7月24日(火)発売の「実際にあった怖い話」にいよいよ「はじめての妖怪体験」が載ります。早いもので、もう来週の話なんですね。ゆるいイメージの隔月ペース連載を舐めていました。現在、整体兼業の私にはこのくらいの余裕がないとネーム段階でスケジュールに追い詰められてしまいます。

 

そのネーム(漫画をペン入れ前のラフ状態まで作ったもの)についてですが昨日、次回作の「はじめての天国体験」を編集部に送りました。そして9月頃には掲載された「前世」、「妖怪」、「天国」の「はじめて三作」で編集部と読者の審判を仰ぐ事になります。結果的に読者へ受け入れられれて継続するなら、さらにコアな「はじめて三作」がプロットまでできて連載決定を待っているのですが、文字通り「神頼み」です。

 

さて、今回の記事は「はじめての妖怪体験」内のエピソートとして、かなり異質な「ファラオの呪い」について漫画では語っていない部分に触れておきます。私が一般的な人間ではないと最も実感するのが、3歳の時から現在に至るまで3年毎に何かしら大きなスピリチュアル的なイベントに遭遇してしまう事なのですが生まれて3度めの3年目にあたる9歳の時に遭遇したのがこの事件です。

 

起きた事をとても簡単に説明すると、父親がツタンカーメンのポスターを額装して飾っていたものが私の頭上へ落ちてきたという事故案件です。実はその直前に私はその場所から移動していたので、頭上落下は回避できたのですが、この時、直感的に両親とは別に自分を強く護ってくれる見えない存在がいることを学んだのです。守護霊とか守護神とかいう言葉を知ったのは、それよりずっと後の事です。

 

この事件のずっと後に「ファラオの呪い」とよばれているものはこのような「頭上落下事件」がとても多い事を知りました。さらにピラミッド建設を題材にしたハリウッド映画がテレビで放映された際の映画解説では撮影スタッフの泊まっているエジプトのホテルのシャンデリアが落下するという事件があったので、お祓いみたいな事をやったというエピソートも聞かされて、身に降りかかる想定外の危機を避けるために人生で守護存在とコンタクトをとる「カン」の重要性を知る最初のきっかけにもなりました。

 

その後の私の人生は、今現在に至るまで、ずっとそんな「カン」だよりです。根拠のない自信が身につくと大概の事は最終結果的には良い方へ転がります。一番最近「カン」で行動したのは、前回の記事で七夕の短冊を吊るしに香取神社まで行った話をしましたが、最初は京都の貴船神社へ七夕直前の7月5日に行こうと考えて6月半ばに夜行バスの値段や空きまでチェックしていたのですが、色々と嫌な感じがしたので近所の神社に行き先を切り替えた事です。

 

まさか九州から近畿がこのような大雨になるとは想像もしませんでしたが「根拠のない自信」というのは想定外の事件・事故の危機回避に対して最強の力を発揮します。いまだに霊感とかいうと胡散臭く感じる頭の古い人もいますが変な教祖の外圧的な霊言に頼るのではなく自分だけの守護存在、ガイドと一瞬強く繋がる内側の霊感が人生の生死をも別ける事があるということは覚えておいてください。

 

簡単に言えば嫌な感覚がしたら避ける事です、これは別ルートを改めて探す事であって逃げる事ではありません。今一瞬、頭に浮かんだ事ですが、なんとなくダウジングのイメージに近いかもしれません。

 

次回は本の発売直前か、直後には更新いたします。

いつもお読みくださりありがとうございます。