社なんか潰れてしま
えという解散命令に等しい。

それで入札不調になったら、困るのはうちの方なんだ。
うーん……。

腕組みしたまま、蛇籠だけになってしまった破損部をもう
一度点検する。
構造的に脆弱な部分があると、水圧が上がった時にそこか
ら一気に壊れてしまうことは確かにある。
でも、堰堤高は低いんだ。普通はただ水がオーバーフロー
するだけだよなあ。こんな、根こそぎ持って行かれるか?

「ん?」

何か違和感を感じた。
上をチェックしてから堰堤の下に降り、そこも同様に確か
める。
この前の雨でまとまった土砂が出たから、新しい礫が転
がってるのはわかる。わかるが……。

「この苔。なんだあ?」




(ハイゴケ)



礫の一面にべたりと苔が張り付いた石が、ぽつぽつと目に
入った。
石は決して大きくないが、砂礫というほど小さくもない。
苔の緑はくすんでいない。まだ鮮やかだ。

「ははあ。そういうことか」

「安積さん。何かわかったんですか?」

前島さんが、すがるような表情で駆け寄って来た。

「これ、工事のせいじゃないよ。巨礫の直撃だわ。事故だ」

「えええっ?」

前島さんが慌てて周囲を見回すが、でかい礫の存在なんざ
かけらも見当たらない。

「あの……どういうことですか?」

「上流のどこかがこの前の雨で崩落し、でかい岩が転がっ
てきた。ただ風化が進んでた岩だったから、堰堤にぶつ
かった弾みで木っ端微塵に砕けちゃったんでしょ」

「わっ!」

一声叫んだ前島さんが上流に駆け上がっていって、一点を
指差した。

「あれかあっ!」

俺も確かめに行く。

「やっぱりな」

そこだけパズルのピースが抜けたような苔のない岩肌が、
馬鹿のようにぱかりと口を開けていた。

「これだから水は怖いんだよ」

◇ ◇ ◇

現場写真を添付して状況報告書を上げ、再工事の伺いを立
てる。
土石流の発生を防げたわけだから、構造物はちゃんと機能
したってことだ。
前島さんは胸を撫で下ろした思うけど、俺もほっとする。

ホワイトボードに現場写真をずらっと貼っておいたら、
佐々木さんがそれをじっくり見比べていた。

「安積さん、よく気づきましたね」

「まあな。苔さまさまだ」

「苔で気づいたんですか!」

「そう。常時流れのある沢じゃないし、日当たりもいい。
石も動くからそうそう苔なんざ生えないよ。それがちらほ
ら見えていれば、おかしいなと気づく」

「すげえ……」

「タイミングもあったけどな。もっとあとだったら乾いて
色が褪せちまっただろう。そうなったらもうわからんわ」

「なるほど」

苔のついた礫を見ながら、ひとりごちた。

「柔らかい苔を生かすのも水。硬い石を動かして壊すのも
水。どっちも水だってことか……」








Water Sign by Jeff Lorber Fusion



《 ぽ ち 》
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しまする。(^^)/


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