■第6回 社員が再建会議で提案した役員刷新案

 業績悪化で人心が荒廃しつつある企業で、綱紀粛正を図ろうとして管理強化にのぞんでも、多くの場合は面従腹背を避けられない。ふだんから人心を掌握し、いわば同志の集団を形成していればまだしも、人望を得ていない経営者や幹部が凡庸な言葉を並べ立て、やれ理念だ、ミッションだ、想いだと唱えつづけたところで、社員の心には落ちてこない。(経済ジャーナリスト・浅川徳臣)

■社長の涙の訴え

 ある中堅広告代理店は2期連続の赤字決算を受けて、全社員を集めて決起会を開いた。社長は壇上で涙を流して再起を訴え、会の最後には全社員が拳を突き上げて檄を飛ばしあったが、全社一丸の求心力は生まれなかった。実力主義人事のもとに社員を消耗品のように使い捨ててきたため、相当数の社員が当事者意識を失い、経営危機を対岸の火事のように傍観していたのだ。

 社長の涙に胸を打たれた社員も少なからずいたが、多くの社員に奮起を促すことはなかった。「年がら年中、社員を怒鳴り散らしていたので、感情の起伏が激しい人なんだなあという程度に受け止めた社員が多かったようです」(同社員)

 これだけで済めばよかった。だが翌週の全社朝礼で、常務の口にしたひと言が社員をしらけさせてしまったのだ。「社員一人ひとりが、社長が流された涙を自分の問題として受け止めてください。社長に感情移入できない社員はわれわれの仲間でありません」。

 それ以降、社内各部門の朝礼で、この会社の理念とミッションが解説された『スピリッツブック』が輪読され、当番の社員はみずからの経験をミッションに当てはめて捻り出した教訓と、今後への決意表明をすることになった。精神主義はメールにも現われる。

■社内でも秘密の逢瀬が大っぴらに
 「上司に感情移入していますか?」「我が社のミッションに従って主体的に生きていますか?」。部長職以上が担当部門全員に送信するメールの冒頭に、そんな一文が添えられるようになったのだ。

 こうした取り組みにのめり込む社員もいるが、嫌悪感をいだく社員は、割り切れる限度を超えると退職にむかう。そして当事者意識を失った社員の多くが、温度差はあれ、この会社への勤務はそう長くないだろうと考えるようになった。

 一部の社員は勤務時間中に堂々と転職サイトを検索したり、人材紹介会社の情報を交換したりするようになる。上司に罵倒されるなどして腹にイチモツをいだく社員の一部には、2ちゃんねるに書き込む者もいた。そもそもネットへの書き込みなどは低劣な所業にすぎない。彼らはそう認識していたのだが、憂さ晴らしに走るあまり、次第に真っ当な感覚が麻痺してしまったのだ。

 さらに顧客リストを持ち出して退職する者、営業マニュアルをネットで販売して小遣いを稼ぐ者などが相次ぎ、組織のタガが完全にはずれてしまう。パワハラ、セクハラの横行だけでなく、秘して逢瀬を重ねていた男女が大っぴらに振舞い、一部の女性幹部などは部下の男性を手当たり次第いざなうようになったのだった。

■改革案も聖域には踏み込めず

 この状況を憂慮したひとりの役員が、行動を起こそうとした。事業企画部を統括する人物で、60人の部員に改革案を提出させて役員会で進言しようと、60人を10チームに分けて、V字回復策提案プロジェクトを発足させる。“聖域なき改革”を謳い文句に潜在的な問題の抽出をねらったのだが、字義どおりに聖域が破られてしまった。1カ月後に開かれた発表会で、あるチームが役員人事に切り込んだのである。専務と常務クラスを入れ替え、経験豊富な上場企業の役員経験者をスカウトして補強しないと難局を乗り切れない、と。

 左遷などの報復人事を覚悟したうえでの提案だった。改革の成否を左右するのは本気度であり、摩擦を怖れてはいけない。会社は日頃から社員にそう説きつづけているではないか。それが建前でも、いまはあえて本音と受け止めざるをえない状況ではないのか。そのチームは、経営陣の刷新が喫緊の課題と確信するからこそ、覚悟して提言したのである。

 よくぞ言ってくれたと思う社員もいたが、役員には困惑の表情が浮かんだ。発表結果を役員会で報告するつもりだったが、これでは無理だ。いくら聖域を設けないとはいえ、一線を超えてしまった。その案へのコメントは避け、役員会への進言もやめて、発表会をもってプロジェクトは自然消滅した。

                      ゆかしメディア より

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