僕は本が好きだ。
まあまた唐突に何を言いだすんだこいつは勤勉アピールか、というあらぬ誤解を受けるであろうことは想像に難くないけれど、敢えてここに再び宣言しておく。
やっぱり僕は本が好きだ。そして勤勉アピールも好きだ。
ならば誤解じゃないじゃないか、という声ももっともであるが、兎に角この読書に対して抱いている並々ならぬ愛情を皆様にも認識してもらった上でそれを前提に話を進めたい。

最近、と言ってもそれに気づいたのはだいぶん前なのだが、電車の中で紙媒体を利用している乗客が滅法目につかなくなった。
多分スマホやタブレットの普及と共に無駄にスペースを取ってしまう紙は駆逐されていったのだろうけれど、何やら無性に寂しい。
あたりを見回すと大方の人々は手元の画面に目を落としている。

ちょっとばかり昔、十数年前のガラケー全盛期。
当時の携帯電話はびっくりするほどバッテリーの燃費は悪い上に、ちょっとでもインターネットに接続しようものなら鬼のようなパケット通信料を請求されるような代物で、現代の携帯電話のスマートさとは天と地ほどもかけ離れたものだったように記憶している。
常に携帯電話をいじるという行為が、如何にも危険なバッテリーとの駆け引きであり、また現代における「常にオンラインであらなければならない」という強迫観念にも似た意識がまだあまり根強くなかったあの頃は、多くの人が車内の暇つぶしに紙を広げていたものだった。

何やら単語帳を一心不乱にめくる学生の隣で、おじさんがスポーツ新聞を思うがままに広げて中面のグラビアに鼻の下を伸ばし、さらにその隣のOLが新聞を持つおじさんの肘になんども小突かれ舌打ちをする…みたいなのが日常の風景だった。

今や世は利便性に重きを置いた大スマート時代。
自意識過剰が皮を被って歩いているような僕としては、この時代に敢えて車内で文庫本を広げることが如何にも自分が知性の宣伝をしているようで、またそう捉われはしないかと肩身が狭く感じてしまう。
安部公房なんかを読んでいた日には、ふと隣に座った人に覗き込まれて、どうやらこいつはヤバそうだぞと思われはしないかと内心ビクビクとする。

じゃあお前もこのスマートの波に乗って、タブレットか何かで好きな本を読めばいいじゃないかというのも一理あるので試してみたところ、如何せん画面だと本が読めない(というか頭に入ってこない)ので頭を抱える。
なので、結局のところ諦めて本を持ち歩き車内で開く訳だが、また肥大した自意識とスマートの狭間で居心地の悪さを感じ、ついには我慢ならず徐ろにスマホを取り出してはアプリゲームに興じながら電車に揺られるのだった。


梅津