『Contentment』

マックスフィールド・パリッシュ

(1927年)

 

 

 

***2019年10月19日の日記***

 

 

OSHOの彼と、

再び会った日。

 

「じゃあ、さよなら」

 

・・・と、普通に別れ、

 

そのあとひとりで

街を少しブラブラしようと

していたら。

 

いきなり、

足がガクッとなり。

 

全身の力が抜けました。

 

 

フラフラしてきて、

立っていられない感じに

なりましたが。

 

なんとか、

根性でベンチまで辿り着き。

 

そこに、

倒れこみました。

 

 

その日はそれまで、

どこも体調は悪くなかったのに。

 

本当に急に、

それは起こったので。

 

すごく、

びっくりしました。

 

 

けれども。

 

なんとなく直感的に。

 

これはおそらく、

OSHOの彼に関係してる。

 

・・・と感じた私は。

 

すぐさま彼に電話をして、

戻ってきてもらいました。

 

 

あの頃はまだ。

 

エネルギーのことなどは、

全然理解していませんでしたが。

 

なぜかあの時は、

 

今、自分に起こっていることが、

そういう、エネルギー的なもので

あることが。

 

不思議と解ったのです。

 

 

しばらくして

戻ってきた彼も。

 

すぐに状況を理解した

ようでしたが。

 

「自分と会って、

こういう風になった人は

初めてだ」

 

・・・と、呆然としていました。

 

 

もちろん私も

呆然となっていて。

 

自分に起こっていることが、

どこか信じられなくて。

 

彼に。

 

「これってやっぱり、

エネルギーとかそういう?」

 

・・・と、

何度も何度も繰り返し

訊いてしまいました泣き笑い

 

 

彼も。

 

「うん、そうだよ」

 

・・・とは

言っていましたが。

 

その彼の顔も。

 

信じられない。という

表情のままでした。

 

 

でも、彼が戻ってきて

少しすると。

 

予想通り。

 

身体に力は戻ってきて。

 

まるで、

何事もなかったかのように、

普通に戻りました。

 

 

*******

 

 

そのあと。

 

ベンチで彼と少し

話をしましたが。

 

何を話していたのかは、

あまり覚えていません。

 

 

ただひとつ、

記憶に残っている彼の言葉は。

 

「悟り」

 

・・・に関することで。

 

彼は、

すごく真剣な顔で

こう言っていました。

 

 

「それは、

『感覚』ではないんだよ。

 

完全な『無』なんだって、

言っていたよ」

 

・・・と。

 

 

「・・・って言ってたよ」

 

・・・ということは、

おそらく彼は。

 

それをマスターか誰かから

聞いたのだろうな。と。

 

そう思いながら私は。

 

彼の話を

聞いていました。

 

 

でも。

 

心の中では、

こう呟いていました。

 

 

「だからさぁ。

 

今まで何度も、

それを書いてきたつもり

なんだけど」

 

 

・・・とぼけー

 

 

言葉にできないものを、

言葉で表現しようとするとき。

 

その「言葉選び」には、

いつも悩みます。

 

 

でも、どんなにその言葉を

「厳選」したところで。

 

どうしたってこうやって、

誤解が生じてしまうものだ。

 

・・・と。

 

 

あの時、

 

しみじみ感じていました。

 

 

********

 

 

実際に、

悟り体験をすると。

 

 

その瞬間、

全てが幻想であることを

完全に理解します。

 

 

そして、本当は。

 

永遠であり一瞬であり、

生まれることも死ぬこともない、

「すべてである私」しか。

 

実在していないことを

知るのです。

 

 

だからこそ私は。

 

今、こうして人間で

いられることを、

 

愛おしいと

思っていました。

 

 

その、

 

「Lyricaとしての私」

という感覚は。

 

「個としての私」

という感覚は。

 

本当は、

ただの錯覚でしかなく。

 

 

けれども。

 

それがまるで、

本物であるかのように

感じられること。

 

自分は、

 

「Lyricaというひとりの

人間である」と、

 

こんなにリアルな実感を持って、

思い込めていること。

 

それはものすごく、

貴重なことだ。と。

 

ずっと。

 

そう思って生きてきました。

 

 

だから。

 

人間でいられる

(と思えている)今を、

 

思う存分堪能したい。と。

 

そう思ってきました。

 

 

堪能する。というのは、

 

享楽に溺れることではなく、

 

現世的な成功を

求めることでもなくて。

 

 

ただ、

自分に起こる出来事

ひとつひとつを、

 

 じっくりと、

かみしめるように。

 

大切に体験する。

 

・・・ということです。

 

 

そして、

その体験を通して、

 

幻想である

この「エゴ」を。

 

この幻想世界の

法則にのっとって、

 

大事に大事に

育ててあげること。

 

魂と同じレベルにまで、

成長させてあげること。

 

 

その魂ですら。

 

本当は。

 

幻ではあるけれども。

 

 

でも。

 

こういう「ゲーム」は。

 

「自分は人間だ」

 

・・・と、

まったく疑うことなく

思い込めている時にしか。

 

こんなにリアルには

体験できないのです。

 

 

その貴重な短い人生の中で。

 

「人間」を

十分堪能すること。

 

 

それが私の目的でした。

 

 

ただ。

 

OSHOの彼と

過ごしていたあの頃は。

 

自分自身のことが、

まだよく解っていなくて。

 

 

自分が本当は。

 

何がしたくてここに

いるのか。

 

・・・ということも、

まだまだここまでクリアには

見えていませんでした。

 

 

*******

 

 

OSHOの彼は、

あの時点ではひたすら

悟りを。

 

覚醒することを

目指していて。

 

それを唯一の目的として、

ここにいるような

感じでした。

 

 

「人間としての自分を

完全に生ききる」

 

・・・のではなく。

 

 

「本来の自分に戻る」

 

つまり、

「すべてである私」の意識に

還ること。

 

それを目指していました。

 

 

だからこそ彼は。

 

その「エゴ(自我)」を、

捨て去ろうとしていました。

 

 

あの時点では。

 

私達はお互い。

 

「今、するべきこと」

 

・・・が、真逆だったのですが。

 

 

あの頃はまだ、

 

そのことに、

気づけていなかったから。

 

だから私は、

あんなに混乱したのだと

思います。

 

 

そして。

 

辿り方は真逆でも。

 

結局は、

同じところを目指していた。

 

「完了」

 

・・・を目指してた。

 

 

・・・ということを

理解するためには。

 

 

その後、

 

何年も何年も、

時間を要しました。

 

 

********

 

 

当時、彼から言われた、

ある二つの言葉が。

 

あの頃の私の信念を、

相当揺るがせました。

 

 

ひとつは、

こんな言葉です。

 

 

「もしあなたが、

覚醒したとしたら。

 

お子さんたちも含め、

もっとたくさんの人を

救えるようになる。

 

100年後には、

あなたの愛する家族はいない。

 

形あるものは全て、

無常です。

 

そして、

 

今を生きること、

愛に溶け去ること、

 

源泉に還るためには、

 

あらゆる変化の中に

手放しにならなければ

ならない」

 

 

・・・という言葉。

 

 

そして、

もうひとつは。

 

 

「弟子でなければ、

教えられないこともある」

 

 

・・・という言葉。

 

 

彼が私に、

さりげなく「出家」を

促していることは。

 

重々気づいていました。

 

 

「OSHOが誘っている」

 

・・・と。

 

彼は本気で、

そう感じていたのでしょう。

 

 

 

私が高校生の時に、

母が紀野先生と出会い。

 

出家こそしなかったけれども、

母の心はそれ以来、

 

どこか遠くへ

行ってしまったような

気がして。

 

その出来事は、

私の中に。

 

「母への反発心」

 

・・・というものを、

生み出しました。

 

 

母へのそういう反発心は、

結局。

 

「寂しさ」の裏返しで

あったことは、

 

自分でもよく解っていました。

 

 

あの頃の私と同じ思いを。

同じ寂しさを。

 

自分の子供たちには決して、

味わわせたくはありませんでした。

 

それだけは、

絶対にしない。と。

 

そう、

固く心に誓っていました。

 

 

けれども。

 

そういう「固い誓い」さえも。

 

OSHOの彼のように

生きる人たちの目には、

 

「執着」に映るのです。

 

 

起こる変化の中、

 

それに抵抗して、

手放せないもの。

 

・・・と映る。

 

 

OSHOの彼は。

 

私の19歳の時の体験の話を

知っていながら。

 

「そこで止まってはいけない」

 

・・・と言いました。

 

 

私だけでなく、

フォーラムの彼の体験に対しても、

 

 

「もう少しのところなのに、

そこで止まってしまうのは、

もったいないと思った」

 

・・・と言っていました。

 

 

私は。

 

19歳のあの時に観たもの。

 

 

「Nothing but Everything」

 

「すべてである私」

 

 

あれがすべてである。

 

・・・と。

 

そう確信していました。

 

 

それは私にとっては

長年の間。

 

揺るぎない真実でした。

 

 

けれども。

彼にあんなに力強く

言われると。

 

「まさか、

あの先があるの?驚き

 

・・・と。

 

不安が出てくるのです。

 

 

けれども。

 

あの先があるなんてことは、

到底信じがたいことでしたので。

 

「その先って何?」

 

・・・と、彼に訊ねても。

 

 

「弟子にならないと、

教えられないこともあるんだ」

 

 

・・・と、教えてくれない彼凝視

 

 

なので私は。

 

ますます。

 

混乱は深まっていって。

 

 

 

今、

こうして書いていることは。

 

今ではすっかり、

クリアにはなっていますが。

 

渦中にいたあの頃は。

 

本当に頭がグルグルしたし、

すごくモヤモヤしました。

 

 

グラス・バレーの歌にも

ありましたが。

 

まさに。

 

「アイデンティティ・クライシス」

 

・・・が、起こっているような

時期でした。

 

 

今までの自分が、

ガラガラと崩れていくような

気がする。

 

・・・と言ったら、

OSHOの彼は。

 

 

「それは、

いいことだよ」

 

・・・と、

言っていました真顔

 

 

********

 

 

インドの王子様がその昔。

 

出家したいのに、

王様であるお父さんに

許してもらえなくて。

 

それで、

妻を娶って子供を作った後。

 

「もうこれで

義務は果たしただろ!」

 

・・・と言って、

妻子を捨てて出家し。

 

その後、悟りを開いた。

 

・・・なんて。

 

そんなお話が、

ありましたが。

 

 

その王子様の人生が。

 

それはただ、

たまたまその人個人の

ドラマだったにも関わらず。

 

それなのにそれは。

 

今の多くの人達の意識にも、

 

まだまだ、

深い影響を及ぼしているのだと

思います。

 

 

インドの王子様だけでなく。

 

あるひとりの

ユダヤ人の人生もまた然り。

 

・・・ですが。

 

 

そして、

やっぱり。

 

男性と女性というものは。

 

どこまでも、

物の見方が違うのだと

思います。

 

 

今になって、

こうして思い返してみれば。

 

 

あの頃は。

 

OSHOの彼も私も。

 

お互いがお互いのことを、

全然、理解していなかった

ような気がします。

 

 

相手のことどころか、

自分自身のことさえも。

 

あの頃の私は、

 

まだまだ全然、

理解していませんでした。

 

 

だからこそお互い。

 

相手を自分の道に

沿わせようと。

 

無意識にそういうエゴに、

 

囚われてしまって

いたのかもしれません。

 

 

OSHOの彼という人は。

 

私とは非常に近い魂を

持った人なのだと。

 

そういうことは、

強く感じていました。

 

 

だから、

魂同士は強烈に引き合うのに。

 

近づけば近づくほど

混乱が増したのは。

 

 

まだまだ、

理解が浅かったから

なのだろうと。

 

まだまだ、

お互いが未熟だったから

なのだろう。と。

 

そんな風に思います。

 

 

そして、

あの頃は。

 

不思議とそうやって

魂の近い人達が、

 

私の周りに一気に集まった

時期でもあったような

気がしていて。

 

 

ソウルメイト。

 

・・・という言葉は

よく聞きますが。

 

「ソウル・グループ」

 

・・・というのもまた、

本当にありそうだ。と。

 

そう感じたのは。

 

 

あの混乱のさなか。

 

私を支えてくれた人たちが、

そこに、何人もいたからです。

 

 

私が、

今回の人生の目的を

見失わないように。

 

「アンカー」となってくれた

人たちが。

 

そこにいたからです。

 

 

それが、

「占い師の彼」だったり、

「ホピの彼女」だったり

したのですが。

 

そこにはもうひとり。

 

強力なアンカー役の人が

いてくれました。

 

 

その人は。

 

ここでは今まで、

全く触れてきませんでしたが。

 

「絵描きの彼」

 

・・・で。

 

 

その人もまた、

私にとって。

 

記憶に残っている人の

ひとりだったりします。

 

 

つづく

 

 

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