大平崇晴

大平崇晴

結婚 良縁 商売繁盛 立身出世 お宮参り 開運

このブログでは、皆様の開運に役立つ情報、西遊記のような不思議な神仏の世界の話、
日々の雑感などアップ出来ればと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

  
神社仏閣にお参りする際

・どこの神社にお参りすれば良いの?

・自分の願い事にピッタリなのはどこ?
  (良縁祈願、商売繁盛、立身出世・・・)

・お参りの仕方って、これで合っているの?


 と思われることがあると思います。

 効果的なお参りのコツ、お伝えします。

ご自分に最もご縁のある神さまがいらっしゃる
オンリーワンの神社があるのです。
   

 ⇒詳しくはこちらから

奈良時代~平安時代初期
日本に仏教が伝わったのは6世紀
538年または552年とされています(仏教公伝)

仏教公伝の際、仏教を受け入れるか否かで
有力豪族は、権力争いと相まって真っ二つに分かれました。

仏教を受け入れる「崇仏派」蘇我氏
仏教を受け入れない「廃仏派」物部氏 

対立は激化して「崇仏派」が勝利すると
596年、蘇我氏は日本で初めて本格的寺院飛鳥寺を創建します。
以来、他の豪族も自分たち一族の氏寺を建ててゆくようになります。

そののち仏教を崇めることが盛んになり、神と仏が共存する神仏習合の形として神社に附属して、神さまの為のお寺「神宮寺」が建てられます。

そして仏教を篤く信仰した聖武天皇が即位すると、

国家鎮護・五穀豊穣の願いを込めた「国分寺・国分寺尼寺」が741年、地方の国ごとに建立されます。

続いて聖武天皇は、743年、「盧舎那仏造顕の詔」を出して大仏の造立に取り掛ります。

造顕とは、大仏さまを目に見える「お姿」として造り顕すことをいいます。

造顕の詔には以下のように記されています。
「誠に三宝の威霊によりて 相泰らかに
 萬代の福業を修めて 動植ことごとく栄えんことを欲す」

聖武天皇は、皇太子になられらた前後から「釈尊」の教えを自ら学んで、弱い立場の人を助けようとされ、本格的に国家として「仏教」を取り入れていこうとお考えになられていました。

当時、大阪には「智識寺(ちしきじ)」というお寺があって、
そこでは大陸から渡来した人々が小規模ながら自分たちで寄付を集めて「毘盧遮那仏」をつくり懸命に信仰していた。
智識とは協力する人々のことをいい、
地域の人々が助け合い団結して「智識寺」をつくりました。
 

その智識寺の様子をみて、聖武天皇は”これだ!!”と思われたそう。

この時代、干ばつ、大地震、などの天災に見舞われ、

さらに天然痘という怖ろしい疫病が流行していました。
聖武天皇の皇太子も幼くして亡くなっています。

聖武天皇は、疫病や社会不安から国を鎮護するため国家的大事業として大仏造立をしようとしていたが、多くの費用を使って仏教寺院を建立すれば、貴族達から猛反発されるのではと気にかけられている状態だった。

そんな折、大仏の造立について、宇佐八幡神から、
「天の神、地の神を率いて、そして、わが身を投げうって協力しよう、そうすれば、建立は必ず成功となる」
また「大仏造立の材料の金は国内から必ず出る」という託宣が出ました。
この託宣により無事大仏殿の建立がなったと言われています。

頼もしい八幡さまは東大寺の鎮守さまとして今も手向山八幡宮に祭られています。

大仏殿を造るのに、
当時の国民の約半数にあたる延べ260万人が動員されたと言われています。

大仏さま大きさは、
当時の仏像の標準的な大きさは一丈六尺のためその10倍とされました。10倍とは、華厳経で「無限」を意味しています。

※十丈六尺は約32mですが大仏さまは座像のため半分の約16mと解釈されています。

多くの人々の力を結集して完成した大仏さまの開眼供養は752年、盛大に行われました。