《ショートショート 1162》
『草刈り』 (夏枯れ 2)
フェンスぎわの草は、大半が白く枯れ果てていた。
これ以上繁茂しようのない枯れ草ならば、そのまま放置し
ておいてもいいだろうに。
鎌を手にして所在無く屈み込んでいた男は、おもむろに立
ち上がって腰を何度か叩き、再び屈んで空を見上げた。
「汚ねえ空だな」
空はすっきり晴れるでも曇るでもなく、ただぼんやり熱気
だけを湛え、フェンスネットや電信柱や電線が自己主張す
るままにさせていた。
枯れ草の穂が、風にすら構ってもらえずに白い骸を晒し、
屈んだ男の肩や首に触ってかさかさと情けない悲鳴を上げ
た。
吐息を一つ、乾いた土の上に置いて。
男が、無言のまま鎌を動かし始めた。
ざり、ざり、ざり……。
小学校の用務員という仕事が、決して彼の望んでいた職種
でないことは確かだった。
公私にわたる複数の失敗が、目の前にあった道をぐにゃり
とねじ曲げ。
男は、追い込まれるようにして今の仕事に就いた。
誰も男に多くを期待せず、男も今の仕事に何も期待してい
なかった。
ただ……今の職を手放すと道はもっと細く、狭くなる。
それだけは確かで、男には否も応もなかった。
校舎内外の点検と清掃、ちょっとした補修、草刈りや剪定
などの環境整備。
その男でなくとも誰にでもできる、きつくはないがおもし
ろくもない雑務が、ぱらぱらと目の前に並べられた。
男は作業の意味を何も考えず、それらを機械的に黙々と片
付けていった。
そして今日は。
「河野さん。子供達がいないうちに、フェンスぎわの草を
刈っておいてください」
言葉遣いは丁寧ながら態度は教員よりでかい事務の中年女
性が、男に戸外作業を命じた。
その命令口調はおもしろくなかったが、雑務をこなすのが
仕事である以上、職員の指示に文句は言えない。
「じゃあ、すぐ出ます」
「お願いね」
女は、それ以上何も言わずにすぐ事務室に戻った。
のっそり腰を上げた男が、作業の支度を始めた。
蚊が多いので長袖の作業服に着替えて軍手をはめ、蚊よけ
スプレーをこれでもかと全身に噴霧。
小さな咳払いを繰り返しながら、草刈り鎌と熊手、ブルー
シートを持って空調の効いた用務員室を出る。
「さて。さっさと済まそう」
−=*=−
「思ったより進んだな」
小一時間ほどで、敷地周辺の半分くらいの除草が終わった。
刈るのが無駄だと思っていた枯れ草は、力を入れなくても
鎌の先だけで取り除ける。
これでもかと地面にしがみつこうとする緑の夏草に比べれ
ば、枯れ草を刈り払うのは容易だった。
ただ……。
枯れ草はそこにあっても、すでにないのと同じなのだ。
今青々している夏草には誰もがうんざり顔を向ける。
彼らが望ましい存在でなくても、その生は認めざるを得な
い。
だが枯れ草は、そこにあるのにもう終わっている。
誰もその存在を顧みない。
「……」
鎌を持っていた男の手が……止まった。
刈っても刈っても草は次々に生える。
枯れた草は刈らなくても勝手に退場する。
それなのに、俺はなぜ草を刈っているんだろう。
俺も、もうすでに枯れているんじゃないだろうか。
「あら、ずいぶん進みましたね。お疲れ様ですー」
頭上に明るい声が降ってきて、男は我に返った。
事務の女が、結露している麦茶のペットボトルを男に向
かって差し出した。
男の喉がごくりと動いた。
「一服なさってください」
「助かります」
鎌を足元に置いて、男が勢いよく立ち上がった。
ペットボトルの口を切り、一気に半分以上麦茶を飲み干す。
体内に入った麦茶が、瞬く間に汗に変わって吹き出し始め
る。
それをわしわしと手拭いで拭き取った男が、大きな息をつ
いた。
「ふうううっ……生き返りました」
「暑くなってきましたもんね。無理なさらないで、休み休
みやってくださいね」
「はい」
態度がでかいと女に対して不満を抱いていた男だったが、
思わぬ麦茶の差し入れで気分がすっかり持ち直した。
さっきまで抱いていた不満感情が、女から逸れて雑草に向
けられる。
「こんちくしょう。こいつら、刈っても刈ってもすぐに生
えてくるんだろうなあ」
「あはは。そうね。でもこうやって草を刈ると、蚊がうん
と少なくなるから」
「ああ、確かにそうだ」
「麦茶は事務室にいっぱいお代わりがありますから、飲み
きったら随時補給してください」
「ありがとうございます」
ぺこりと会釈した女が足早に戻っていった。
会釈を返した男は、その場にどすんとあぐらをかいて、も
う一度顔の汗を拭った。
刈ろうが刈るまいが草は生えて、やがて枯れる。
それだけを見れば、草を刈ることは無意味に思える。
だが草が生きていても枯れていても、刈ればその草はなく
なる。
それは、自ら起こす変化だ。
刈ることは、何かを変えること。
変える意味を考えること。
男は、まだ残る枯れ穂越しに空を見上げた。
草をすっかり刈り払えば、ここから見上げる空がぐんと広
くなるだろう。
「まあ。汚ねえけど空は空だ。広い方がずっといいよな」
残っていた麦茶を飲みきった男が、空になったペットボトル
と屈託のない笑みを一つ傍(かたわら)に置いて、再び草を
刈り始めた。
ざり、ざり、ざり……。
Thunderstruck by Steve'n'Seagulls
遊んでないで、草刈りなさいって。(^m^)
《 ぽ ち 》
ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいた
しまする。(^^)/

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『草刈り』 (夏枯れ 2)
フェンスぎわの草は、大半が白く枯れ果てていた。
これ以上繁茂しようのない枯れ草ならば、そのまま放置し
ておいてもいいだろうに。
鎌を手にして所在無く屈み込んでいた男は、おもむろに立
ち上がって腰を何度か叩き、再び屈んで空を見上げた。
「汚ねえ空だな」
空はすっきり晴れるでも曇るでもなく、ただぼんやり熱気
だけを湛え、フェンスネットや電信柱や電線が自己主張す
るままにさせていた。
枯れ草の穂が、風にすら構ってもらえずに白い骸を晒し、
屈んだ男の肩や首に触ってかさかさと情けない悲鳴を上げ
た。
吐息を一つ、乾いた土の上に置いて。
男が、無言のまま鎌を動かし始めた。
ざり、ざり、ざり……。
小学校の用務員という仕事が、決して彼の望んでいた職種
でないことは確かだった。
公私にわたる複数の失敗が、目の前にあった道をぐにゃり
とねじ曲げ。
男は、追い込まれるようにして今の仕事に就いた。
誰も男に多くを期待せず、男も今の仕事に何も期待してい
なかった。
ただ……今の職を手放すと道はもっと細く、狭くなる。
それだけは確かで、男には否も応もなかった。
校舎内外の点検と清掃、ちょっとした補修、草刈りや剪定
などの環境整備。
その男でなくとも誰にでもできる、きつくはないがおもし
ろくもない雑務が、ぱらぱらと目の前に並べられた。
男は作業の意味を何も考えず、それらを機械的に黙々と片
付けていった。
そして今日は。
「河野さん。子供達がいないうちに、フェンスぎわの草を
刈っておいてください」
言葉遣いは丁寧ながら態度は教員よりでかい事務の中年女
性が、男に戸外作業を命じた。
その命令口調はおもしろくなかったが、雑務をこなすのが
仕事である以上、職員の指示に文句は言えない。
「じゃあ、すぐ出ます」
「お願いね」
女は、それ以上何も言わずにすぐ事務室に戻った。
のっそり腰を上げた男が、作業の支度を始めた。
蚊が多いので長袖の作業服に着替えて軍手をはめ、蚊よけ
スプレーをこれでもかと全身に噴霧。
小さな咳払いを繰り返しながら、草刈り鎌と熊手、ブルー
シートを持って空調の効いた用務員室を出る。
「さて。さっさと済まそう」
−=*=−
「思ったより進んだな」
小一時間ほどで、敷地周辺の半分くらいの除草が終わった。
刈るのが無駄だと思っていた枯れ草は、力を入れなくても
鎌の先だけで取り除ける。
これでもかと地面にしがみつこうとする緑の夏草に比べれ
ば、枯れ草を刈り払うのは容易だった。
ただ……。
枯れ草はそこにあっても、すでにないのと同じなのだ。
今青々している夏草には誰もがうんざり顔を向ける。
彼らが望ましい存在でなくても、その生は認めざるを得な
い。
だが枯れ草は、そこにあるのにもう終わっている。
誰もその存在を顧みない。
「……」
鎌を持っていた男の手が……止まった。
刈っても刈っても草は次々に生える。
枯れた草は刈らなくても勝手に退場する。
それなのに、俺はなぜ草を刈っているんだろう。
俺も、もうすでに枯れているんじゃないだろうか。
「あら、ずいぶん進みましたね。お疲れ様ですー」
頭上に明るい声が降ってきて、男は我に返った。
事務の女が、結露している麦茶のペットボトルを男に向
かって差し出した。
男の喉がごくりと動いた。
「一服なさってください」
「助かります」
鎌を足元に置いて、男が勢いよく立ち上がった。
ペットボトルの口を切り、一気に半分以上麦茶を飲み干す。
体内に入った麦茶が、瞬く間に汗に変わって吹き出し始め
る。
それをわしわしと手拭いで拭き取った男が、大きな息をつ
いた。
「ふうううっ……生き返りました」
「暑くなってきましたもんね。無理なさらないで、休み休
みやってくださいね」
「はい」
態度がでかいと女に対して不満を抱いていた男だったが、
思わぬ麦茶の差し入れで気分がすっかり持ち直した。
さっきまで抱いていた不満感情が、女から逸れて雑草に向
けられる。
「こんちくしょう。こいつら、刈っても刈ってもすぐに生
えてくるんだろうなあ」
「あはは。そうね。でもこうやって草を刈ると、蚊がうん
と少なくなるから」
「ああ、確かにそうだ」
「麦茶は事務室にいっぱいお代わりがありますから、飲み
きったら随時補給してください」
「ありがとうございます」
ぺこりと会釈した女が足早に戻っていった。
会釈を返した男は、その場にどすんとあぐらをかいて、も
う一度顔の汗を拭った。
刈ろうが刈るまいが草は生えて、やがて枯れる。
それだけを見れば、草を刈ることは無意味に思える。
だが草が生きていても枯れていても、刈ればその草はなく
なる。
それは、自ら起こす変化だ。
刈ることは、何かを変えること。
変える意味を考えること。
男は、まだ残る枯れ穂越しに空を見上げた。
草をすっかり刈り払えば、ここから見上げる空がぐんと広
くなるだろう。
「まあ。汚ねえけど空は空だ。広い方がずっといいよな」
残っていた麦茶を飲みきった男が、空になったペットボトル
と屈託のない笑みを一つ傍(かたわら)に置いて、再び草を
刈り始めた。
ざり、ざり、ざり……。
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遊んでないで、草刈りなさいって。(^m^)
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