天乃石立神社から再び柳生八坂神社まで帰ってきてそこから徒歩10分くらいかな……キョロキョロ
芳徳寺に来ました照れ
JR・近鉄奈良駅からバスで50分柳生・邑地中村・梅の郷月ヶ瀬温泉行き- 柳生下車から徒歩で15分の位置ですおねがい

芳徳寺 [ほうとくじ]
芳徳寺は、芳徳禅寺とも称される。

柳生藩主柳生氏の菩提寺。柳生の地区を一望できる高台に位置し、門前の坂の途中に正木坂剣禅道場を構えます。

柳生家の墓地は元々は中宮寺(現・奈良市柳生下町)にあったが、芳徳寺の創建に伴って改葬され、芳徳寺裏の墓地に柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基あまりが並びます。

北から寺へ登る坂が霊源坂、その登り口の橋は古楓橋であり、東南の小高い台地である山王台(清風台)とともに柳生十景に挙げられています。

また、霊源坂の中ほど東側の地が柳生宗厳(石舟斎)の居住地とされます。

寛永15年(1638年)大和国柳生藩主柳生宗矩の開基、沢庵宗彭の開山により創建されたと伝えられます。

宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うため、柳生城があったと伝えられている場所に建立しました。

宗矩の子列堂義仙が第一世住持となり、宗矩の遺領1万2500石のうち200石が芳徳寺に寺領として分与されました。

宝永8年(1711年)の火災により全焼したが、正徳4年(1714年)に再建されました。

廃藩後は荒廃して山門や梵鐘も売却され、明治末期には無住の寺となったが、大正11年(1922年)に柳生家の末裔である元台湾銀行頭取の
柳生一義が資金を遺贈し、本堂が再建されました。

その後、大正15年(1926年)6月に副住職として赴任した橋本定芳(昭和5年(1930年)には住職に就任)は、芳徳寺の再興に奔走。

橋本は柳生新陰流の普及に努めた他、昭和3年(1928年)には境内に大和青少年道場(現在の成美学寮)を開設し、知的障害児の保護育成に尽力するなど、多方面の事業を手がけました。


薬医門の山門照れ
山門脇の黒い賽銭箱に拝観料200円を入れて、境内に入りましたぁおねがい
入る時ってホンとワクワクしますよねぇ照れ


本堂に併設されている資料館ですおねがい
本堂にもこちらを通らなきゃいけないんですぅびっくり


資料館内部ですおねがい
柳生新陰流に関する史料も多く残され、それらの寺宝は庫裏で展示公開されています照れ

資料館には刀剣や鎧、書物などが置いてありましたぁ〰️びっくり


本堂
現在の本堂は『神護山法徳寺前録』によって、宝永8年(1711)の火災ガーン
正徳4年(1714)に再建されたものと考えられます。照れ

内部は禅宗寺院にみられる六間取りの典型的な方丈形式で、奈良市内では唯一の方丈建築であり、芳徳寺柳生家墓所(市指定文化財史跡)や
旧柳生藩家老屋敷(県指定文化財)とともに柳生家の歴史を留めるものとしても貴重な建物なんですよ照れ


本堂には本尊の木造彩色釈迦如来坐像おねがい
綺麗でしたよ照れ



柳生但馬守宗矩坐像
慶安4年 (1651年) 宗矩の7回忌に宗矩の三男 柳生宗冬が京都の大仏師康看に彫らせたものなんやってぇびっくり


列堂和尚は、柳生宗矩の末っ子四男なんですおねがい

本当に昔って凄いですよねぇ…
職人技が素晴らしいです照れ


境内は広くて感じ良かったぁ〰️照れ


本堂 後ろにあるお庭です
紅葉の時季から少し遅いです……
紅葉時季なら凄く綺麗なんでしょうねぇ……キョロキョロ


芳徳寺の周りにギりかな……
綺麗な紅葉がありましたぁ〰️ラブ


奈良県奈良市柳生下町445


いつものように帰りに大和西大寺 駅ナカで期間限定スイーツ……種子島 安納屋があったぁ〰️
以前に美味しいと噂だけは聞いていたからめちゃ嬉しい〰️ラブ


30日熟成させた安納芋を桜島の溶岩石で90分かけて蜜が滴るまでじっくり焼き上げるんやってぇ〰️びっくり

濃厚でまったりとした食感の焼芋ペーストを
贅沢に絞り込んでるんやぁ〰️チュー

自然由来の甘味とカスタードが程よくマッチ、飽きのこないしっとりとした上品な味わいなんやでぇ〰️チュー

ショコラ、紅茶、ほうじ茶、抹茶、プレーンの五種類がありましたぁ〰️照れ


いつもながらチャレンジ出来ない……
無難なプレーン……ショボーン
どうやったら違う味を買える勇気が持てるんだぁ〰️ムキー
誰が教えてぇ〰️えーん


種子島の契約農家さんが作った安心・安全な美味しい安納芋が、とっておきの安納芋スイーツに変身だぁ〰️チュー

こだわりの『極甘 焼き芋』をペースト状にして、生地やクリームに贅沢に練り込んでるぅ〰️
めちゃ美味しいぃ〰️照れ

でも……
1つ350円……
少々……高いかな……キョロキョロ