ブレない指針| みぞぐち晃一|大田区|候補

ブレない指針| みぞぐち晃一|大田区|候補

みぞぐち晃一(前都議補選候補)の経験ブログ。
小池知事選挙を応援しつつ、小池塾・小池新党にも入らず、イエスマンにはならない『完全無所属』の、みぞぐち晃一(前都議補選候補者)の発信するブログ。

 こんにちは、みぞぐち晃一|大田区|前都議選候補者 です。

 近年、都市部だけではなく、地方都市の選挙投票率すら五割を切る低投票率が沢山見受けられます。
 政治に無関心であることが、政府の傍若無人ぶりを推進しているかのようです。

 さて、昨年の夏、都知事選挙と同時に行われました、東京都議会議員補欠選挙にみぞぐち晃一も無所属で立候補いたしました。そして、同日選挙の無所属の小池百合子東京都知事候補を応援させていただきました。

 その後、小池塾や小池新党と言った『風任せの集まり』に参加することなく、応援した小池知事に対してであっても議会の二元制を重んじて、政策毎の是々非々の対応をするための『完全無所属』を貫き、都議補選時に皆様と約束しました通り無所属で出馬(私が表現の自由を守り、脱原発を進め、多様性のある共存社会を目指すことから、一部、代議士時代の小池氏の政策と合わないためでもあります)。

 しかし、小池旋風と自民を懲らしめろの政党間・派閥間の争いと成り、政策論争すらも埋没。
 5,420票を頂いての辛敗でした。

 これからの選挙は、風頼みの選挙となるでしょう。
 その風で当選した新党所属のイエスマン議員は、政治をさらに不信にしないか心配しています。
 私は、風に流されること無く、完全無所属を貫いて議員である前に『ブレずに信用出来る人』でありたいと思います。

 興味が無いからと敬遠しないで戴き、ぜひ、関心を持って積極的に政治に関わろうとして下さい。
 無関心でいても無関係にはさせてくれないのが、国民が参政権を持つ意味なのです。
 投票に行かない人に【それはとても恥ずかしいことだ】と思って戴ける国民でありたい、と願います。
 
 大田区 みぞぐち晃一

テーマ:

 「野党がしっかりしてくれないと困る」

 これは、政治を代議士に託している仕組みである我が国の議会制度において、国民としては切ないくらいの願いだ。

 ところが、残念なことに野党の議会議員の皆さんは、離合集散を繰り返すだけで、現在は残念な経過を迎えており、信頼すらなくしていると言って良い。

 では、何故こんなことが起きてしまうのか。

 私は、なんとなくだが、その職にありがちな高学歴を要望され、期待感も高いにも関わらず、落選すればかなりの間を無職で過ごし、下手をすれば、次の選挙で出馬することも叶わない「一回こっきり、復活戦無し」という可能性の高い、今の世の中の制度やそれが当然であるような背景が原因ではないかと考えている。

 ビジネスでもそうだが、この国のもとでは、一度の挑戦の失敗で、その人の人生の全否定くらいのダメージを与え、復活には相当のコネやバイタリティーを要する。
 それでいて、選挙の場合は、一般的には積み重ねたセオリーより、ブームだの風だのといった不確定要因が多い。

 果たして、そんな賭け事のような選挙を東大などの一流大学を出て、官僚を辞めてまでやろうとするだろうか。

 やろうとするのであるなら、どこかに保障を求めるであろう事は、想像に難くないし、人であれば、その弱さを認めるのは当然であろうと思う。

 その答えが、政権与党からのお墨付き(公認)であったり、人気・支持率が右肩上がりになった新党や野党勢力であろう。
 まさにそういった所からの出馬が、政治家議員職への近道となっている昨今である。
 (そこに国民のためという代議名分は、だいぶ薄れてしまっているが)

 さて、与党側では、それなりの支持率と組織票の背景でコネさえあれば、比例代表の上位も得られて議員職をまっとう出来よう。

 しかし、今回のテーマは、野党議員が何故割れてしまうか、なのである。

 野党側の各議員も政党公認の内部競争という名の「コネクション力学」を駆使して、勝ち残った者(資金力なのか人望なのかは明言しないが)が、晴れて、組織票と政党への期待票を受け取り、当選して議員に成るわけだ。

 ところが、野党勢の難しいところは、現政権のような与党側一強政治の中では、何ら力を発揮することは無く、「数の力」だけで押し倒されてしまい、存在価値すらを見出されぬまま、与党側の力押しに「抵抗するだけ無駄の存在」という《政治への飽きらめ》を有権者に植え付ける存在と成り下がるのである。

 そこへ所属する自らを有能と信ずる、実際有能である議員たち(与党であれば力を発揮したであろう)の多くは、その任期に力を発揮出来ないことに焦りを強く感じるのである。

 注目されるべき能力のあると自認する人物が、注目もされずに、力を発揮すること無く一強政治に蹂躙されるがままに、その任期を過ごすと言う事は、相当の忍耐力がいる。

 有能であればあるほど、また、要領良く立ち回ってきた高学歴エリートにとっては、時間の無駄使いや自らが力を発揮出来る年齢世代を無為に過ごさせられる事の苛立ちと言ったらないのだろう。

 何よりも「時間の無駄」と「能力発揮の出来ない現状」を嫌うのが【認められてきた人間】の本質だ。
 虐げられて、常に我慢を強いられて小中高と過ごしてきた、底辺で生きてきた人間とは違うのである。


 「諦めの悪い」ハングリー精神は、個人プレーなら褒められるべきだが、政党という組織論の中で、「今の時代を逃す損出を認めるわけには行かない。もっと活躍の場を求めて、新たなステージへ!」と既存野党の党を割ってでも、自らの活躍の場を陽の当たる舞台を求めるスタンドプレーをし始めると、当然だけれども同じような反応が数人で起こり、「政治を中心で動かしてみたい」と思う有能を自負する人達の【焦り】から、離党や分裂・分党が起こるようになるわけである。

 こういった動きは、さすが、国会議員に成るだけのことはあるという「それなりに学歴優秀な人」が中心になって起こるモノである。
 少なくとも政党政治には、直接関係の無い二元代表制の地方議会には、起こらない。
 二元代表制である地方議会は、あくまで敵対するべき存在が、与党野党と言うところではなく、行政執行部である首長勢力と調査する側の議会というスタンスによるからである。

 議院内閣制で、政党政治として過半数を握る会派が与党となり、権力を動かす側になれることと、地方議会のように、どうあがいたところで、首長(市区町村長)にならない限り、権力側に立つ事は出来ないことの違いである。

 優秀であり、野心を隠さないほどの上昇思考の者であれば、当然の如く、国家権力を動かせる側に近い方に行きたがるのは、自然の理であって、その欲が強いほど、野党に甘んじて堪え忍ぶと言う事は出来まい。

 従って、近年の新党ブームや野党の分裂・新党立党などに群がる「国会議員に成りたがった高学歴エリート達」にとって、それらは国民のためではなく、おのれの力量を試す機会でしかなかったのかも知れない。

 その後、落選した人も含めて、信念を貫いて浪人を続けるよりは、何処でも良いから公認してくれて、議員にしてくれる可能性がある政党を探す、または、新党が出来るのを待つ、と言う人達がワンサカだったのではないだろうか。

 私自身は、その議員に成るための効率の良さ求め、要領の良さを褒めることはあっても、けなすことはないけれど、「随分と卑しいことだな」と思うことは、無いわけではない。
 そこは、少なくとも議席にしがみつくだけの餓鬼に見える行為は、取りたくないものだと私は思う。


 私自身が、国会議員職に興味が無いこともあるけれど、全般に議員職というのは、理想はあくまで「求められて、人々の後押し」で選ばれて力を発揮するものであって、エリート臭を隠して庶民に寄り添うふりをして、中華思想の「黄帝」が如く、己の徳の想うがままに能力を振るうことではないだろう。

 でも、でも、だ。
 人として、国会議員職にありながら、野党側を続け、その力を発揮出来る時代の世代を無為に過ごすことに、憤りを感じてしまうことには、同情するし、焦りも共感する。

 例えば、同じ東大卒の元官僚議員が、いつまでもその能力を発揮することなく、野党で燻ってしまうことに、苛立ちを覚え、無能な三流大卒の二世三世与党議員が大臣を歴任することにむかつきを覚えたとしても、その事を責めたりはしない。

 本来であれば、もっと活躍出来たであろう時代を迎えることが、本望であろうけれども、そこに立てていることの重要性を認識して、忍耐強く待って欲しいと思う。

 本筋を違えて、活躍する場を求めて、仮に与えられても、どこかで矛盾が生じて、足下をすくわれるのである。
 その時、全ての過去の積み重ねた信用が崩れてしまう。

 それによって、功績が全て無に帰すだけでなく、有権者との約束も達成出来なくなるのである。
 民主主義の根幹と代議員制の国会のありようは、信用の積み重ねと約束の遵守があって、初めて多数決で決められても少数意見も尊重されるという期待が保たれて、活発な議論が構築され、維持出来ることを理解したい。


 ある自己実現の大家が「一回の失敗で諦める人は凡人であり、三回の失敗しても諦めない人は、なかなかの優れものであり、十回失敗しても諦めない人は天才だ」と言ったそうだ。
 けれど、その無為に過ごしてしまった時間は、元には戻らないのだよ!という気持ちも強く理解するし、激しく共感しさえする。

 政治家によっては、七十を過ぎてやっと活躍の場が与えられるような場面も出てくるかも知れない。
 その時、「何故、心も体も活躍出来る、若い時ではないのだ!」と天に怒るのではなく、来たるべきに備えた必要な期間だったと思える人になっていて欲しい。
 「若き日の無為にさせられた日々があってこその政権奪取」があったときに、同じく若い世代の議員たちに、活躍出来る時代と世代の【焦り】から来る分裂をしてはいけない、忍の一字を教えることもまた、政治大家としての責任だと思って欲しい。

 有能を自他共に認められるが故に、大義を忘れて、自らの活躍時代を求めてしまうことが、野党を分裂に向かわせるトリガーになっているのだと私は思っている。

【終】

 夜中に文章の考察も疎かなうちに発したため、変換間違いや言い回しのくどさなど、ありますが、誤変換とその時の勢いを損なわない程度の訂正のみにして、発信する事に致します。
 ご感想戴ければ幸いです。

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